脱兎リベンジ

 たったひとつの取り柄があれば、なんだってかなう。誰からだって気にされるようになる。そう信じてひとつの取り柄を作ってみたけれど、結局なんにも変わらないという経験を、したことがあるだろうか。

 あるのだったら、きっとこの物語に書かれた感じはよく分かる。まさしく自分のことだと共感する。ただし最初のうちだけは。読んでいくと違うと思えてくる。そうじゃないと感じられるようになる。今までとなんにも変わらなかったと、悩んであきらめてしまうことが、どれだけみっともないかが分かってくる。

 たったひとつでも取り柄があるんだと、思って内に自身を秘めているだけでは、絶対になんにも変わらない。変わるはずがない。その才能を誇りに思え。そして積極的に見せていけ。内にこもって自己満足にひたっていたってダメなんだ。外に向かって自分は自分だと示すんだ。それが道を開くのだと、秀章の「脱兎リベンジ」(小学館、590円)という物語は教えてくれる。

 主人公の少年、兎田晃吉は見た目が小さく線も細く、喋ってもはっきりとせずつっかえ気味で、クラスの皆から薄気味悪い奴だと思われている。それでも親切にしてくれる和泉千咲という同級生がいたけれど、とくに深いつき合いがあるわけではない。ただの親切心。だから晃吉は大きく救われることはなく、肩を狭め息を潜めて過ごしている。

 唯一、自分を開放できそうな場所だからと、軽音楽部に入ったものの、そこでは誰もバンドを組んでくれず、たったひとりでは学園祭前の混雑する時期に、練習する場所などないと部室を追い出され、ひとり倉庫へと入り込んで、電源もないままひとりさびしくエレキギターをかきならしていた。

 どうしてここまで疎まれるのか。ギターがへただからか。とんでもない。実はとてつもなく巧かった。誰が聞いても驚くようなテクニックを持っていた。それなのに見向きもされなかった。それにはひとつの理由があったけれど、晃吉は少年は気付かなかった。あるいは気付こうとしなかった。

 軽音楽部でもトップクラスと認められる腕前を持った先輩に疎まれるのは、自分に問題があるからだと思っていた。だからおとなしく引っ込んで、倉庫でギターを弾いていた。その時、隣で激しい音がすると、扉を開けて入ってきた少女が、晃吉の運命をガラリと変えた。

 ボーイ・ミーツ・ガール、もしくはファム・ファタール。初めは歯でギターを弾く晃吉に恐れを成し、棒術部と偽っていって対決姿勢を示した、名を兎毛成結奈といった彼女の本当の姿は、漫画研究同好会のたったひとりのメンバー。とても上手な漫画を描き、漫画に深い愛情を持っていたが故に、他にも同じだけの資質を求め、疎まれ彼女を残して去っていった。

 それでも漫画は描き続け、出版社に持ち込んではみたものの、即座に突っ返される経験に、漫画家になるという進路を迷っていた、そんなある日、隣の倉庫で騒いでいた兎田と出合って、彼女の人生もまた変わった。ガール・ミーツ・ボーイ。あるいは……運命の男という言葉はあるのだろうか。ともあれ兎毛成は兎田のプレーぶりに彼の資質を確信し、自分を卑下してばかりの兎田を光り輝く舞台に引っ張り上げようと画策しては、仲間を募って作戦を練る。

 その仲間がまたくせ者ぞろい。巨体を女子の制服に包んだ菊間吾郎に、放送部でパーソナリティーとして活躍し、全国大会を制覇している学園きっての有名人の梅園乃ノ香、そして手にグローブをはめた姿で、起用にビデオカメラを操る映像の天才、金城大貴こと金シュロ。いずれ劣らぬ才能と個性の持ち主ながら、それぞれがやっぱり過去にいろいろと問題を起こし、悩みを抱え、それを自分の力で突き破ってきた経験を持っていた。

 女子の格好であることで気持ち悪がられても、それが自分だと一切引かない菊間。茶道の家を継ぐ必要があるからその前に、放送の世界で自分のやりたいことをやりまくると決めた乃ノ香。そして、痴漢冤罪の噂に超然として向き合い、圧倒的な才能で映像を作り続ける金シュロ。いずれも退かずひるまないで前を向き、上を向いて生きている。

 そんな姿に感化された兎田は、誰よりも巧い、少なくとも先輩よりは絶対に巧いと思う自分のギターに自信を持ち、コンプレックスだった甲高い声を逆手に取って、ボーカルまで務めるようになって、自分を排除した先輩が絶対に出られると確信している、学園祭の後夜祭のステージに、自分が成り代わって立つと告げて突き進む。

 そこから先にも山があり、深い谷があって逡巡し、懊悩した果てに兎田たちがたどりついた世界の、なんと明るいことか。そして空の広いことか。兎田は自分を確認し、兎毛成も本当の正体を兎田に気付かせることなく、漫画家として成功するという道から外れることも辞めて、本来の自分を取り戻し、ひたすら漫画家への道へと突き進むと決意する。

 ありがちといったらありがちな話。虐げられ虐められていた少年、が才能を発揮し運命の少女に導かれて再起していくストーリーは、川原礫の「アクセルワールド」(電撃文庫)を最近の例に、過去から現在に至る数多の作品に、成長と恋のストーリーとして描かれている。

 けれども、だからといってそれが陳腐だということにはならない。誰だってそうありたいと願いながら、そうなれない自分に苛立っている。だからこそ、そうなれるためのストーリーを必要としているし、そんな求めに応じてストーリーが編み出される。だからとっても心に響く。「脱兎リベンジ」もそんな求められるストーリーだ。

 それだけではなく、圧倒的な個性と向上心を持ったキャラクターたちによって、自分もそうなれるんだ、そうなっていいんだといった具合に、体を突き動かされる。やってやろうという気にさせられる。下を向いて地面ばかり見ていた人も、読み終えればもう地面なんて見えなくなる。前に開けた道が見える。上に高い空が見える。

 可能性は無限。あとは進むだけだ。飛ぶだけだ。ぶっかますだけだ。




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