ショコラティエの勲章

 使ってもらうため、食べてもらうために作られた物には必ず、作った者たちの想いが込められている。ただ眺めるだけではわからないことでも、使ってみたり、味わってみれば込められた想いを感じ取れる。

 それは、上田早夕里の「ショコラティエの勲章」(東京創元社、1500円)でモチーフとなっている菓子たちにも言えること。手をかけて作り上げたパティシエやショコラティエや職人たちの想いが、囓ればきっと浮かんでくる。見えてくる。

 もっとも、菓子の見た目の美しさや、囓って最初に飛び込んでくる甘さに流され、なかなか想いを感じ取れないこともある。由来を知り、どう食べどう味わえば何を感じ取れるのか。そんな境地へと至るには修行も必要だろう。

 それはすなわち菓子の“心”を感じ取り、言葉に著せるほどまでに上田早夕里が、相当の菓子を食べ相当に菓子について学んだのだという賛辞につながる。決して安くはない一流の手になる一流の菓子たちに、払った対価が存分に塗り込められた物語。それが「ショコラティエの勲章」だ。

 京都の高級和菓子店、福桜堂の支店が神戸にあって、そこで福桜堂の工場長を父に持つ絢部あかりが働いていた。店頭に立って日々売る和菓子に満足していたし、父親が作っていることへの敬意も抱いていたものの、2軒隣にできたショコラトリー、つまりはチョコレート屋も気になって仕方がない。

 なかなか繁盛している様子のショコラトリーを、仕事の合間にのぞき買い物をしていた最中に女性が騒ぎ出した。たむろしていた女子中学生たちが万引きをしたと憤る女性。主人公も誰かが箱を取る場面を目撃していただけに、女性の指摘にも同意がいったけれども決定的な証拠がない。

 女子中学生のカバンから確かに菓子は出てきた。けれども外の箱がない。家から持ってきたと言われたら反論はできない。箱が出てくれば証拠になるけれど、箱を壊すような時間も隠すような場所もなかった。やっぱり万引きはしていなかったのか?

 そこで飛び出す名推理。ミステリ・フロンティアという叢書の1冊として刊行されているだけに、「鏡の声」というこの話も、連作で続く短編たちにも、菓子にかかわるエピソードを中心にミステリアスな事件が重なって、それを綾部あかりが半ば巻き込まれがちになり、手助けを得ながら解決していく。

 フランスの伝統的な菓子で、切り分け食べると中に「フェーヴ」という陶製の人形が入っている「ガレット・デ・ロワ」というパイがあって、人形が当たった人には1年間の幸運がもたらされるという。その「ガレット・デ・ロワ」を仲間内で結婚する女性に贈ることになった「七番目のフェーヴ」というエピソード。

 せっかくだからと仲間6人分のフェーヴを入れて贈ったところ、なぜか7つ目のフェーヴが入っていたからもらった女性は驚いた。誰が入れたんだろう? 何が目的なのだろう? 調べて欲しいと贈ったひとりの絢部あかりに依頼が舞い込み、店を尋ね心当たりを探って真相を突き止めようとする。

 「月人壮士」というエピソード。綾部あかりのいる店で働く若い和菓子職人が、社内コンテストに出す和菓子を作ろうとしたものの、アイディアを2軒隣のショコラトリーを仕切るシェフに見てもらいたいと言いだし、迷いながらも間をつないだところ、和菓子店のコンテストでは落ちたアイディアが、間をおかずにショコラトリーの新製品に使われていた。

 信頼していたシェフがアイディアを盗んだのか? 若い和菓子職人が自らアイディアを漏らしたのか? 疑う気持ちに迷いを抱きながらも、絢部あかりは少しづつ真相へと迫り、職人として抱く向上心の凄まじさを見せられる。

 いずれのエピソードのどれにもふんだんな菓子の知識が詰め込まれていて、読むだけで食べたくなって来る。勉強にもなる。それ以上に素晴らしいのは、多彩な知識の詰め合わせに止まってないところだ。最初の「鏡の声」なら、万引きをした女子中学生たちはどうしてそんなことをしたのか? といった心理が描かれ、また女子中学生の犯罪を指摘した女性が、どうして意固地になって主張し続けたのかが、菓子を媒介にしてしっかりと描かれている。

 表面的にはたかが菓子なのかもしれないけれど、それを作る人、食べる人たちにはそれぞれに心があって、想いがある。そんな想いの様々が、それぞれの短編から浮かんできては、自分ならどうなんだとろう考えさせてくれる。「七番目のフェーブ」には仲良しに見える人たちの間に渦巻いていた情愛と後悔の感情。「月人壮士」には極めたい、上りたいという職人の意地。菓子は人が作り、人が味わうものなのだ。

 思いこみ、思い詰めた人の心の、真っ直ぐさとは裏表の関係にある拙さも見える短編たち。「七番目のフェーブ」で、必死になって真相を暴こうとして絢部あかりが行き着いた先に待っていたドロドロとした情念。「約束」で、自分の思いと願いをとにかく果たしたいと焦っていた若い職人がやってしまった大失敗。

 「ショコラティエの勲章」というエピソードにも、祖父への思慕と父親への苛立ち、というよりむしろ母親への反感ばかりを募らせ、すぐ足下にあった“青い鳥”に気づかずいたずらに反抗心ばかり抱いてしまった洋菓子職人の娘が登場する。それぞれがそれぞれに熱意のカタマリのようで気持ちを奮わせてはくれるけれども、自分がという想いの強さで周囲を染めようとするあまりに、周囲を悲しませていることに気付けない様が見えて心痛い。

 そんな諸相を菓子たちがくっきりと浮かび上がらせる。菓子にはなるほど作り手の想いも込められている。と同時にそれらはすべて食べてくれる人たちがいてこその想いでもある。

 「菓子は何も語らない。だが菓子は、いつも人に何かを問いかけ、心の裡を語らせる」(50ページ)。これ程までの境地に至るにはいったいどれだけの菓子を食べれば良いのだろう。いやそれは必要ない。想いを込めて作られた菓子を、想いを抱いて食べれば自ずと見えてくる。

 菓子は素晴らしい。


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