僕はイーグル1

 「正義」と言ってもひとくくりにできないのは、国と国とがそれぞれの「正義」を掲げてぶつかりあう戦争を見れば明らかだし、同じ国に住んでいる人であっても、民族が違う、宗教が違うというだけで、それぞれの「正義」に従って、血で血を争う戦いを繰り広げることもよくある。「国のため」という、はた目には同じ目的を掲げている政党だって、政治や選挙の場では常に激しく対立している訳で、つまるところ「正義」とは、それを語る人の「立場」の数だけあると言うのが当たっている。

 「国を守る」という目的を持った自衛隊なら、想いの多寡はあっても「正義」はそこに所属している人のすべてに共通だと考えたくなるのが普通だろう。けれども自衛隊という組織における「立場」の違いも、ご多分に漏れずさまざまな「正義」を作り出しているらしいことが、自衛隊を舞台にした夏見正隆の小説「僕はイーグル1」(徳間ノベルズ、1300円)のなかに示される。

 主人公の風谷修は高校を卒業してすぐに航空自衛隊に入り、航空学生としてパイロットになる訓練に明け暮れている。好きだった女性は彼と離れて暮らすうちに別の男性を頼るようになり結婚。物語はその披露宴のパーティー会場に風谷が呼ばれ、死がすぐそばにあるパイロットと商社勤務の男に嫁いだ妻という、遠く離れてしまった関係を2人が自覚する場面から始まる。

 パーティーからの帰り道、風谷は証券会社の支店で窓口業務を担当している漆沢美砂生という名の女性が、包丁を持った男に襲われている場面に行き当たり、彼女を助ける。美砂生と男とは、株取引を勧めた挙げ句に大きな損をさせてしまった証券レディと顧客の関係で、風谷に助けられた後も美砂生は別の客から責められ、怪我をさせてしまった代償に貯金を没収された挙げ句に放逐の身に。一流大学を出ても地方出身でコネのない美沙生に再就職の道は厳しく、生保銀行を回ったもののセクハラまがいの行為を受け、電車に乗れば痴漢に合うといった具合に悲惨な日々を送る羽目となる。

 一方の風谷は、数年の訓練を経て念願かなって「F15Jイーグル」のパイロットとなり、小松基地で任務に就く。そこで風谷は、数年前に沖縄本島へと侵入し、米軍基地の上空をゆうゆうを偵察してから再び西の公海上へと消えていった国籍不明の戦闘機に対して、スクランブル発進をかけることになる。沖縄に現れた時は、選挙を控えて1発の銃弾たりとも島民の上に落とせないと言う上層部の判断で、撃墜も威嚇射撃すらも見送らなくてはならなかった航空自衛隊だったが、幸いにして何の被害も出なかった前回とは大きく違い、自衛隊は、というより日本は今回のスクランブルで過去に類を見ない危機に直面することになる。

 領空を侵犯して来た戦闘機が核攻撃を行わないという保証はなく、それでなくても偵察によって国が丸裸にされてしまう危険性を考えれば、撃墜したいと考えるパイロットの想いは紛れもなく「正義」と言えるだろう。一方で、腐敗しきった国の仕組みをも考慮に入れた上で、何をどうすれば最善の結果を得られるのかを苦渋の上で判断し、指令する幹部たちの「正義」も決して間違っていない。

 なかには「国のため」と言いながらも、内実は単なる八方美人に過ぎず、責任を取りたくないとの一心で、どこかいいる誰かの顔ばかりを気にして自分を縛る幹部もいるが、これは論外として、「正義」という言葉に含まれる多様性、多層性を自分の頭で考えさせる展開は、受け止めるにはなかなかに重いものがある。

 物語自体は、難しいことを常に問い掛けているようなハードでシリアスな展開ばかりではない。社会の荒波にもまれまくる美砂生の、滑稽なまでに悲惨な日々の描写もあって、世の理不尽を怒るより先に笑いが出るくらいに楽しめる。そんなサラリーマン喜劇にも似た描写あり、恋愛ドラマあり、国際謀略サスペンスあり、パイロットとしての経験豊富な著者ならではの空戦バトル描写ありといった具合に、様々な要素が絡み合った良質のエンターテインメントとして楽しめること請け負いだ。

 何であっても自衛隊は非難する対象という凝り固まった考えで取材をし、記事も書こうとするマスコミの尊大ぶり、自意識過剰ぶりも耳に痛いが客観的に見ればそれなりに笑える。もっともデフォルメはされていても、社会における女性差別にマスコミの驕りは現実に存在している訳で、笑ってばかりはいられない。小説的にオーバーにはされているが、選挙が大事な政治のうろたえぶり、あるいは高度な政治判断をすることが自分の役目と任じる高級官僚の過剰なまでの自信、血気盛んで使命に萌えた若者がシステムの中で磨耗し疲弊していくやるせなさ、なども決して物語を盛り上げる上での絵空事ではない。

 立ち上がる非現実的ながらも可能性として否定できない出来事が、いずれは国民の1人ひとりに「正義」の意味を突きつけることになるのかもしれない。そんな時に自分はどんな「正義」によって行動することになるのか。「立場」によって「正義」は違って当然か、それとも純粋絶対の「正義」は存在するものなのか。続く展開の中で著者が出す答えを見守りたい。そして自分自身の答えを探って行きたい。


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