月光魔術團 春の魔法使い

 平井和正は、僕のなかではもう終わってしまっていた作家だった。

 中学の時に出会って以来、僕は平井和正がえぐり出す、人間の奥底に潜む情念のパワーに魅せられて、平井和正の熱狂的なファンになっていた。書店や図書館にあった平井和正の作品のほとんどを、1年ほどの間に読み尽くしてしまった。

 なかでも「ウルフガイ・シリーズ」は、狼男という、西洋的な概念では醜悪で忌むべき存在が、弱い者には決して牙をむこうとしない、孤高のヒーローとして描かれていて、そのカッコ良さ、その力強さにたちまち虜になってしまっていた。

 「幻魔大戦」のブームで平井和正の名前が知れ渡るようになり、僕は嬉しかった。角川書店と徳間書店のシリーズは快調に書き継がれ、SFマガジンに連載されていたコミックも単行本化された。そして、角川版の「幻魔大戦」が、大友克洋のキャラクターによってアニメ化された所で、僕の平井和正への関心はピークを迎える。

 人間の精神の暗黒面を、幻魔という存在によって示そうとしていた「幻魔大戦」が、アニメでは超能力者と怪物の派手なバトルという、分かりやすい絵柄に置き換えられてしまっていて、活字によって語られていた、人の心が迷い惑わされる様を、画面から感じとることができなかった。アニメの閉幕とともに「幻魔大戦」ブームは潮が引くように消えていった。活字の「幻魔大戦」は、主人公の東丈がいずこへともなく消え失せ、主を失った小説は、やがて暗いビジョンだけを残して終幕していく。

 映画「幻魔大戦」の後も「ハルマゲドン」シリーズは書き継がれ、「ウルフガイ・シリーズ」の新作も発表された。その幾つかを僕は読んたが、中学時代、高校時代に感じたあのパワーを、僕はこれらの新作から受け取ることができなかった。社会への憤りを激しい言葉に託して紡ぎ出す平井和正に、大人になりつつあった僕はついていけなくなっていた

 好きなのに読めなかった。好きだったから読めなかった。至高の読書体験を与えてくれた平井和正の思い出を、絶対に壊したくなかった。

 平井和正は、僕が僕のなかで終わらせてしまっていた作家だった。


 だから。


 ライオンのたてがみのようなヘアースタイルをした女性が、不敵な笑みを浮かべて挑むような視線を向けている表紙絵のノベルズを見かけた時、それが平井和正の新しい小説だと解っても、すぐさま手に取ることができなかった。表紙絵が発する得体の知れないパワーを、僕はただの見せかけだと疑っていた。団鬼六の小説が同じ文庫に入ることを嫌って、出版社の社長に手紙を送った平井和正である。エロスとバイオレンスでいっぱいの、パワーほとばしる小説を再び書くとは思えなかった。

 しかし、こんな考えは大きく、それも良い方向に裏切られた。僕が平井和正を読まなかった10年の間に、平井和正は幾度目かの大きな変貌を遂げていたのだった。

 コミック版「狼の紋章」のシナリオとして意図された作品が、降臨した言霊によって新しいウルフガイ・シリーズへと導かれた。それがこの「月光魔術團」(アスペクト、780円)である。主人公は、暴力が支配する学園に転校して来た「少女」犬神明(メイ)。己の感情を内に秘めたまま、ひたすら周囲との関わりを避けようとしてかなわず、意にそわない戦いへと巻き込まれていった「少年」犬神明とは対照的に、「少女」犬神メイは、周囲の敵意も好意もいっさい気にとめず、己の感情の赴くまま、ひたすら疾走し続ける。そんな「少女」の陽気のオーラによって、パワフルだけど陰鬱だった平井和正の作品が、ドライブ感あふれる痛快無比なエンターテインメントへと変わっている。

 どろどろとした情念の世界に、10代の鬱屈した感情をぶつけていた時とは違い、圧倒的なパワーを誇り、圧倒的な存在感を発揮する主人公の活躍に、ひたすら快哉を叫び続けている自分に気が付く。

 「月光魔術團」によって僕は、かつてのような熱狂を、平井和正に対して抱けそうな気が、再びしている。

 「少年」は悩みを内に秘めたまま悶々としていた。「少女」は悩みなどないかのように陽気にふるまう。時代の変化、社会の変化、人間の変化を敏感に、そして繊細にわがものとして、平井和正は果てしない進化を続ける。

 もう迷いはない。彼についていこう。


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