ファルティマの夜想曲 恋するカレン
Nocturne of Faltima

 事実として、娼婦という職業が存在するからには誰も、そこから目をそらすことは出来ない。性行為からは切り離しておきたい世代であっても、いずれ情報として得て興味を抱く。それが無分別に広がり、優越感や偏見を生んではむしろ害が出る。

 娼婦という職業がなにゆえに存在して、それはどんな内容の仕事をするものなのかを正しく知らせておくことで、無知のままに侮蔑や反感ばかりを育むことを避けられる。憐憫でも同情でもさらには反感でも構わないから、事実を踏まえてどう判断するかという力を、それぞれが己の中に醸成できる。

 葉山透の「ファルティマの夜想曲 恋するカレン」(ビーズログ文庫、580円)はまさに、分別のある理解をさせつつ、少女たちが上の世代に抱く関心を埋めて、何らかの未来を指し示す力を持った物語だ。さしたる必然もなく性描写を過激に描いて、読者に劣情をもよおさせる物語とは、立場も違えば志も違う。

 舞台は大航海時代になぞらえられそうな西欧風の港町。主人公はカレンという24、5歳といった女性。職業は娼婦。自立するため、16歳になると娼婦のあっせんをしている酒場へとやって来て、その道に入った。老いて朽ちていくのではなく、若いうちに己の体で稼げるだけ金を稼ぎたかったということと、フィルという身よりのない少年を拾い、養育していたことが理由にあった。

 フィルは18歳になると独立して働くようになって、カレンの元から離れて住むようになった。それでもカレンは娼婦の仕事をやめはせず、芸者の置屋のような場所とは違い、店は場所を貸し、あがりの一部をもらうだけと“良心的”な、ルーイという男が経営する酒場を根城に客を取っていた。

 そんなカレンに、フィルは姉でもあり母でもあった頃とは違った感情を抱くようになっていた。けれども素直に声をかけられなかったのは、カレンが男と寝て得た金で育てられた自分には、カレンを自分ひとりのものにする資格があるのかと、悩んでいたからだった。

 カレンに場所を貸して幾分かの仲介料を得る自分とどこが違うのか? そうルーイに言われてフィルはカレンに面と向かって好きだとは言えなくなった。それでも18歳の時。誰もが経験する祭りをきっかけに、カレンに想いを告げたいというところまで、フィルは決意を固めていた。

 もっとも、仮に告白されてもカレンはフィルを素直には受け入れられない事情があった。決して嫌いではない。けれども自分を選ぶことでフィルが被る風評を思えば、受け入れるのは難しいと考えていた。別に自分の仕事を恥じている訳ではない。しかし世間はそうは受け止めない。好きだからこそ好きだと言えない関係が、カレンとフィル、フィルとカレンの間にずっとあって、間をなかなか埋められずにいた。

 そこに波が立つ。キースという男が港へと流れ着いてカレンの客になる。カレンを抱いても誰かを想ってのことか、口をふさいで声を聞こうとしない。そんなキースとの出会いがきっかけになって、カレンの身と心に変化が起こる。想い言葉に出せないもどかしさ。その感情がカレンを変え、フィルの背中を押して2人の間に新しい未来を開く。

 「ハーレクイン」ならいざしらず、中高生が中心に読む少女文庫の主人公が娼婦というのはミスマッチだと言われそうだが、読めば決してそうではないと分かるだろう。直裁的な性描写がまずない点。そしてカレンたちが感情に流されひきずられ翻弄されるのではなく、自覚し自立を目指してその道を選んでいることが、行動や言葉に無理を感じさせず、大人の世界にはある難しさを少女たちに想起させ、ときめかせ分からせる。

 流れ者のキースの正体がほのめかされてはいるものの、詳細はあまり書かれていないのは読んでもどかしさを煽りそう。もっとカレンの暮らしへと踏み込み、めくるめく冒険の世界へと誘うような物語にすれば、ファンタジックな雰囲気も高まりそうだが、それをしてしまうと、カレンの困難を突破していく前向きさにも、キースの届かぬ想いを呑み込み己が道を歩もうとする実直さにも、歪みが出る。これはこれで良い。

 SFストーリーの「9S」とは同じ作者とは思えない、純愛にして大人びた世界のラブストーリー。「ハーレクイン」ではないけれど、現代に舞台をうまく当てはめれば大人向けの上質なメロドラマにもなりそうだ。

 サブタイトルが「恋するカレン」というのも年輩層の耳を誘いそう。以後、「ファルティマの夜想曲」としてシリーズ化されるとしたら、サブタイトルは「君は天然色」になるのだろうか。それとも「カナリア諸島にて」か。

 ともあれフィルとカレンのその後の姿、あるいはキースや酒場の主人の過去などについて書かれた物語が是非に欲しい。サブタイトルはともかく続きを是非に。


積ん読パラダイスへ戻る