春の旅人

 美しい表紙とイラストレーションに彩られながらも、村山早紀+げみ「春の旅人」(立東舎、1200円)にはちょっとの苦みがあって、読んで噛みしめながらどうしようと思う。

 最初の「花ゲリラの夜」は、道ばたや公園に花の種を捲き球根を植えるお姉さんと一緒に少女が夜の街を歩く。でも、少女には少しの後悔があった。同級生のことだった。仲が良かったはずのその同級生がいじめに遭いそうになっても、少女は止められず逆に無視をした。

 それは正しい? 正しいはずがない。だったら逆らえる? 逆らうべきだと思うけれど、それを上から少女に押しつけてはいけない。少女に身をなぞらえる子供たちにも。幼い少女や少年に勇気はまだ芽生えていない。だからといって勇気は不要ではない。勇気は必要なもので、どうすれば勇気は奮えるのかを諭し、どうしたら良いかを考えさせる。そこから明日震える勇気が生まれてくるのだ。

 表題作の「春の旅人」は、閉園になった公園を訪ねた少年が長く働いていたおじいちゃんと出会い、むかし空から亀が降りてきた話を聞く。その亀はいっぱいいたけえど、始まっていた戦争で起こった空襲によって降り注ぐ爆弾に打たれ、多くが燃え落ちた。かろうじてたどり着いた亀は卵を産み生まれた赤ちゃんが空へと帰ろうとしてまた爆弾に降られてしまった。

 亀は無事に空へと帰って行けたのだろうか。そして51年が経ったというその世界にまたやって来てくれるのだろうか。人類はひとりぼっちじゃないんだと感じさせつつ、自分たちの愚行のせいでひとりぼっちになってしまった可能性。その苦みを噛みしめつつ今をどう生きるかを感じたい。

 そして「ドロップドロップ」。缶の中に入っているさまざまな色のドロップから浮かぶ思いを詩のようにして綴った作品で、赤はいちごで歯磨き粉のように甘いというところが子供ならではの感性だと感じさせる。緑から浮かぶ父親と散歩したこと、白から浮かぶ飛行機から見えた雲、そしておじいちゃん家へと行った記憶、ドロップひとつでいろいろなことが浮かんでくる。

 でもふっと空を見上げて自分はひとりだと思い、寂しくなって、泣きたくなって、けれどもきっとどこかに大勢いるんだと信じることで、今を生きようと思うような、そんな展開が「ドロップドロップ」から感じられる。自分ならどの色に何を思い何を感じる?サクマ式缶入りドロップを食べながら、そんなことを考えてみたくなる。

 草むらに人が立ち、亀が浮かんでいる表紙絵の幻想性と、裏表紙の満開に咲いた桜の叙情性が、すこし不思議でそして純粋なストーリーたちと絡み合って浮かぶ現実からちょっとだけ浮かんだ世界のビジョン。そこに立って優しさと厳しさが入り交じった世界の中を、自分で考え自分の足で歩んでいく力を物語から感じたい。

 そうした物語に添えられる、淡い色使いによって描かれる花ゲリラのおねえさんであり、亀の卵であり歯磨き粉でありメロンといったビジュアルは、色とりどりながらも派手さより淡さで静かな物語を邪魔せずいっしょに目から頭へと届けてくれる。単体のイラストとして見ても落ち着くイラストが、物語と相まってなおいっそうの楽しさを感じさせてくれる。村山早紀とげみの共作、あるいは2人で一体の作品集と言えるかもしれない。


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