PROJECT:ESPERANZA
その名もエスペランサ

 何のために働くか? というのは誰もが一生のうちに一度ならず何度も考えることで、究極的には生きるために食べるため、という結論に行き着くけれど、だったら何で生きるのか? という問いかけが間に入って、答えを迷わせる。

 好きなことをするため? というのは大いにあり。意に添わない仕事でも、それで稼いだお金で好きなことができるのなら、生きている意味はあるだろう。今は好きなことが見つからなくても、いつか何かと出会えるかもしれないという希望を持って、とりあえず毎日を生きてみるというのもありだ。

 生きるために生きる、というのはちょっと寂しい。生きていること、それ自体が奇蹟なのだという達観でも得ているなら別だけれど、これまでずっと生きていたから、これからもとりあえず生きていくという、惰性の産物では正直もったいない。

 何のために働くのか? そして何のために生きるのか? そのために勤しむ仕事とは? ボイルドエッグズ新人賞からデビューした徳永圭の3作目になる「その名もエスペランサ」(新潮社、1700円)という小説には、そんな人生にとって決して小さくない問いかけへの答えに近づく道が示されている。

 新卒で入った会社がつぶれて以後、派遣社員として活動して来た本郷苑子(えんこ)、29歳は、直前に勤めていた商社で色々あって心を痛め、そこを辞めて今は派遣の依頼を受けず、アパートでひっそりと暮らしていたけれど、是非にと派遣会社から頼まれて、アパートの近所にある自動車エンジンのメーカーで働くことになった。

 特技をいかした英文の事務ということで、職場に行ったら何か違う。いきなり工場を案内されて、部品チームに所属することになると言われ、メンバーにも紹介されて、そしていきなり入庫して来た部品を整理する仕事などを頼まれる。

 どうやらスペインにある自動車会社向けに、エンジンを開発して納入するとプロジェクトに、苑子は参画させられることになっていたらしい。その時には英文事務の仕事が必要になるけれど、プロジェクトが本格的に動き出すまでは、工場で生産しているエンジンに組み付ける部品の調達なども任されることになる。

 まるで知らない世界。というより予想もしていなかった仕事。出来るはずがない。そうは思いつつ、即座に辞める訳にもいかず、いずれは英文事務の仕事も回ってくると考え、そのまま部品チームの仕事を始めてやっぱり壁にぶちあたる。エンジンの構造も、生産の現場もまるで分からない人間が、いきなり放り込まれて出来る仕事ではない。

 部品の製造会社など、出入りの会社との折衝も任されたけれど、部品を納入したりエンジンを搬出したりする物流会社の担当は頑固で新米に厳しく、電話をしただけで苑子は怒鳴られ、先輩に連れられその会社まで行っても、やっぱり理不尽に叱責される。理不尽だと口答えしたからよけにこじれて、以後関係は険悪なまま。苑子は悔しさと悲しさに涙する。

 けれども実際、それで通さないと動かない仕事なだから逃げられない。だからやるしかない。格好良さなんて必要ない。自分のこだわりなんて脇に置け。まずやるべきことはやらなくてはいけない。それが仕事というもの。やるべきことを地道にこなす必要さというものが突きつけられる。

 何でもこなすスーパー派遣社員が、見知らぬエンジン生産の現場に入って、大いなる才能を発揮しては威張る男や権勢を誇るお局さんたちを蹴散らし、プロジェクトを大成功に導き去っていく、というサクセスストーリーに溜飲を下げたかったかったと思う人もいるかもしれない。理不尽な女性蔑視の言動が多々あったりして、読んで不愉快に思う人も結構いそうだ。

 「その名もエスペランサ」は違った。得意でもない分野に放り込まれ、嫌々ながらも派遣として給料分の仕事はしようという、どちらかといえばネガティブで受け身の姿勢で仕事に臨んでは、失敗を繰り返す様が描かれる。やるべきことをやっているはずなのに、どうして怒られなくてはいけないのか。そんな理不尽に胃も痛くなる。

 けれども、男女の区別なく仕事は仕事としてどう取り組むかという原点を、実はこの小説はしっかりと問い直している。苑子自身、振り返れば失敗も多く、それが大事にも発展する。派遣だから、英文事務が本業だからと言ったところで、そのポジションにあるならこなしていて当然の仕事。それをこなして始めて文句も言えるのだ。より前向きにさせる提言も。

 「その名もエスペランサ」という小説からから滲むのは、出来ることはどこまでも精一杯にやる大切さだ。まずはやろう。その上で問い直せばいい。自分には何が出来るのかを。そして何をやらなければならないのかを。

 自動車メーカーではなく、系列なり独立したエンジン専業メーカーというのを日本で見渡すとあまりなく、海外の自動車メーカーに自製のエンジンを外販しているメーカーもあまり聞かない。今は日産自動車の100%子会社になったけれど、昔は自前でオート三輪なんかも作っていた愛知機械工業くらいしか思い浮かばない。

 そこはだから想像力というもの。トランスミッションとかブレーキといった部品ではなく、自動車のエンジンという夢のカタマリだからこそ、働く人の熱意も生まれ、現場も本社も真剣にその成功に向かって進んでいこうとする。だから小説では、自動車のエンジンを生産しているメーカーというものを設定し、そこで働く人たちに仕事における情熱の発露というものを仮託してみせた。甲斐あって読んでとても引きつけられる、夢多い小説に仕上がった。

 現場至上主義で、口先だけで事業を混乱させる本社の営業がどこか悪者になっているようなところもあるけれど、最後の段で案外に格好いいところも見せてくれるから、悪し様には言えない。工場も本社も関係ない。誰も彼もが夢の実現に向かって走っている。だから成功して欲しいとページを繰る指に汗も浮かぶ。どこまでも熱い小説。読めば誰もが自分も頑張ろうと思うはずだ。


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