白貌の伝道師

 絶対の倫理など存在しない。「魔法少女まどか☆マギカ」で魔女と戦う危険の代わりに少女たちの願いをかなえてあげる、人類にとって親切な隣人といった雰囲気で振る舞っていたキュゥべえも、実際には個々の少女の幸福とはまるでかけ離れた、宇宙の平衡のために動いていた。命への慈しみなど欠片もなく、単なるエネルギーの取り出し口として少女たちを捉え、使っては潰しまた使って潰すその繰り返し。およそ人倫から外れた行為を非難されても、「まったく訳が分からないよ」とうそぶいて、理解すら示そうとしなかった。

 人とはまるで違う感性によって育まれた倫理はだから、人が抱く倫理と同じとは限らない。そんな人とは異なる倫理が行使される様を目の当たりにして、驚き怒り憤り、嘆き呆然として立ちすくむ人間がいることは不思議はない。言葉を尽くして非難を浴びせ改めさせようとするかもしれない。けれども相手は人ではない。だから人倫も及ばない。

 人にとっては倫理を外れた暴虐の限りでも、相手にとっては己が倫理の範疇におさまる普通の振る舞い。その齟齬を知って人は何を思えば良いのだろう。「魔法少女まどか☆マギカ」で脚本を手がけた虚淵玄が、以前に発表していた作品を改稿の上に刊行した「白貌の伝道師」(星海社FICTIONS、1080円)を読むことで、倫理観の相容れない存在どうしがぶつかり合って起こる悲惨な光景を目の当たりにし、決断を迫られる。戦うか、滅びるかという決断を。

 荒野で盗賊たちが見かけたのは、フードを被った出で立ちで駄馬に乗って行く線の細い人物。近づいてフードを剥がすと女性ではなく男性だったけれど、その正体はエルフで、武器も持たない姿に盗賊たちは相手を侮り、嘲笑と脅迫の言葉を浴びせる。それも当然で、森に生きるエルフは森にいてこそ幻術を使い人を寄せ付けない力を発揮するけれど、荒野では森の助けは得られず、人にとってほとんど脅威にはならない。

 侮った盗賊たちはからかい半分にそのエルフに近寄って、槍を繰り出して突こうとする。ところが槍が届かない。それどころかエルフがどこからか取り出した刀によって穂先が断ち切られ、弾かれた穂先は盗賊の1人に突き刺さって命を奪う。これは普通ではない。本気を出して挑もうとした矢先。さらに驚くべき事態が起こって盗賊たちは蹂躙される。名をラゼィルというエルフはそして、馬車に捕らえられ、盗賊によって陵辱されていた、人とエルフの間に生まれたハーフエルフのアルシアという娘と連れだって、彼女をそんな立場に追い込んだ人物への復讐を果たそうと歩き出す。

 ハーフエルフとして生まれたアルシアは、エルフの森に暮らしながらも仲間のエルフからは疎外され、悲しみの中で親切にしてくれた人の若者に心を引かれ、エルフと人との関係を深めたいと訴える若者の言葉に心を打たれ、エルフの宝物を若者に渡した途端に裏切られ、盗賊に売り渡された。そんなアルシアを救い出し、彼女が育った森に連れて行っては、裏切り者と糾弾されるアルシアを命ごと貰い受け、ついでに人からエルフの宝物を取り換えそうと提案するラゼィルは、なるほど高潔なエルフとしての倫理観を持った存在に見える。

 けれども、それがとてつもなく見当違いだったことを、紡がれる物語が教えてくれる。宝物は取り戻しても、人との対立はそれほど望んでいなかった森のエルフの思惑をあっさり退ける。人をエルフの森へと招き寄せ、森のエルフには人への憎しみをあおり立てる。エルフとは相容れな人の倫理どころか、仲間であるはずのエルフの倫理すら足蹴にするようラゼィルの振る舞いは、いったい何によるものなのか。美しい白貌に隠された伝道師の正体が晒されたとき、まったく違った倫理観によって動く存在によって現出させられた、想像を絶する陰惨な光景に誰もが恐怖するだろう。

 薄幸の少女への優しさすら、倫理を踏みにじってめぐらされたはかりごとの上に築かれていたものだと分かって、怒りと憎しみの感情を誰もが抱くはず。けれども、そんな怒りは無駄と知れ。憤りなど不毛と知れ。彼に現代日本で流行する言葉への理解があったら、その白貌にピンク色の双眸を輝かせて「まったく訳がわからないよ」とうそぶくだろう。異なる倫理に向けて貫ける怒りの矛、切れる憤りの刃などないのだ。

 だったらどうすればいいのか。蹂躙され陵辱され嘲笑されるにまかせるしかないのか。強くなって相手がどれほどの存在でも、戦って退けられるようにすることがひとつの手。ただ、それには途方もない時間がかかる。破滅の一因となったいわれなき差別を改めるのもひとつの手。仲間で慈しみ合い、敵とも理解し合っていくことで同じ倫理の下に生きるようにすれば良い。とはいえ、人とエルフの外にある、真の敵の倫理観を改めるのはキュゥべえに少女の嘆きを理解させることくらい難しい。

 答えはないのか。それともいつか鉄槌が下るのか。ひとまず閉じられた幕の先に、新たな物語が立ち上がって、絶対の悪が絶対と信じる倫理もまた、絶対ではないことを見せて欲しい。


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