Last Chance Saloon
土壇場で賢く男を選ぶには

 ひとり身のままで30代も半ばを過ぎたあたりに来ると。28歳とか29歳とかいった女性が、恋に結婚にあせりまくってる心境がとんと理解できなくなるもので、ましてや30歳の大台を1歳2歳、過ぎてしまった女性たちが、いまさらテンパッた気持ちになって、日々をジタバタしたところで、無駄無駄無駄無駄、あきらめろ、ひとり身だってそんなに悪いものじゃないって、言って諭してやりたくなる。泥沼へと引きずり込んで仲間を増やそうとしているって? そうかもね、そうなんだけどね。

 もっとも26歳とか27歳とかいった、俗に言う(言うのかな?)”売れ残りのクリスマスケーキ”の女性たちについてなら、焦ったりじたばたしている姿もそれほど違和感はない。仕事納めから大晦日へと経て元旦へと至る年齢を目前にして、遠からず訪れる我がこととして、気持ちもおおいに触発されるものなんだろうから。結果的には無駄だけど。

 だからたぶん、そうした焦る気持ちに働きかける作用を持った「ブリジット・ジョーンズの日記」は、本も映画もついでにサウンドトラックCDも大人気になったし、同じ系譜に連なるマリアン・キーズの「土壇場で賢く男を選ぶには」(部谷真由実訳、扶桑社、1143円)もやっぱり、世界中にあふれる同類の女性たちの、あせるハートをガッチリつかんで、世界でベストセラーになったんだろう。そして多分日本でも、「ブリジット・ジョーンズ」と同様に人気になるに違いない。むしろあせりを煽る風潮が欧米なんかよりも強い分、人気の度合いも強いかもしれない。

 広告代理店の経理主任のキャサリンは、男女の間柄にルーズだと思われているノリの軽い業界にあって、誰からの誘いも受け付けない態度から、「アイスクイーン」と影で日向で呼ばれている。とにかく厳格で、言い寄る男がいれば顔をグレード4の「般若の面」にして撃退し、それでもあきらめないなら次にか「メデューサの面」へと変化させ、凍り付かせ退かせ続けて来た。どうしてそこまで男性を嫌うのか、というのには実は理由があったんだけど、それはまたあとで。

 キャサリンにはコンピューター会社に務めている女友だちがいて、その友人、タラはトーマスという男性と同居しているけれど、食べては食べてはふくらみ続けるタラの姿がトーマスは気に入らず、タラに精神的・肉体的なプレッシャーをかけつづける。だったら別れればいいところを、これがラストかも、なんて30歳をひとつだけ過ぎた女性につき物の切迫感が頭から離れず、タラから別れたいなんて言うことはできない。かといって結婚を迫ると逃げられるんじゃないか、なんて恐怖もあって(過去にそういうことがあったことも手伝って)、どっちつかずの中途半端な状態が続いている。

 そんなキャサリンやタラ、女友だちのリズ、男友だちのフィンタンとサンドロのゲイのカップルといった人々がおりなすドタバタだったりシリアスだったりする物語の合間に、アイルランドではスターだったけどハリウッドでは端役もつかめず、ロンドンで自称・俳優の日々を贈るローカンという男のど外道でだめんずな暮らしぶりが描かれる。

 広告代理店の「アイスクイーン」とか、コンピューター会社のキャリアウーマンとか恋路がいったい、自称・俳優のジゴロとどう絡むのかと思ったら、これが実にしっかりとキャサリンの過去に絡んできて、なるほどこれがキャサリンの今に、ちょっとした影を落としているんだな、なんてことが見えてくる。やっぱり10代の恋は盲目で、猪突猛進な一方で、30代の愛は臆病で、迷い道をくねくねしているんだ、なんてことも分からせてくれる。

 さて、キャサリンの方はと言えば、同じ会社で働くジョーという、広告の仕事については遣り手ながらも言動にはちょっと軽薄な所がある男性が登場。「アイスクイーン」に興味を持ったのかしきりにモーションをかけて来た。最初は持ち前の「アイスクイーン」ぶりをフルに発揮してジョーを撃退(というか虐待)していたキャサリンだったけど、内心ではほんの少しだけ、いやいや割と結構な度合いでジョーに興味を持っていた。

 それなのにキャサリン。過去の経験から、男性になかなか心を許すことのできない性格が醸成されてしまったこととと、ほかにキャリアを積み重ねてきた人によくあるプライドや、自分を惨めにしたくない、なんて杞憂におぼれる過剰な自意識が邪魔して、ジョーを相手に素直になれない。そんなバリアーを打ち破って、果たしてキャサリンはジョーを相手に心を開くことができるのか。タラもタラでトーマスに脅えるばかりじゃなく、自分の気持ちに正直に生きることができるのか。なんて感じて物語りの方は進んでいく。

 果たして同じ頃合にいる女性たち、目前に迫っている女性たちが読んで臆病さをふりはらって、かつてのような一途さ、猪突猛進さを取り戻せるのか、それとも本は本として楽しみながらも、日常はやっぱりびくびくとした日々を続けるのかは分からないけれど、とりあえずは読んでみて、さてどうしようかと考えてみるのも悪くない。とうに過ぎ去っている人は、こういう時代もあったなあと振り返ってほくそ笑んでも、趣味としては悪いけれど態度としては悪くない、かも

 振られ女が真夜中に、アパートでロイ・オービソンの「イッツ・オーバー」を29回リプレイしては、サビの部分でうめきながら「イッツ・オーーーーバーーーー」とオクタブーを上げて歌って近隣に騒音被害をもたらし、会社に行ったら行ったで仕事のシステム開発でバグを出しまくってロンドンじゅうのシステムをダウンさせ、なんて大袈裟に聞こえるけれど嘘っぽくはないエピソードの間合いの良さは、読んでいてストンストンとツボにはまって実に楽しい。ほかにも数ある、シチュエーションが暴走していく描写は、読む「アリーmyラブ」といったおもむきも。読んで納得の面白さに、既刊、近刊と他の作品も読んでみたくなって来た。

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