童話物語

 あきらめてばかりいる。

 頑張ればレギュラーになれたかもしれない部活動。あと何点か通信簿の評点を挙げれば入れたかもしれない憧れの高校そして大学。書ききっていれば賞をとれたかもしれない小説、そして拓かれたかもしれない作家への道。

 一流からはほど遠い会社でエースとはかけ離れた仕事に日々追われ、好意を抱いた彼女に誘いの声ひとつかけられず、鬱屈した日々を飛び出して自由になりたいと願っても、安定した今の暮らしを失ってまで可能性にかける勇気がない。

 「だって自分はそんなにすごい人間じゃないから」。

 そう自分を納得させ、夢をあきらめ世間と折り合って生きている人が、この国にはきっと大勢いることだろう。それが悪い、と責める気は毛頭ない。この国ではたとえめいっぱい頑張らなくても、ほどほどの満足だったら比較的容易に得ることができるのだから。けれどもありえたかもしれない未来は、その時点で失われてしまう。可能性は固まったまま永遠に闇の底に止まり続ける

 「誰だって、自分が思っているよりはすごい人間だよ」。

 そう自分に言ってくれる人がいたら、夢をあきらめなかっただろうか。ありえたかもしれない未来に向かって頑張り、可能性を現実のものとしていただろうか。たぶんそれは難しかっただろう。生きていく上で不自由の少ないこの国で、ほどほどの満足にどっぷりと浸っている身にただの言葉は届かない。

 けれどもその言葉が、人が生きるに厳しい世界を描いた物語の中で、人が前を向いて進んでいこうとするきっかけとなった大切な一言として語られた時、自分を誤魔化し安寧に浸り満足している、ふりをした心がカサリと動く。コチコチに固まっていた心の、微動がやがて大きな振幅となり、浸っていた安寧を抜け出し、可能性にかけてみたいと思う勇気をもたらす。

 その物語、向山貴彦が書き宮山香里が描いた「童話物語」(幻冬舎、2000円)の主人公はペチカという少女。幼くして母親を失い、たった1人で小屋に住み、クローシャという大陸にあるトリニティーという小さな町で、教会を掃除する仕事をしながら暮らしている。

 同じ教会で働く子供たちには虐められ、教会を仕切る守頭からも虐待を受け、時には食べる物にも事欠く暮らしはペチカから優しさを奪い、思いやりを奪う。たき火に寄って来た子猫を追い払い寒さの中に凍え死なせる。わけあって逃亡し雪の下で死にかけていたペチカを助けてくれたおばあさんからも金を奪う。

 ペチカがトリニティーを離れなければなからなかったのは、1人の妖精と出会ってしまったからだった。クローシャの伝説では妖精は世界の終わりに現れて人類を滅ぼす存在とされていた。偶然その妖精が出現する場に居合わせたペチカは、町を災厄に陥れる存在とされてしまった。

 実際、妖精は世界を滅ぼす力を持っていた。ペチカが出会ったフィッツという妖精より先に地上へと降りたヴォーという妖精が、イルワルドという男に与えた炎水晶は、人々の憎しみを吸って膨らみ、やがて世界を憎しみで埋め尽くす力を持っていた。

 トリニティーを逃げ出したペチカとフィッツは、やがて炎水晶を育てるヴォーたちに出会う。世界を憎んでいるペチカを生け贄にして炎水晶を大きくしようと企むヴォーにフィッツは挑む。世界なんて滅びてしまえと叫んだペチカも、己が命をかけて戦うフィッツに涙し心動かされ、炎水晶を破壊し世界を闇から救う。

 すべてが10巻に及ぶという想像の「童話物語」の、ここまでが第5巻にあたる「大きなお話の始まり」よりの抜粋という。後半は第6巻の「大きなお話の終わり」がやはり抜粋として綴られる。

 パーパスという大きな町に移り住み、やっぱり1人で暮らすペチカの描写から後半は始まる。アパートに暮らし花屋の仕事で糧を得ているペチカだが、やっぱり世界に背中を向けたまま生きている。雇い主から話があると言われればクビになるんだと思いこみ、自分は世界に必要のない存在なんだとあきらめて生きている。

 けれども重なる親切に、ペチカは次第に打ち解け心を開いていく。折しも出会ったかつてペチカを助けた旅に暮らすおばあちゃんが、ペチカに1枚の地図をあたえてその旅を終える。「旅の途中」と書かれた地図に運命を見て、ペチカは世界の果てに行けば無くした物に巡り会えるという言い伝えを信じ、世界にたった1枚しかない失ってしまった母親の写真を探す旅に出る。

 その旅先で出会った1人の女性。貧乏な村を抜けだし1人男性に混ざって頑張り願いがかなって蒸気機関車の運転士となったヤヤを羨む言葉を発し、そしてヤヤから言葉をもらって、卑下し萎縮していた自分を見つめ直す機会を得る。

 「誰だって、自分が思っているよりはすごい人間だよ」

 あるいはただ頑張れよといった程度の意味から、何の気なしに発せられただけかもしれない。だが、子猫を見殺しにして親切にしてくれたおばあちゃんを裏切り、誰も信じられずにただ生きる事にのみ必死だったペチカのそれまでを見てきた人だったら、ようやく人を信じ始める事ができるようになったペチカが、今度は自分も信じられるようになった、そのきっかけと、その勇気を与えてくれる大きくて重たい言葉だったと思えるだろう。

 その後のペチカが復讐の誘惑にも負けずに、世界を救えるまでに心を高めることができた経緯は、本書の記述に委ねるとして、読み終えた人の心にどんな変化が起こるのか、今はそれにとても興味がある。必死だったペチカの姿にほどほどで生きている自分を恥ずかしく思う人もいるだろう。ペチカみたいに頑張らなくても気楽に生きて行けるから良いと自分を納得させる人だっているだろう。

 今はそれでも構わない。ただ少しばかりでも心が動いたのだとしたら、ガチガチに固まったままの心では絶対に向かい得なかった境地にたどり着ける可能性が生まれたはず。たとえ髪より細くても道は確かに開かれたはず。そこにもう一言。

 「誰だって、自分が思っているよりはすごい人間だよ」

 あきらめるのはもうやめませんか。


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