硝子の太陽R ノワール  硝子の太陽R ルージュ

 「ストロベリーナイト」をはじめとした姫川玲子のシリーズも、SATの女性隊員たちが登場し、東弘樹警部というベテラン刑事の活躍もある<ジウ>サーガにも触れたことがなく、両作品を題材にしたテレビドラマも映画も見てない人間にとって、どういった俳優や女優が、姫川玲子や東弘樹といったキャラクターを、どういった雰囲気で演じているのかが分からない。

 そもそもどういう設定の話で、登場するキャラクターたちの関係性もほとんど知らないまま、両作品ともとりあえず警視庁が舞台となった警官物だといった薄い知識で読んで面白がれるのかと問われれば、まったくもって平気だと答えよう。それが誉田哲也の代表作とも言える<ジウ>サーガと、姫川礼子シリーズのコラボレーション作品「硝子の太陽」の「N」と「R」だ。

 まずは「N」と名付けられた「硝子の太陽N ノワール」(中央公論新社、1500円)。新宿署に勤務する東弘樹警部を軸にして、沖縄の反基地活動に絡んでパトロン的な振る舞いをしている男が逮捕された事件を発端にしつつ、フリーライターが殺害され、「歌舞伎町セブン」という歌舞伎町の闇に暗躍して、彼らなりの正義を成す存在が見え、そして行き過ぎた思いが招く狂気のような事態が浮かび上がって、東警部を引きずり回す。

 東警部自身は、そうした連続する殺人事件に携わらせてもらえず、新宿署の公安が引っ張ってしまった反基地運動の支援者を、事件が担当の刑事であるにも関わらず聴取するという、警察内部の縄張り争いとも思想犯への配慮とも言えそうな状況に甘んじていながら、人脈を使って情報を仕入れ、伝をたどって真相へと迫ってく展開が面白い。

 そんな物語の軸にあるのは、米軍の基地が今なお多く存在し、日米安保条約に頼っている日本を変えてやろうという思い。そこで気になるのは、米軍基地を無くして日本を本当の意味で独立させたいといった発想は、どちらかといえば保守的な考えだということ。占領下に作られた日本国憲法を変え、日本を本当に独立した国にしようとといった右翼的とも言える思想から出て不思議はない。

 けれども、行動に出たのは、沖縄で反基地闘争を繰り広げている左翼的と呼ばれている層。逆にネットなどで隣国を差別的に非難し、愛国的な教育を推進し、憲法をねじ曲げて戦争が出来る国にしようとしている政権を支持する保守的と言われる層は、GHQによる統制下で骨抜きにされた日本を取り戻すと言いながら、米軍基地を日本から無くそうとする動きを左翼的といって攻撃する。

 どうにも矛盾した言行。右翼だ左翼だ保守だ革新だといったレッテルは、自分とそりが合わない相手を攻撃するための呪文のようなもので、それを張ることで世間が受ける印象に寄りかかっているだけで、中身を精査したものではないのかもしれない。そんな表層でのレッテル貼りの裏側で進行する深刻な事態。気がついた時にはもう遅く、この国は今までとは違う場所に立ち、危険な場所へと向かっているのかもしれない。

 所轄の警察署ではなく、警視庁の本庁に所属する刑事の姫川玲子をメインで描いた「硝子の太陽R」(光文社、1600円)の方では、共にGHQによる洗脳プログラムと言われるものを掲げて、戦後に骨抜きにされた日本を憤っている思想が繰り出される。誉田哲也は「武士道ジェネレーション」で、登場人物を“ネットde真実”と呼ばれる、ネットにはびこる風説を信じて隣国への反発を語る登場人物を描いていただけに、自身がそうした思想を抱いているのかといった想像も浮かんだ。

 けれども、「硝子の太陽R ルージュ」という物語の中では、日米安保条約なり、日米地位協定といったもので米軍基地が保護され、日本人の人権がないがしろにされている、どこか隷属的な関係にある状況が生んだ悲劇を描いてみせた。反基地運動を左翼的と貶す右翼層なり保守層とは違ったスタンスは、レッテルに惑わされず、自分の目で見て耳で聞いたことから、この国のあり方を探ろうとする境地に至っている現れなのかもしれない。

 そんな「硝子の太陽R」は、祖師谷で起こった一家惨殺事件の捜査に乗り出していた姫川玲子が、東警部の知り合いだったフリーライターが殺害されたという、「N」の方でメインに描かれる事件にかり出されながらも、一家惨殺の方に気持ちを残して、その犯人に迫っていく、といった展開になっている。

 手がかりを求めて東警部を訪ねていくシーンは、「N」と「R」の両方に登場して、双方が相手をどう見ていたかをそれぞれの視点で描いてあって、自分を客体として見る必要性を感じられる。ガンテツと呼ばれる、姫川玲子シリーズで蛇蝎のように嫌われている刑事が東警部を訪れた場面では、互いに腹を探り合いながら明かされず、表面を取り繕って会話する裏がそれぞれに描かれていて、駆け引きというものの大変さを教えられる。

 見立てがピタリとはまったはずのものが、意外な展開が待っていて思い込みといったものの危険さを教えられるという部分でも読ませる物語。あれだけの証拠が目の前にあって、条件がそろっていれば誰だってそう思うだろう。事件は一筋縄ではいかない。

 そんな「硝子の太陽R」で、姫川玲子のチームにとってまたしても大きな進展があった様子。コラボレーションというお祭り作品という意味合いもありつつ、シリーズの今後を見ていく上で外せない作品と言えそう。「硝子の太陽N」の場合も、「歌舞伎町セブン」という同名の物語で主役を張ったチームの今後を伺う上で必読だ。

 「N」と「R」を読んで、現在地をつかんだ<ジウ>サーガと姫川玲子シリーズを、遡って理解してくとしたらどれから読むべきだろうか。「歌舞伎町セブン」はやはり必須か。あとは「ストロベリーナイト」か。両作品の映画やテレビドラマを見て、役者から人物像を掴んで小説を読み返せば、また違う風景も見えるかもしれない。


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