グッドラック 戦闘妖精・雪風

 新聞の1面分に掲載可能な原稿の量はおよそ12字×500行。400字詰めでせいぜい15枚程度の情報量でしかなく、それが20ページあったとしても、世の中のすべての出来事を等しく掲載することはかなわない。いきおい出来事を読者のニーズや新聞独自の判断基準に合わせて順位付け、上から10本程度をピックアップして掲載するよりほかになく、当然数あるメディアのどこにも掲載されない出来事が山のように発生し、連日連夜積み重なる。読者はそうした出来事があったことを知らずに日常生活を送って行く。

 それでも大過なく日常は過ぎるもの、大なり小なり必要な情報はきちんと伝えられているものと見える。なるほど新聞ほかメディアが行っている価値判断や順位付けも、マスを対象にしたものという観点でならば、十分に機能していると言えそうだ。しかしこれだけは注意しておかなくてはならない。新聞に掲載されなかった、あるいはテレビで放映されなかった出来事は決して「なかったこと」ではないということに。

 今は正しく機能しているメディアの価値判断や順位付けが、もしも正常に働かなくなってしまったらどうなるのだろうか。マスが大なり小なり必要としている情報であるにも関わらず、意図的に、あるいはまったく誰もが関知しないうちに除外され紙面には掲載されずテレビでも放送されず、為に人々の元へと届かなくなってしまったとしたら。知らず人々は異星人の侵略すら受けているかもしれないという、畏怖すべき事態が起こりうる可能性が、神林長平の「グッドラック 戦闘妖精・雪風」(早川書房、1800円)で示唆されている。

 前作「戦闘妖精・雪風」から続くフェアリイ星を舞台に未知の異星体<ジャム>と戦う地球防衛機構の実戦組織<FAF>の活動を描いたシリーズの最新作。南極に「通路」を打ち込み侵攻して来たジャムを通路の向こう側へと押し戻し、戦場をフェアリイ星へと移して通路の攻防へと戦いが移行してから約30年。彼方で今も続いている激しい戦闘は、けれども地球ではどこのメディアも些事としてすら取り上げない事態に堕しており、ジャーナリストのリン・ジャクスンがジャムとフェアリイ軍との戦争を描いたノンフィクション「ジ・インベーダー」すらが、ファンタジーとして読まれるようになってしまっている。

 「戦闘妖精・雪風」のラストで乗機「雪風」から戦闘の邪魔になるからと放り出され、肉体とともに心にも傷を追った特殊戦のパイロット、深井零は「グッドラック」冒頭のエピソード「ショック・ウエーヴ」の中で、中枢コンピュータの情報を転送されて蘇った新「雪風」から自分がまだ必要とされていることを理解し復活する。再起の途中でいったん除隊を経験することになった零は、地球へと帰還しそこでフェアリイ星の出来事の一切が報道されておらずまた、誰もがジャムとの戦いを現実の出来事と認識していないことを知り愕然とする。

 自分が命をかけてまで戦って来た相手ジャム。目の前に存在する敵をけれども遠く離れた地球の人々はすっかり忘れてしまっている。「グッドラック」の第2話にあたる「戦士の休暇」で零が感じた違和感は、前作で零が傷つく原因となったジャムの新しい戦略とも関わり、一段の深刻さを増して人類に襲いかかる。

 戦闘機なりコンピュータといった機械こそが真の相手と言わんばかりに、無人の戦闘機を作って攻撃して来たジャムが、それら機械を作り操作している人間の存在に気付いて興味を持ち、人間そっくりの生命体を作り人間とすり替えようとしている。そしてすでにフェアリイ空軍の別の基地で人間モドキがすり替わりに成功しているかもしれないという懸念が、第1話「ショック・ウェーヴ」で可能性として示唆され、なおかつ「戦士の休暇」でジャムはすでに地球へと入り込み、情報操作を行い密かに侵略を進行させているかもしれないという可能性が零の想像を通じて示唆される。

 以後、物語はジャムという未知の存在が人間という存在に気付き、というより理解できない存在として興味を示し、接触してくるエピソードを挟みながら、膠着状態にあった過去30年の攻防が一転して、ジャムとフェアリイ空軍との激化し緊迫化していく戦闘の模様が描かれる。ただ地球の人ばかりが、かくも激しく緊迫感にあふれたフェアリイ星の出来事に気付かず、漫然として日常を送っている。たとえ過去30年にわたるジャムとの戦いで最大の危機に直面していようとも、おそらく地球の人々はそれに気付いて再び身を引き締めようとはしていないだろう。

 零の仮説が正しければ、ジャムによって情報から隔絶されているから気付かないのも仕方がない、といった言い訳はできる。だが決して終結してはおらず、命を賭してジャムと戦っている人々が存在する事実は厳然として存在しながらも、知らないこと、伝えられなかったことは「なかったこと」にしてしまう人間の心理が怖い。情報門が発達し、伝達手段が高度化すればするほどそれに依存しそこから来ない情報は「なかったこと」にしてしまう心理が恐しい。小説に限らず世界で起こっている様々な出来事、身近に言えば霞ヶ関で、永田町で起こっている様々な出来事でさえも「伝えられず」「知らなかった」ために「なかったこと」にしかねないことを考えると、その恐怖感は十分に伝わるだろう。

 機械と人との違いや、未知の存在でかつ手段を持たない相手とのコミュニケーションの難しさといった、読みどころは有りすぎるくらいに多々有る「グッドラック 戦闘妖精・雪風」。卓越した戦闘描写や綿密なミリタリー描写、軍隊という組織の描写、そして登場人物たちの揺れ動き戸惑う心理描写を楽しむのももちろん手ではある。だが、未知の異星体などではなく同じ人間に知らず殺されかねないという恐怖心が、見えない敵に知らず殺されるのはまっぴらだという零の、だからこそ目の前の敵と戦い殺されるのだったら構わないという気持ちに共感を及ぼす。

 「知らないこと」「伝わらなかったこと」を「なかったこと」にしない大切さに気付いて欲しい。そして「知らないこと」「伝わらなかったこと」を「なかったこと」にさせない情報収集力と情報分析力を持つ必要性を感じて欲しい。だからこそ「書いてあること」でも「なかったこと」にしないよう誰もが「グッドラック」を手に取り中身を読んで欲しい。


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