エール


 勘違いかもしれないが、もしかしてこれはユーモア小説なんだろうかと、そんなことを鈴木光司の「エール」(徳間書店、1600円)を読み追えて考えた。

 帯には「著者初の本格恋愛小説」と書いてあるし、内容も途中まではとてつもなく真摯な純愛小説。中年に差し掛かった人ならあれこれ考えさせられること請け負いの物語ではあるのだが、クライマックスの場面で繰り広げられるシチュエーションの、映像にして見た場合の珍奇さ滑稽さに、そこまでの物語で描かれて来た、生きる上で誰しもが直面する痛みや苦しみを、頑張り歯を食いしばって乗り越えた果てにつかんだ愛の素晴らしさも、またクライマックス以降に訪れるだろうと予想される、文章では描かれてはいない重苦しいゴタゴタもすべて吹っ飛んで、何ともいえないおかしさを感じて笑みがこぼれてしまった。

 主人公の梅村靖子は中堅どころの出版社に勤務する編集者で、それも遣り手編集者として会社にも、担当する作家やライターにも高い信頼を受けている。すでに結婚はしているが、価値観がどこかズレている夫とはあまり上手くいっておらず、現在は離婚寸前の状況にある。家庭での息苦しさが続くそんな中、担当している女性ノンフィクションライターが癌との本格的な闘病生活へと入ってしまい、仕事の上でも逼塞した状況へと追い込まれる。

 女性ノンフィクションライターには息子がいて、母親の苦労を知ってか知らずか我侭勝手にふるまい、家を尋ねた靖子にも突っけんどんな所を見せる。ところが靖子が今もっとも注目を集めている総合格闘技の選手、真島一馬にかつて担当作家の付き添いで取材に行ったことがあり、親しい間柄にあると知った途端、靖子にも敬意を払うようになる。そんな少年の姿を見て、靖子は彼を一馬の所へと連れていくと約束してしまう。そしてそこから数年を間に挟んで再会した靖子と一馬の、燃え上がる恋のドラマがスタートする。

 歳が上の靖子が思っていた以上に実は、一馬の方では靖子に深く心を寄せていて、最初の結婚が破局い終わって独身となっていた今、再会した靖子への関心を一気にエスカレートさせていた。靖子は靖子で心の通わなくなった夫とは対称的に、力と力ぶつかりあう世界で常にトップを目指して闘う一馬の姿が目にちらつき、心の中で一馬のウエートがどんどんと重くなっている。

 この辺りまではなるほど、お定まりの恋のドラマが展開されていると思ってもらっても大丈夫。惹かれあった2人が一線を越え結ばれていくまでが描かれていく。途中、一馬が学生時代に友人を殴って直接ではないものの結果的に死なせてしまっていたエピソードが伏線よろしく挟み込まれて、クライマックスに来る悲劇を予感させてくれるが、その悲劇というのが問題だった。

 なるほど確かに悲劇だが、それがななかかに喜劇的なのが、冒頭に言ったユーモア小説なんだろうかと感じてしまった理由。仮にもし、同じシチュエーションがちばてつやの名作「あしたのジョー」の力石徹とジムのお嬢様との間で繰り広げられていたとしたら、「ジョー」はおそらくあれほどの名作にはならなかったし、社会現象にまでなった力石徹の葬儀もきっと、営まれなかったことだろう。

 あるいはそういったありきたりの涙と感動の物語に収斂させるより、喜劇にも似た含み笑いの余韻を持たせようとしているように見せて、その実訪れようとしている靖子にとって相当に厳しい状況を示し、読者の状況に対する想像力を試したのかもしれない。笑っていて良いのか、生きるということは常に厳しさを求められる闘いなんだということを示したのかもしれない。なるほど確かに靖子の身になれば笑ってばかりはいられない。

 そう思うとなるほど喜劇的な悲劇に泣き笑いしか浮かばないようなシチュエーションでも、タイトルの言葉どおり、失意の底にある人への「エール」を贈ろうとしているようにも読める。慌てふためいてしかるべきシチュエーションに惑いながらも我を取り戻し、未来を見据えて歩き出そうとする主人公の姿に、悩んでいることのばかばかしさを教えられる。

 とにもかくにも今までに余りないタイプの恋愛小説であることは確か。ユーモア小説として読み終えるも、純粋無垢な恋愛小説として読み終えるも読者の自由として、ひとつ何かを得てもらえれば作者が今までにあまり書き慣れていない恋愛小説に挑んだ甲斐もあるというものだろう。


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