COO’S WORLD
クーの世界 1


 夢の中でこれが夢だと、果たして訓練すれば気づけるようになるんだろうかと考えることがある。けれどももしも夢の中で夢だと気づいたような気がして、実はそれが夢の中じゃなかった時のことを思うと、どうせ夢なんだからと自分の欲望を爆発させてたりした場合、法律的にヤバいことになりそうだから、安易に信じてしまってはちょっとマズい。

 そこがずっと夢の中だと信じていられれば、マズいことになっていても、いつかは醒めるだろうと希望を持っていられるから気持ちは楽なのかもしれないけれど、身に危険が迫った時にパッと醒めるもまた夢の特徴。いつまでも避けない悪夢にさらされていれば、もしかしたらこれは現実なんじゃないかと悩んで恐怖も増してくるからやっぱりマズい。

 だからやっぱり夢の中ではそこは現実だと思い、現実にかえってよやくあそこは夢だったんだと気が付くのが夢に対する態度としては限りなく正しい。ところが逆に、夢だと信じていたところが現実で現実だと思っていたところが夢だったりするかもしれないという疑問が浮かんでしまったら、どちらを信じれば良いんだろう。そんな時どちらか好きな「現実」を選べたらすごく嬉しい。ただし「夢」にもやっぱり捨てがたいところがあってちょっと悲しい。さてどうしよう。

 そんな悩みに少女が答えを探して夢と現実の狭間をさまよう物語が小田ひで次のコミックス「クーの世界」(講談社、505円)だ。中学校への入学式を明日に控えた夜、麗寧という少女の夢の中に何年か前に死んでしまった兄と同じ顔をしたクーという青年が現れる。クーはそこが夢の中だとは気づかない麗寧を連れて、麗寧の家を探して砂漠を渡り、街をたずね危険をかわしながら旅をする。

 「クーの世界」にいる時、麗寧はクーが死んだ兄にそっくりだということを知ってはいる。ただしそこが夢の中だとは気づかない。目覚めれば妙にリアルな夢だったと気付きはする。けれども眠って再び「クーの世界」に入ると、なぜか昨晩の夢の続きが始まって、麗寧は夢だということを忘れてクーや連れの奇妙な姿をした王様、亮太という同級生と同じ顔をしたキョムといっしょに、自分の家を探す旅の途中にある。

 そんなある時、麗寧は夢が夢かもしれないということを気づいてしまう。そこで逆に夢は夢じゃなく現実が夢なんだと思わされてしまう。どっちだろう。どっちが夢でどっちが現実なんだろう。足下に大きな穴がポッカリと開いた気分になって、麗寧は自分という存在そのものを疑い始める。そんな姿に読んでいる方も知らずいっしょになって悩み始めている。

 どっちが夢でどっちが現実だったら自分は嬉しいんだろう。そして、いくら考えてもなかなか出ない答えに思うようになって来る。どっちが夢でも現実でも良い、はっきりして欲しいと願うようになる。その様は、大人と子供の狭間にあって、自分の存在に悩む思春期の少年たち、少女たちにどこか重なる。

 諸星大二郎をより繊細に、より優しくしたような絵柄が醸し出す奇怪だけれど牧歌的な雰囲気が、幻想的な物語世界によくマッチしていて読んでいて気分を穏やかにしてくれる。1日に1歩だけしか歩かない巨大なイグアナみたいな怪獣イッポとか、麗寧やクーの旅に動向する小くて口の悪い王様とか、クーに一目惚れしたらしく遠くからかけよって来たら実は何メートルも身長があった女の子のミュウとか、登場する不思議なキャラクターたちのコミカルな味も良い。

 「クーの世界」でクーの母親か預けられた奇妙な縫いぐるみ(後でその正体は明らかになるのだが)の「ウドちゃん」の可愛さもなかなか。一方で麗寧が砂に流してしまった「ウドちゃん」を抱き上げて麗寧から譲り受けた途端に砂へと流してしまって泣く女の子が、その住んでいる街とともにたどった哀しい運命とか、実は夢が夢だと気づいて出逢った「クー」の正体も分かって、現実へと帰ってそこで枕を抱きしめ兄を想って泣く麗寧の仕草とか、読んでジンワリと来る展開もあってしんみりとした気分にも浸らせてくれる。

 自分の存在に悩む思春期ならではの現象を、夢に絡めて描いた物語には巻末でひとまず決着が付けられる。続刊以降、夢だと分かって消えたはずの「クーの世界」に再び麗寧が赴く物語が繰り広げられているようで、まだしばらく続きそな物語に、ちょっとだけ成長した麗寧が直面するちょっとだけ切実さを増した問題にどう取り組んでいくのか、より奇妙な生物たちの登場にも期待しながら見ていきたい。


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