カレーライフ

 男。35歳。独身。勤務先のビルの地下に新装オープンした中華料理屋が、半年くらい前に粗品でくれた米を掘り出し、電気炊飯器で炊きながら挽き肉と玉ねぎをフライパンで炒め、マギーの「キーマカレー」を入れてぐつぐつと煮込む。ライスは3合。炊きあがったもののおよそ半分を皿がないため丼によそい、上から煮込んだキーマカレーをかけてモリモリと喰う。美味。余ったライスとフライパンに半分残したキーマカレーは6時間後、夜食だと自らを納得させて肥満への恐怖心に勝利した男の胃袋へと消える。

 翌日。今度は同じマギーでも「チキンカレー」を調理。ライスの量も食べ方も同様。都合2日で6合のライスと通常ならば8人前のカレーライスが胃袋へと消えた勘定になる。粗品のライスもすでに尽きていて、男は近所のスーパーへと出向いて「あきたこまち」の中くらいの袋を買って来る。スパゲッティーに焼きそばに冷凍食品の炒飯そば飯ばかりで、炊飯をしばらく避けて来た食生活がコロリと変わってカレーライス三昧。いったい男に何が起こったのか。

 答えは1つ。小説すばる新人賞を授賞した竹内真の最新作「カレーライフ」(集英社、1800円)を読んだからに他ならない。帯に文字。「史上初、大盛カレー小説」とあるのは煽りの惹句としては適切ながら、正直に言えばいささか大人しすぎる嫌いがある。正しさを追究するならこうしたい。「読めばカレーの日和なり」。お粗末。けれども現実問題、読めば読むだにカレーが食べたくなる小説であることに、一切の反論は起こらないこと必定だ。男。35歳。カレーに灼けた胸を張って主張しよう。

 物語はこう始まる。10年くらいだったか昔、主人公のケンスケにワタルとサトルの双子の兄弟、女の子のヒカリにコジロウという従姉妹どうしの5人が集まって、祖父が営んでいた洋食屋に集まってカレーライスを食べていたところ祖父が急逝。祖父の作るカレーライスの美味しさが楽しい思い出となって心に深く染み着いていたのか、祖父の葬儀の依るに5人は大人になったらカレー屋をやろうと話し合う。

 けれっども所詮は子供の口約束。成長した中で本格的にカレー屋のことを考えていたのはどうやらケンスケ1人だけで、彼自身は調理師学校を出て免許を取り、いつかカレー屋を開く日を夢見てレストランに就職を決めてはみたけれど、残りの4人のうちの1人、双子の弟のワタルは大学生で兄のサトルは海外を放浪中。ヒカリはアメリカに渡って作家を夢見てワークショップで執筆を続けていて、最後コジロウは写真家になって日本中を飛び回っている。5人揃ってカレー屋を開くという子供の頃の夢がこれではかなうべくもない。

 そこで調理師学校を出たケンスケは、日本に残っていた1人で、のほほんとした性格ながら料理を始めると適当な材料で適当な味付けで抜群に美味しいものを作ってしまう”マジックタッチ”を持ったワタルと連れだって、ヒカリを説得するためにアメリカのバーモント州へと出向く。バーモントと言えば日本人なら真っ先に思い浮かべるのが「バーモントカレー」。カレーに目がないケンスケとワタルは、果たして本場のバーモントカレーは食べられるんだろうかと興奮する。

 もちろんバーモント州にバーモントカレーがあるはずもなく、結局は日本から持っていった「バーモントカレー」を作る羽目となる。ところが現地の人たちにこれを食べさせると意外に大うけで、食べた1人が自分もカレーを作ると言い出しレシピを教わり、どうにかこうにかマスターするエピソードが描かれる。もしも彼がニューヨークに見せを出したその時が、正真正銘「バーモントカレー」の誕生ってことになるのだけれど、本編とは無関係なので脇に置く。

 物語はインドにいるらしいワタルの兄、サトルを探してインドへと出向き、やっぱりカレーを作って食べる展開へ。祖父のカレーの味に関わっている食材を探しに沖縄へ行ってそこでもカレーライスに関わる話を聞き、といった具合に世界カレー巡り的な蘊蓄話が繰り出されては、読む人の胃袋をキュルキュルと鳴らしてくれる。気が付くと米櫃から炊飯器へと米を移し、鍋に水を入れ玉ねぎを刻んでいる自分がいる。

 分厚さをものともさせずに一気に最後まで連れていかれてしまうのは、描かれているモチーフもテーマもカレーライスに溢れてて、それでもって日本人がとことんカレー好きな国民だから、なんだろう。インドで実はカレーの修行中だったらサトルが作った、具のカケラも見えないのに豊潤な味わいをもった絶品のカレーは描写されたページから香りが漂って来る感じ。これはバーモントでも沖縄でも同様で、味噌汁よりもおにぎりよりもカレーライスが生活どころか遺伝子レベルに染み着いた、日本人の食に対する感情の一端が、カレーライスを巡る物語によって露にされる。

 一方で、調理師免許まで取って祖父の意志を継ごうとした奴、双子だけど弟だから期待もされずのほほんとしていながら、持ち前の鷹揚さでもって最後は父親の後を継ぐことになった奴、その兄で長男ってプレッシャーから解放されたくって世界を放浪した挙げ句、カレーの腕前を磨いて結局は弟に稼業を譲ることになった奴、そんな従姉妹たちの姿や自分の経験して来たことを小説にしようと頑張る奴、祖父のカレーの食材からたどって自分の出生の秘密を探る奴、といった孫たちの各様な生き方を通じて描かれる、いろいろと考えたり迷ったりしながらも前に向かって進んでいく若い人たちのあがきぶりが、似た世代の人の多分心に何かを与てくれるだろう。

 余談。小説内に登場するヒカリが書いた小説は、いかにもアメリカのワークショップ小説にありがちなミニマルさに溢れていて、日常のちょっとした機微を描いた短編小説がワークショップから続々と生み出されているアメリカ文学の状況が、ヒカリへの創作指導の様子も含めてよく分かって面白い。




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