ゴスロリ卓球

 「一言で換言しよう。ゴスロリ少女たちが、ラケットを片手に卓球台の前に現れたのだ。『意味が分かりません』『うむ。芸術を芸術たらしめる必要条件だな』けむに巻くようなことをのたまう老人を無視して俺は疑問を重ねる。『なんで卓球で、なんでゴスロリなんですか。なんで混ぜたんですか。それを』『美しいから。ほかに理由はいらぬ』」(36ページ)

 ある老人と、そして男子高校生とのこんなやりとりが、だいたいのことを言い表していると思ってもらって大丈夫な小説が、蒼山サグによる「ゴスロリ卓球」(電撃文庫、590円)だ。想像すればすぐに分かる。ゴスロリ、すなわちゴシックロリータな衣装で卓球をしている美少女や美女がいる。フリルがいっぱいついてふわふわとした服装は、止まっていればそれだけでも美しい。

 なおかつそこに卓球が加わる。幾重にもなった衣装はただでさえ動きづらいのに、卓球という左右上下への激しい移動と腕の振り、そして体を上に下に動かす動作が要求されるスポーツは、そうした動きづらさを乗りこえてプレーしなくてはらない。当然に生まれる激しいギャップ。おしとやかな淑女が体を下げて足を開き、しっかりと踏ん張ってボールを打ち返す姿に、興奮を誘われない者などいない。あらゆる反論が、そのビジュアルの前に引っ込む。

 そんなゴスロリで行う卓球に、斎木羽麗という女子高生が引っ張り込まれることになったのが、「ゴスロリ卓球」という物語のすべての始まり。卓球場を経営していた父親が何が巨額な借金をして逃亡したらしく、その返済のために羽麗がかり出され、日本のセレブリティたちが退屈凌ぎに行っている行事に、プレイヤーとして参加することを求められた。それが「ゴスロリ×卓球」だった。

 そんな事情を知らず、学校に来なくなり、家からも消えてしまった羽麗を探し出そうと、幼なじみで高校でも同じ卓球部に所属してい坂井修は、荷物を取りに戻ったらしい羽麗を見つけて羽麗の後を追う。その先で、羽麗を連れ去ったらしい老人の正体を知った坂井修は、美少女や美女がゴスロリ衣装で卓球をする姿を、「美しいから。ほかに理由はいらぬ」といったスタンスで楽しむセレブがいて、賭けて稼ぐ人たちもいることを知る。

 そんな異質な世界に身を投じて金を稼ぎ、借金を返して父親の行方を追いたい羽麗に協力しようと、修は羽麗がお金のかかるホテル住まいではない、働く場所と止まる場所を見つけ、密かにゴスロリ卓球に賭けて金を稼いで羽麗をサポートする。そうやって1歩、大きく踏み込んだ修は「ゴスロリ卓球」でゴスロリという衣装が使われる理由が、ただ「美しいから」だけではなかったことを知る。

 何が美の探求だ。事はそれほど単純ではなかったことが、展開からしだいに明らかになっていく。ホテルの存在しない階上での試合などただの入口。羽麗が親の借金返済のためにステップアップし、修も付いていった歌いで繰り広げられる卓球の姿に、IoT時代ならではの卓球でありスポーツの遠からず訪れる変化が見える。

 実はIoT技術を使って、試合中なり練習中なりのスポーツ選手のあらゆるバイタルデータを可視化するという試みは、すでに幾つも研究が行われていて珍しい話ではない。「ゴスロリ卓球」ではそうしたバイタルデータに選手の心理をも組み込んで、より深く状況を把握できるようにして、勝利を目指そうとする登場人物たちの貪欲さが描かれている。

 ひとりひとりの選手があらゆるデータを活用し、試合に挑んで勝利をつかむことは、言葉では簡単だけれど実際に行うとなると、選手ひとりの分析能力では追いつかない。刻々と収拾されるバイタルデータであり、相手の動きでありといったデータを集め、分析して最前を見つけるアナリストが必要になってくる。バレーボールの話になるけれど、データバレーという戦況を分析してアナリストが最前を見つけることが行われている。卓球でもいずれ、バイタルデータに行動パターンを読み取って分析し、勝利を目指そうとする動きが出てくるかもしれない。

 そうした卓球の試合が、老人たちの退屈しのぎに止まらず、全世界的な経済との変動とも関わってくる展開のスケールパップも「ゴスロリ卓球」のユニークなところ。修と羽麗が、そしてライバルたちがバイタルデータと運動データを読み取り、試合中の変化も勘案しながら勝利を目指していく展開に、未来のスポーツの、というより人間たちが営むこの社会の次なるビジョンが見えてくる。IoTによりすべての人間が可変データとして記録され監視され操られる社会の。

 物語は、敗れた者たちが落ちる奈落の存在が示されて、より凄まじい卓球の存在を予想させる。羽麗の父親はそこにいるのか。だったら助けに行かなければ。そして文字通りに奈落の底で、羽麗と修はどれだけの激しい戦いを余儀なくされるのか。そして見事に勝ち抜いて目標にたどり着くことができるのか。奈落で場所で繰り広げられるゴスロリ姿での卓球は、いったいどれほど美しいのかも含めて続きが気になる。期して刊行を待とう。


積ん読パラダイスへ戻る