月魚
FISH ON THE MOON

 才能は時として他人を傷つける。持つ者と、持たざる者との間に妬み、嫉みが生まれるように傑出した才能はそれを持てなかった者の心に醒めた炎を燃やさせ、口元に浮かんだ笑み、口腔より発せられた賞賛の裏側に澱を沈殿させていく。やがて澱はたぎるマグマとなって爆発し、持たざる者のプライドと引き替えに持つ者の心を凍えさす。

 けれども才能は多くして人々に幸福をもたらす。才能を認め世に送り出す役割を果たした者には至福の体験を、才能を知らないでいる者にも知らず天より授かったと思うだろう豊饒の恵みをもたらす。発明。発見。冒険。奇跡。現れる形はあまざまあれど、才能によって生み出されたものによって人々は勇気づけられ、命を救われ、魂を洗われる。

 才能によって翻弄され、悩み、おののく人々がいる。けれども才能によって救われ、高められ、結ばれていく人々がいる。才能。その諸刃の剣ともいえる存在がもたらした離別と邂逅、決別と再会、反抗と理解の諸相を、2人の青年をめぐる物語に仮託して描いたのが三浦しをんの小説「月魚」(角川書店、1800円)だ。

 青年の1人は瀬名垣太一と言って古本を扱う仕事をしている。有り体の古本屋とは違って自分では店を持たずただ事務所だけを構え、蔵書家が亡くなったと聞けばかけつけて蔵書をまるごと買い取りめぼしいものを市に出して益を得る、いわゆる「卸」専門の古本屋として活動している。

 もう1人の青年は名を真志喜。古書界にその人ありと謳われた祖父の開いた古書店「無窮堂」の若き3代目で、知識と経験がものを言う古本業界の中にあって24歳ながらもいっぱしの評価を得ている。瀬名垣とは幼なじみで、今もまた同じ世界に身を置く2人。とは言え性格にはずいぶんと違いがあるようで、言ってしまえば商品でしかない古本に、真志喜は妙に気持ちを入れる気配があって、商売に撤する瀬名垣から時おり忠告を受けているが直らない。

 逆に瀬名垣も真志喜どころか古書業界の重鎮も認める才能を持ちながら、商売人に徹し「卸」に徹して勧められても店を構えようとはしない。その日も田舎に出物の蔵書があって買い付けに行くから手伝ってくれないかと、「無窮堂」の真志喜をたずねて来ては、お互いのスタンスの違いを非難しあいながらも酒を酌み交わし、昔話に花を咲かせていた。

 かつて瀬名垣の父親が、「せどり」と呼ばれる古本を扱う人々の中でも決して高くは見られない仕事で日本中を転々としていた時、クズ本の中から金になりそうな本を探し、あるいは価値を知らない古本屋から何くわぬ顔で安く買って専門の古本屋に高く売って差額で設ける「せどり」にあって、本好きの一面を匂わせる瀬名垣の父親を目にかけたのが、「無窮堂」の初代で真志喜にとっては祖父となる本田翁だった。

 そのお陰もあって関東に居着くようになり、「無窮堂」に出入りするようになった父に連れられて言った瀬名垣は、1つ年下の9歳だった真志喜と出会う。以来15年近くに及ぶ付き合いになる2人。にも関わらず彼らは「親友」ではなかった。「親友ごっこ」をしているだけだった。それが証拠に真志喜は瀬名垣のことを名前の「太一」ではなく名字で呼ぶ。瀬名垣は瀬名垣で快活なようでいてどこか卑屈さを漂わせながら「無窮堂」の敷居をまたぐ。

 幼なじみで親友だった2人の間を「ごっこ」に変えてしまったものこそが、才能をめぐる持てる者と持たざる者との間に起こった冷徹なドラマだった。父親とは比べるべくもない才能ととして運を持っていた瀬名垣が無邪気にも起こしてしまったある出来事が、真志喜の父親を出奔させ瀬名垣の父親の身を古本の世界から引かせ、息子2人の間にいかんともしがたい溝を作った。

 お互いに古本屋としての才を持ち、認め合いかつ幼なじみでありながら、ひとつ太陽の正反対を同じ軌道で周り続ける惑星のように、決して重なり合えない関係となってしまった瀬名垣と真志喜。それでも良しとしながら「ごっこ」を続けていた2人を、けれども運命は残酷にもいっそうの危機へと追い込んでいく。

 古いトラックを運転してようやくたどり着いた田舎の蔵書家の家。遺族として応対に出た妻をおしのけて、親族が持ち出した「別の古本屋と値段を競わせる」という業界の慣行を破る所業を受けてしまった瀬名垣と真志喜の前に現れたのは、まさしく過去の亡霊ともいえる存在だった。2人は才能がもたらした悲劇の清算を迫られる。

 動揺。逡巡。躊躇。けれども2人は才能がもたらす喜びへとその身を委ねる。悲劇が清算されたかと言うと、決して消え去った訳ではなく、瀬名垣と真志喜の心に刻まれた傷が癒された訳でもたぶんない。けれども才能に溺れた挙げ句に凍えていた心は、才能を生かす道を見つけて確実に融解へ方向へと進みはじめた。長編「月魚」の大部分を締める章「水底の魚」のエピローグ、冒頭と一見変わりない「無窮堂」の夕べに吹く風の柔らかさ、優しさにきっと誰もが魂を洗われる気持ちを味わうことだろう。

 まだ高校生だった真志喜と瀬名垣の不思議な関係を、幽玄の趣にあふれた古書店に暮らす少年の姿を思い浮かべては小説に書いていた教師の目から描いたのが、巻末に収録の短い物語「水に沈んだ私の村」だ。

 教師は感じる。「闇の中で叫び声の上がった場所に、お互いになかなか辿りつけないでいる。傷の存在に気づいているのに、なかなか部位を探り当てられないでいる。そんな彼らのもどかしさと苛立ち」。そして教師は真喜志に言う。「そうかな……もしそうだとしても、それは君が若いから、どうしても取り戻したいと願わずにはおれない喪失を、まだ知らないだけかもしれない」。

 教師は続ける。「いつか君たちのことを書こう」「君たちのこれからのことを」。あるいは「水底の魚」に描かれた再生の物語は、この教師がかなえたあの夏の約束かもしれず、現実の瀬名垣と真志喜は今もなお辿りつけないままでいるのかもしれない。「水に沈んだ私の村」が敢えて巻末に挿入され、そのエンディングで示唆された言葉がいささか哀しい想像を呼び起こす。

 が、17歳の夏の頂点の日を、永遠のものにしたいと願った真志喜の想いが心よりのものだったのなら、たとえ出来すぎでも、幸せにあふれすぎたものだったとしても、「水底の魚」のエピローグは2人にとって真実だったはずだ。この美しい物語を生みだした作家の才能を、あまねく世界に幸福をもたらすものとして信じている読者の、それが心よりの願いである。


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