晴れた空にくじら

 平八郎が良い。

 というか、平八郎を出してしまえる作家の腕前が良いのだろう。そんな作家こと大西科学のそんな作品「晴れた空にくじら 浮船乗りと少女」(GA文庫、590円)。舞台となっているのは中国大陸にある奉天で、ただし現実の歴史と地理にのっとった奉天かというと不明ながらも状況的には現在は瀋陽と呼ばれている都市が、かつて奉天と呼ばれていた時代に似て奉天のある中国東北部をめぐり日本とロシアとの間に何やら不穏な空気が漂っている。

 そんな奉天のとある運送屋の事務所の屋根で昼寝を決め込んでいた雪平という男のところに、クニという名の女の子がたずねて来た所から物語は幕を開ける。聞くと乗り込んでいた捕鯨船「峰越丸(ほうえつまる)」が壊れたから船が欲しいという頼み。そりゃあだめだめ、雪平の務める会社は「かもた運輸」という運送屋だから船くらいあるけど商売道具だから貸せないし、そもそも部品が壊れていて動かせない。

 それでもこれもひとつの縁、というよりかは社長がどこかに行ってしまって暇をもてあましていたこともあった雪平は、エンジニアの槍次を連れてクウのいう捕鯨船をまずは見て、修理できれば修理しようと山の方へと向かって行った。船なのに山? そこがだから普通の歴史と違ったところで普通の世界とも違っている部分。船といっても空を飛ぶ船のことなのだ。

 この世界、空には浮鯨という巨大な生物が時々ながら行き交っていて、人はその鯨が浮かぶ時に使っている浮珠という器官を取り出しては船に組み込むことで浮力を得て、空に船を浮かべて運送に使ったり、戦争にも使ったりしていた。

 クニはそんな鯨を捕まえる捕鯨船の乗組員だったけれども、突然に起こった戦争の煽りを受けたからなのか、襲ってきた戦闘用の襲撃鯱に落とされ仲間は行方不明。仇をとるぞと雪平のいた運送屋に乗り込み、船を借りるか奪うかしようとしたものの、すでに壊れていたその船ではどうしようもないと分かったクニは、雪平の提案を受け入れて沈んだ「峰越丸」を街まで運んで、残った浮珠を雪平たちの運送屋が持つ船「かもた丸」に積み替えようと画策する。

 そしてそこに登場したのが平八郎だ。だから誰なんだ? 牛のことだ。浮く船といっても引っ張る時にはその質量が問題で、ちょっとやそっとの力で引っ張ってもなかなか加速し始めない。それにあまり浮き上がらせると転覆してしまう恐れもあるから、地面すれすれに浮いている状態を保たなくてはいけない。槍次を船の上に載せてバランスをとった関係で船を引っ張る役は雪平ひとり。なかなか動かなかったところにクウがいずこからともなく牛を連れてきてくれた。

 べろべろと雪平をなめまわしたその牛を船につないでさあ「峰越丸」を引っ張らせるぞと意気込んだ雪平たち。最初は牛やらうしやらウシと呼んでもまるで動かなかったその牛を、せっかくだからと名付けて呼んだら動き出した。その名こそが平八郎。牛にも人権ならぬ牛権というものがあって、名を呼ばれることにプライドをくすぐられるのだろう。

 そして頑張った平八郎は、「峰越丸」を街まで運んでどうにか修理の場につけた。そこに現れたのがロシア兵。戦争に使うために浮船を徴用しようと押し掛けてきたからもういけない、逃げだそうと急ぎ「峰越丸」から浮珠などの換装を済ませた「かもた丸」変じて「峰越(みねこし)」に、平八郎はさすがに載せられないから置いていこうと告げた雪平に、クニはどこか残念そうな顔をする。

 ひょんなことから知り合っただけのただの牛でも、いっしょに何かをやるとそこに生まれる関係性。平八郎がそんな感情を抱くとは思えないけど人間として、少女として生き物に抱くそんな感情を平八郎を出すことで感じさせてくれる作者の筆致が、読む目にはなかなかに巧みに映る。

 割れば浮力が消えるという浮珠をどれだけ積んでどう扱えば浮かび、進み降りられるのか。そんな描写もあって乗り物好きメカ好き科学好きな人でもいろいろと楽しめる。そうした操船操舵のテクニックを駆使したバトルの描写も、空戦物や潜水艦物を読んでいるようなスリリングさに溢れている。

 とはいえ切迫した状況ながらも慌てないのか慌てる神経を持っていないのか、泰然として自若とばかりに飄々と動いてどうにかこうにか切り抜けていく雪平のキャラクターと、彼を中心にして描かれ進んでいく物語は読んでいてとても気持ちに温かい。戦況はこれから一段とハードになって哀しい場面も想定できそうだけれども、それでもきっと雪平と槍次とクニとそして平八郎の愉快な一座は、危機を切り抜け仇も討ちつつより大きな物語へと立ち向かっていくのだろう。

 それは国家間の争いなのか。それとも浮鯨の謎そのものに迫る壮大なものになるのか。未だ不明ながらも感動のストーリーという奴をそこに積み上げていってくれるだろうことは確実。行方知れずの鴨田運輸のおやじの登場と、ロシア兵に囲まれながらも我関せずと雪平たちに手を振った林さんの奥さんの再登場にも期待しながら続きを待とう。


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