瓦礫の楽園

 男の脳が美少女の体に移植される、というと真っ先に弓月光さん「ボクの初体験」を思い出してしまうあたりに年齢とか趣味思考が反映されているようで、これがロバート・A・ハインラインの「悪徳なんてこわくない」だったらもうちょっと違った趣味思考の持ち主かもしれないと思ってもらえたかもしれないけれど、少女漫画好きもSF好きも世間一般的にはさして差がある訳でもないから、どちらが好きかはこの際関係ないのかもしれない。

 もっとも両書とも女性になることによって起こるさまざ戸惑いなり立場の変化なりを描いているという点で、トランスジェンダーの問題について語られている部分があって、気になる人にはいずれ劣らぬ必読の書、ということは言えるだろう。みかけと中味のギャップが醸し出す面白さを狙った秋本治の「ミスター・クリス」とは、その点でちょっと区分が違ってくる可能性はある。

 吉川博尉(よしかわひろやす)の単行本「瓦礫の楽園」(ラ・ポート、505円)に入っている「九龍遊記」は、見かけ12歳くらいのチャイナ服姿の美少女が、実は脳だけ50歳くらいは行ってそうな髭面で禿頭の格闘技大好き親父だという設定を背景に、果たして彼女(彼)を愛せるか、という問題を突きつけらるストーリー。男の側から見た戸惑いはあっても、肉体を変えられた側の迷いはそれほどなく、ジェンダーに関する考察めいたものはないけれど、部分部分に未来を悩む描写があって、「ミスター・クリス」よりは脳天気さは薄まっている。

 もっとも同じキャラクターが登場する「老爺西洋餅」になると、娘を襲うと脅された例の親父が再び美少女の体に入るという設定で、肉体の性別の無関係さが際だってあまり意味を持たなくなるから、冒頭の2作ともやはり切り放してとらえた方が良さそう。代わりというのも変だけど、かつてパシリにしていた幼なじみの復讐だったという展開と、その幼なじみが作った創作パンの珍妙さ(「不精パン」に「カイゼルパン」に「仙人パン」、共通項はヒゲ!)は愉快で、美少女の愛苦しさともども楽しめる。

 とにかく自分の体を探して歩く、細くて小さいけれども病的な感じは全然しない美少女を見ると、脳が50過ぎた親父だろうと関係ない、なんて気持ちにさせられても仕方がないくらいに可愛いから困ってしまう。トップに入っている「怪盗花丸団」は、ドロボウ稼業を続けている少女1人に少年2人が新しい仲間に出会う話で「中国人形シリーズ」とはつながっていないけれど、主人公の少女の勝ち気だったり脅えてみたり恥ずかしがったりと、豊かに変化する表情が面白い。とにくに目の表情が何とも良い。

 著者紹介には「耽美派の代表、キイカ改め吉川博尉」とあって、ここでいう耽美がカラーの口絵に見られるちょっとばかり頽廃ムードの漂う絵柄から来ているのか、他の同人誌のような場所で活躍している時の作風によるものなのかは分からないけれど、レトロな品々を足下に屹立する少女の表紙絵ひとつとっても、「瓦礫の少女」に入っている作品には”ボーイズラブ”といった耽美とイコールでつなげられやすい主題は見えない。その意味で男女問わず年齢も幅広く楽しめる単行本といえるだろう。

 トーキーの導入でクビになりかかった女優の権田原ため子さん(仮名)が財布を摺られた映画監督と出会って入った喫茶店で不思議な人々に出会い不思議な体験をする「カフェ・ド・ソワレ」はあるいは耽美に近いのかもしれないけれど、ハンカチを噛みしめ拳を握るため子さんの絵柄や、クビになった腹いせに放火しようとする言動、といった笑いの要素もあって純粋に楽しめる1本。様式化され過ぎていない藤原カムイ、とでも言えそうな昭和初期風の絵柄と幻想的な展開も良い。

 巻末の「レプリカ」は、題名が表しているように美少女アンドロイドの話で、世間知らずのアンドロイドがカップラーメンを見て「なんちゃって」に似たポーズを取って美味しそうに食べるシーンが目に楽しい。あと「ああこの下駄、鼻緒が緩くて走り難いわ!」と言いながら懸命に走るシーン部分とか。メイド服のアンドロイドはドジでなければならない、という有史以来の法則を守っている点でもはやいささかの文句もない。

 ともかく絵は良く話のテンポも楽しい漫画家で、好き嫌いで言うところの「かなり好き」にチェックできるだろうことは確実。どんな場所で活躍している人かは分からないし他の場所でお目にかかった記憶もないけれど、これをきっかけにほかの場所での活動にも注目したいし、広い舞台での活躍にも期待したい。


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