銀盤カレイドスコープ VOL.4
リトル・プログラム:Big sisiter but sister

 偉大な姉を持てば苦労するのは当たり前。でもって尊大な姉を持てばこれまた当然のように苦労する。ならば偉大で存在な姉だったら? 苦労どころか苦闘と苦悶の4回転ジャンプ。偉大さの輝きに自分の存在を消されて落ち込んでいるところに、尊大さのかかと落としが炸裂しては氷の中へと下半身をめり込まされ、寒さと痛みに打ち震えることになる。

 桜野ヨーコは女子フィギュアスケーターで12歳で、シニアの下のジュニアの更に下、ノービスクラスの選手として、競技会に出場しながらも偉大で尊大な姉を持った苦労に毎日毎時間を悩ませられて来た。姉の名は桜野タズサ。口の悪さでは世界トップクラスの実力者で、群がるマスコミに悪態をついては反感を持たれて罵倒され、けれども実力の高さでシングルでも、ペアでも世界トップクラスの演技を披露し喝采を浴びていた。

 そんな姉を持った桜野ヨーコの苦労とは? 悪態をつく姉への記者たちの恨みが向けられるんだったら分かりやすい。問題は悪魔のような姉とは対照的な天使としてヨーコにマスコミが接してくること。妹に優しく接することで姉への憤りを解消しょうとするそのスタンス、ヨーコのフィギュアスケーターとしての実力を、高くも低くも認めず姉の代替物としか見ていなくって、知らずヨーコの心をささくれ立たせる。

 最初のうちはごくごく普通に他人と接していただけなのかもしれない。悪魔のような姉との対比でそれが天使のように映っただけなのかもしれない。けれども過剰ないたわりは時として残酷な剣となる。ヨーコはタズサとは違う。実力も及んでいなければ才能にもまだ姉と比肩するものがない。そんなヨーコを愛でるマスコミは結果としてヨーコの人格を蔑ろにしている。素直に喜べるはずがない。

 何よりヨーコは誰よりも知っている。姉のタズサが自分などではとうてい追いつけない実力と才能の持ち主であることを。競技者として同じ世界を目指していながらも、厳然としてつきつけられているその事実を前にして、12歳ながらもヨーコは壁を感じ挫折を覚えて迷っていた。そんな深い霧に包まれたようなヨーコの日常に変化が訪れる。

 ヨーコにはライバルがいた。神尾来夢という名の少女はノービスクラスでは日本でもトップクラスの実力の持ち主と目され、競技会でもヨーコなどとうてい及ばないトップを何度も獲得しては桜野タズサに1番近い存在と言われ讃えられていた。そんな彼女が姉のタズサからアドバイスを受ける。自分ですら教えてもらったことのない、というより気恥ずかしさととっぴりの腹立たしさもあってか、教えてと頼めなかった姉からライバルの少女がアドバイスを受けてる。

 募るプレッシャーにつぶされ漂う空虚感に流され、ヨーコはフィギュアスケートをやめようと考える。レッスンの場所から逃げ出し二度と帰るもんかと決心する。けれども残る未練にジュニアクラスのスケーターでヨーコが慕う遠山秀吾の言葉もあって、最後の決断をするために真夜中のリンクへと向かう。そこに待っていたのは……。

 なるほど偉大でかつ尊大。雲上のさらに彼方をこれ見よがしに羽ばたく姉の、けれども自分と同じ人間として、少女として悩みもしたし苦しみもした姿を知り、厳しさと裏表の優しさを持っていたことを知ってヨーコは頑張ろう、頑張って自分の好きなことをやり続けようと決意する。実力も熱意もありながらスケートを続けられなかった多くの人たち。それに比べて恵まれ過ぎている自分に気付いて、前を向きスケートシューズを履いて再びリンクを滑り始める。

 人を想う素晴らしさと人から想われる嬉しさ。そんなものが沸き上がって来るストーリーに心温められて泣かされる。ヨーコが挑む競技会。フィギュアスケートのシーンはまるで映像を見えられているかのようなリアルさで、ジャンプが成功して演技がパーフェクトに結ばれた時に選手が味わう感動が、自分のことのように頭の中に浮かんでくる。秀吾の目がタズサを向いていた構わない。姉が偉大で尊大だからって大丈夫。頑張ること。精一杯に頑張ることで得られる多くのことがあるんだと教えられる。

 安藤美姫に村主章枝に荒川静香に恩田美栄に浅田真央・舞の姉妹。かつてないほど分厚い選手層を誇って日本のフィギュアスケート界はかつてないほどの注目を集めてる。2006年はトリノで冬季五輪も開かれて、日本人フィギュアスケーターの活躍に多くの目が集まりそう。そんな追い風の中で日本で唯一、そして最高の面白さをもった小説が「銀盤カレイドスコープ」シリーズ。世間の関心を呼ばないはずがない。

 ヨーコの内面の奥までが描かれ、来夢や秀吾らが加わり厚くなったキャラクター層の上で、悪口雑言罵詈雑言の女傑から妹思いの優しい姉へと深さを増したタズサの一段の活躍が見てみたい。あるいは遠く及ばなかった姉の背中を見ようと張り切るヨーコの猛追の物語が。いずれにしてもまだまだ続きそうな「銀盤カレイドスコープ」のこれからに、世界選手権や五輪での日本人選手の活躍ともども期待、そして注目したい。そうせずにはいられない。


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