エレGY

 フリーウェアのゲームがあるってことくらいは知っている。知っているけどそういうのを作っていたり、遊んでいたりする人たちの世界がどんな感じに回っているかはまるで知らない。

 そんな感じの人たちにとって、フリーウェアのゲームを作り続けてファンも多くいるらしい泉和良の「講談社BOX新人賞・流水大賞優秀賞」を受賞して刊行された小説「エレGY」(講談社、1300円)が見せてくれた、1人のクリエーターが己の才能って奴をゲームの形にしてネットにアップして、タダで遊んでもらって評判を喜びながらもそれだけで膨れるお腹はないと、音楽やグッズなんかを作って売って稼いだりしている姿はなるほど、ネット時代のひとつの生き方かもしれないって羨ましく映りそう。

 もっとも、これは評判になるゲームが作れてこその好循環で、ちょっとスランプになってゲームが作れなくなったらサイトにアクセスは来ず、評判は広がらず、CDもグッズも売れなくなって金は切れ、電気は切れガスは切れ縁も切れて部屋からも叩き出されかねない羽目に陥るから痛し痒しの紙一重。つまりはやっぱり大変な商売なんだってことが見えて羨ましさも半減しそう。楽な仕事なんてないってことで。

 書いた作者がフリーゲームの作家で、作品の中に自分が運営しているフリーゲームのサイトの名前を出し、作家としてのネームも出し、筆者と同じ名の主人公まで出しているから「エレGY」を、てっきり一種の私小説なんじゃないかって思う人もいっぱいいそうだけれど真相は不明。というかもしも私小説でノンフィクションに寄った小説だったとしたら、そんなに世の中うまくいくのかコノヤロウって気すら浮かぶくらいにこの小説の主人公、ネットで少女をひっかけよろしくやってしまっているからたまらない。

 いやいや決してそうでもないか。まるで儲からず新作ゲームを作る気力も萎え果て、もはや限界といったところまで追いつめられて気が迷い、誰でも良いからパンツの写真を送れとブログで呼びかけつつほとんど自滅に走ろうとし主人公のところになぜか、たったひとりからメールが届いてパンツの写真も添えてあったからぎょっとした。

 それでも昔からのファンだと言うから有り難うと返事をしたら、どうも近所に住んでるらしくって呼びかけがあって、それに応えて出かけていったら目印にしておくからと言っていたとおりに、マクドナルドで50個のハンバーガーを積み上げ待っていた。

 これはやばい。まじやばい。思いこみが激しそうなところがやばい。おまけに手首にはリストカットの痕もくっきり。本気でやばいと思いながらも主人公のフリーゲーム作家は、ずっとひとりでいる寂しさも手伝ったのか、ファンだと名乗った相手への同情心からか、関係を始め途切れさせることもなしに出会って会話し、デートもしたりするというかつてない日々をスタートさせる。ここがコノヤロウな部分。

 とはいえしかしやっぱりどこかメンタルに微妙なところがある少女。それに主人公だって決して安定していない身なだけあって、どことなく関係がぎくしゃくしはじめたりする。ここが決してそうでもない部分。ただし、そんな右に下にさすらった先に待っていたのは、世界が果てしなく沈みっぱなしの悲劇的な結末に直面してからでも人間、浮かべるもんだなあって希望を与えてくれる展開だ。読み終えてそうかそれでも生きていこうと気持ちにちょっぴりのドライブがかかる。

 外枠だけ見れば単純明快なワーキングップア少年とメンタルヘルス少女のラブストーリー。もしもこれがフリーゲームの世界じゃなくって、売れないインディーズのミュージシャンの話だったらそのままケータイ小説として発表されて、女の子と男の子の関心を誘いわかりやすさから人気も得て、映画化だドラマ化だといって盛り上がりそう。

 けれどもフリーゲームって一般にはあまり知られず、成功したって成り上がりにはほど遠いジャンルが舞台になっているからこそ、箱庭的なショボい世界の中でつかめる幸せのおいしさって奴を親身になって味わえるのかもしれない。それにフリーゲームって何? って分からない人にも、そういう世界があってこういう稼ぎ方をしているんだって説明があるから、そういうものかと思って読めば気にならない。

 何よりエピソードの出し入れが巧みで文体もなめらかだから、ハマればあとはするりと一気に最後まで読めてしまう。その意味で、献辞を寄せてる乙一や滝本竜彦の「小説の進化する瞬間を見た」(by乙一)だとか「間違いなく天才」(by 滝本竜彦)といった意見に同意。文学を破壊するってよりは文学に君臨しそうな才能の登場に、遅れることなく目を向けろ。


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