炎恋記

 「チャイナ・ファンタジー」が苦手だ。

 ここで言う「チャイナ・ファンタジー」とは、中国風の大陸や都を舞台にして、中国風の皇帝や宰相や将軍や盗賊たちが織り成す、不思議話だったり奇妙だったりする小説、ということになる。

 中国風だから国の名前も登場人物も出て来るガジェットの数々も、だいたい漢字で書かれる。あるいはカタカナでも、漢字を中国語で発音したようなものとなる。漢字に中国風発音のルビを打つケースもある。

 苦手なのはなにも、漢字が多用されているからではない。海外小説を苦手としている人が、「カタカナの長い人名や地名がなかなか覚えられなくて」と、その理由を話していたことがあるが、これと相対する理由を、「チャイナ・ファンタジー」にあてはめるつもりはない。苦手な理由はもっと別の、自分の内面に巣くっている「反発」と「嫉妬」が絡み合った、実に複雑な感情によるものだ。

 史学科で東洋史などというものを勉強すると、中国史に関しては少しは詳しいんだという自負が生まれてしまい、「中国風」な要素だけを取り入れたファンタジー作品に、ともすればケチをつけたくなってしまう。一方で中国に詳しいというのが、実のところはただの自惚れに過ぎず、たとえ「中国風」であっても、そのエッセンスをうまく取り入れて物語を作り上げることのできる、例えば酒見賢一のような作家には、激しい嫉妬心を感じてしまう。いずれにしても、なかなか素直に読むことができないのである。

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 森福都の「炎恋記」(講談社、850円)は、自分の苦手な「チャイナ・ファンタジー」のカテゴリーに入る小説だ。苦手なものをどうして手にとったかと聞かれれば、ただちに「夢枕獏氏推薦」と帯にあったからと答える。

 稀代の物語作家である夢枕獏が、「日本人離れした大陸的な作風で、作者の大胆な想像力に感服した」とまで書いている。さぞや起伏に富んだドラマ性豊かな物語を読ませてくれるのだろうと、大いに期待してしまった。

 「炎恋記」の物語の舞台は、「舞台は一見中国を思わせる大陸」(作者「あとがき」より)だ。大国が群雄割拠して、それぞれに軍事的・政治的な友好関係と敵対関係を築きながら、表では外交、裏では謀略の限りを尽くして競いあっていた。その中の1国「範里(はんり)」に住む、盲目ながら黄琴の名手として名高い美貌の青年・夜船のもとに、「絵頭(えず)」の国の外交官で、夜船の姉・真昼を妻として迎えた義兄の深海が訪ねて来た。

 絵頭が保有していた秘密兵器・炎竜舌(りゅうえんぜつ)を開発した科学者の華珠光(かしゅこう)が逃亡して、隣国の「砂波(さは)」に匿われて炎竜舌の開発を行っているのでは、という情報が入った。しかし表向きには、華珠光は死んだことになっているため、外交ルートを通じて奪還することは難しい。そこで深海は、自分が外交官として砂波に派遣されるのを機に、超能力を持つと噂される楽人・夜船をつれていき、華殊光を探させようとした。

 しかし夜船は、離ればなれになってしまった姉・真昼を、今でも深く愛しており、真昼を奪った夜船を激しく憎んでいた。砂波に赴くだけ赴いて、超能力はもっていないから華珠光は探し出せないと言えばすぐに放免なる。そして深海が砂波に残っているうちに、絵頭に残っている真昼を奪還できると考えて、憎い深海の申し出を受けた。

 しかし権謀術策に長けた深海は、砂波に赴任した直後に夜船が他人の目を通じて外の景色を見られることを探り出し、華珠光探しに巻き込んだ。紆余曲折の果てに夜船は華珠光のもとにたどりつき、人々から「小鼠」呼ばわりされていた一介の学生が、必死になって古代火器・炎竜舌の謎を解いて現代に蘇らせた背後に、愛する姉・真昼への憧憬と対抗心があったことを知ったのだった。

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 講談社X文庫の1巻物としては最大規模の、500ページ近い分厚さとなった「炎恋記」だが、その長さを保たせるだけの物語の起伏に乏しい気がする。確かに夢枕獏の言うように、「手堅い表現で鮮麗な世界をじっくり書き込んだ」小説ではあるが、事件自体は1人のマッド・サイエンティストが逃げ出し、追手に見つかって退治されたというだけのもの。丁々発止と行われている、表の外交のその裏で、外交上の決定打を握るために、主人公たちが暗躍するような話にしては、全体に緊張感に乏しい。

 作者の森福都は、中国風の舞台と人物を設定した理由を「登場させたかったパワフルで派手で好色な悪役には、この国が似合うような気がしたからです」と述べている。だが、悪役筆頭の華珠光にも、砂波の政治家たちにも、作者が言うほどには「悪のパワー」が感じられない。これではせっかく「中国もどき」の設定を採用した意味がない。

 華珠光をめぐる国と国とのやりとりをタテ糸とすれば、ヨコ糸にあたるのが夜船と深海の真昼をめぐる3角関係ということになる。だが、深海に抱く夜船の憎悪など、言ってしまえばただの激しいシスター・コンプレックスに過ぎない。これが例えば、深海の愛を受ける真昼の歓喜を「通視」してしまった夜船が、深海に道ならぬ恋慕を抱いてしまう話だったのなら、耽美小説的な楽しみも膨らんだのだが。

 言葉によって劇画的ともいえる美しいシーンを見せる力はある。その意味で「小説はことばで書くという基本を知っている」(夢枕獏)人だと思う。しかし、いくら美しいシーンを積み重ねても、そこから物語は生まれない。出来る人だと信じているからこそ、声を大にして言いたい。

「もっと物語を」


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