アルマス・ギヴル
ミス・ファーブルの蟲ノ荒園

 正義が貫かれ差別が無くなり、争いは起こらず誰もが幸せに生きていける世界。人が人ととしての意識を持つようになって、その訪れをずっと願ってきたけれど、どれだけの年月が経ってもどれだけ科学や知識が発達しても、世界では不正義がはびこり差別が差別を生んで積み重なり、争いは続いそして地上には幸せを求める人たちが溢れている。

 なぜなんだろう。多分それは気持ちが途中で萎えてしまうから。途切れてしまうから。前を向き上を向いて希望へと続く道を歩いていても、ふっと横切る不安や怯えが脚を止まらせ下を向かせ、疑いを抱かせてそして道から足を踏み外させる。

 そうなってしまった時にまた、前を向かせ上へと向かわせるのにはとてつもない力が必要になる。それが出せない。もう出せない。そう思った時、途切れて萎えた気持ちが広がって世界を混乱へと引きずり込み、願う世界への訪れをまた先へ、はるか先へと去らせてしまう。

 どうにもならないのか。諦めるしかないのか。違う。それは違うと教えてくれる物語が、物草純平による「ミス・ファーブルの蟲ノ荒園(アルマス・ギヴル)」(電撃文庫、610円)。正義を貫き偽善を気にせず、己の信じる道をひた走る少年のひたむきな姿が、諦めない意識を持ち続けることと、そんな意識を繋げ広げることで世界を幸せに導けるかもしれないと思わせてくれる。

 舞台は1840年の欧州。とはいっても現実に過ぎた19世紀とは違って、そこでは18世紀に突然出現した巨大な蟲が跋扈していて、人間にも大きな被害も出ていたりする。例えるならアニメーションにもなった漫画「常住戦陣!!ムシブギョー」的なビジョン。とはいえ蟲は人間に害を成すばかりではなく、死ぬと硬化して高品質の燃料にもなるから退けてばかりはいられない。

 産業革命に似た進化に蟲が大きく関わって、人間と蟲とが争いつつも半ば共生しているという世界観。そこに生まれ、蟲についていろいろと調べ、頼まれれば退治もするようになったアンリ・ファーブルという少女がヒロインとして登場しては、線路を食べる巨大なフンコロガシを退けようと、シエルバレと呼ばれる一種の小型飛行機に乗って現場へと駆け付ける。

 とはいっても、いたずらに蟲を殺害することは好まないアンリ。じっくりと観察したあとで線路から引き離そうとしていたところ、列車を止めたくない鉄道会社の思惑からか、フンコロガシがいる線路へと列車が突っ込んできた。

 このままでは脱線転覆は避けられない。かといって蟲を止める手段も尽きてしまった。どうしよう。そこにいたのが日本から来た武士の少年。船でフランスへと遊学に向かう途中、何者かに追われていた男から何か預けられた少年は、海に落ち、流れ着いた陸地で暴れるフンコロガシと、それを退けようとするアンリが操るシエルバレの姿を見た。

 船で襲われた際に撃たれたはずなのに体に傷が無く、なぜか左目が痛むという少年。手にした刀でフンコロガシの前に立ち一閃すると、前だったらまず不可能だったにも関わらず、あっさりとフンコロガシの脚を切り離してしまう。蟲は止まってアンリも鉄道も救われ、そしてアンリは秋津慧太郎と名乗った武士の少年を、自分が通う学校へと引っ張り込む。

 というのも慧太郎にはなぜか船で起こった事件の嫌疑がかけられ追われていた。もちろんアンリには彼が犯人とは思えない。だから助け、慧太郎をアンリの通う女子校に変装して通うことにさせた。男の娘の一丁上がり。これがなかなかに可愛らしい。武士の少年にそれを言うのは酷だけれど、可愛らしいから仕方がない。そういうものだ。

 さてストーリーの方はそこからグッとシリアスに。蟲と融合してしまった<裸蟲(ミルメコレオ)>と呼ばれる人間が生まれるようにもなっていた世界で、そういう存在を差別し排斥しようとする動きがあって、それを狙うテロも起こり始めて慧太郎やアンリを巻きこんでいく。

 蟲を愛して殺さず退けたいというアンリの心意気は良し。それがだから<裸蟲>を退けようとする枢機卿の企みに範囲を抱かせ、彼を狙ったテロへの同意をアンリに抱かせる。けれども慧太郎は、目先の殺人は放っておけないと訴え、例え危険と分かっていても敵地に飛び込んでいこうとして、危険だと心配するアンリと対立する。

 慧太郎の意識も行動も確かに正義。けれどもたった1人で動いたところで何も解決しない独善に過ぎず、自分の気持ちだけを安心させたい偽善でもであった。口では差別はいけないと言いながらも、蟲と融合した子供の姿に臆して手を引いてしまった慧太郎は、その偽善と欺瞞を衝かれておおいに悩む。立ち止まってしまいそうになる。けれども……。

 それぞれの立場が問われ、抱いている信念が問われるストーリー。そうした中から「僕は、それでも正しく生きたい」と踏み出した慧太郎の行為と言葉が、目の前の危機から人々を救いそして歪み欠けていた者の心にも安らぎをもたらす。重要なのは自分がどう思ったかであって、世間がどう見るかではない。いけないことはいけないんだ。そんな気持ちを貫く大切さが描かれる。

 巨大な蟲が急に現れ、蔓延り人間と様々な形で共生している世界観は奥深く、おそらくは蟲との関わりを持って慧太郎の体に起こっている変化にも興味を惹かれる。そして世界がこれからどこに向かおうとしているのかも。さらには慧太郎が男の娘として女子たちに学校でもみくちゃにされる姿にも、様々な妄想と興奮を抱くことができそうだ。

 この先、果たしてどんな世界を見せてくれるのか。どんなキャラクターを楽しませてくれるのか。傑作の予感。続きを待とう。そして学ぼう。世界を導くための勇気をどう抱くかを。抱き続けるかを。


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