にはまう 死人視

 虐げられ、脅かされて惑う居場所への想いも切実だが、崇められ、奉られているだけの居場所に抱く複雑な想いも、また切実だ。憎悪を向けて己を高める相手の不在が、行き場のない感情を内へと向かわせ、迷わせる。

 f−Clan文庫から出た水瀬桂子の「妓楼には鍵の姫が住まう−死人視の男−」(三笠書房、571円)にはそんな、曖昧な居場所に迷う者たちの、あがきと叫びが綴られる。江戸時代が十六代将軍に入った架空の歴史線の上。吉原に入り浸る大店の次男、誠二は、放蕩の穀潰しと嘲られ、真面目に店を切り回す兄から、激しく疎まれている。

 ありきたりの不出来な弟? そうではない。赤ん坊の頃に一度、死んでしまったものの、母親が稲荷を祀った祠に祈ったところ、息を吹き返した。なぜか店はそれ以降、大繁盛して日本橋あたりでも目立つ大店に。誠二は守り神として崇められ、放蕩を父に許されるようになった。

 けれども。天佑のような立場は、己自身の無能を示されているようで、誠二はどこかに虚しさを感じて生きていた。なおかつ誠二には、眼帯で覆った左目に死んだ人の霊が見える能力が備わっていて、半死人というわが身に貼られたレッテルを、強く自覚させるようになっていた。

 もう何者にもなれないという思い。何をしても自分の力と認められない虚しさ。それでいて留まり続けなければならない悲しみ。だから誠二は、誰にも心を開かず、吉原に行っても口先だけで花魁と懇ろになり、それを見抜かれながらも改めないで、怠惰な日々を続けていた、そんなある夜。

 足繁く通っている妓楼、松川屋の廊下で、かつて馴染みだったものの、身請けされそして殺害された遊月という花魁が、霊となって立っている姿を誠二は視た。それと同時に、どこかから現れた美貌の少女とも出合い、声をかけられ、その能力を見抜かれた。

 紅羽という名の少女は、普通だったら花魁になる途上にあって、修行に勤しんでいる年端。けれどもまた、彼女も誠二と同じように、どこにでも出入りできる不思議な力を持っていたがために、伎楼から守り神のように扱われ、一室をあてがわれ、美貌の男に世話をさせて暮らしていた。

 お上にも通じているらしい紅羽の誘いに、はじめのうちは無関心さを装って、それまでどおりの暮らしを続けようとしていた誠二だったが、夕月も被害者のひとりに含まれる、江戸の街で相次ぐ殺人事件の解明に、協力するよ命じてきた紅羽の言葉を受け入れ、共に事件の謎へと挑む。

 ただいるだけで、崇められ奉られる生活を、羨ましいと思う気持ちがある一方で、一端の人間として生まれてきたからには、自らの足で屹立したいという思いもある。だったら自分で立てば良いし、歩き出せばいいのに、誠二はそれをせず、怠惰な生活に甘んじていた。それでいて世を儚んでいた。

 対して紅羽は、あてがわれた居場所に甘んじることを潔しとせず、己の能力を生かし、自分の価値を認めさせることで自分自身の生を得た。その差異が、誠二の沈んだ心を拾い、日の光の下へと引っ張り出す。そこにもうひとり、誠二や紅羽と同じように、居場所のなさに悶える翡翠丸という祈祷師の少年も出てきて2人に絡む。

 似ているようで、まったく別々の方向を向いていた3人が、絡み合い、重なり合って見えてきた進むべき道。無理矢理作った居場所だったがため、やがて綻びが出て破綻へと追い込まれてしまった翡翠丸から学び、父の情愛を垣間見て、逃げていただけの自分を改めた誠二から虚しさに浸る無意味さを学び、紅羽から強く生きる確かさを学びたい。

 読み始めて浮かぶ怪事件への謎と興味。読みながら感じる自分という存在への懐疑と確信。読み終えて浮かぶ感涙と感動。それらをたった600円で味わえるのだからもうこれは読むしかない。

 本当や優しい誠二の良さを見極め、本当は寂しい紅羽の心に気づいて2人を結び合わせる夕月の優しさにも泣ける。水瀬桂子の「妓楼には鍵の姫が住まう−死人視の男−」は、紛う事なき傑作であり、これからも描き嗣がれていって欲しいシリーズだ。


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