吉野朔実劇場
お父さんは時代小説が大好き

 大手出版取次のトーハンが調査したアンケートによると、新聞記者や編集者、アナウンサーの一三・七%が毎月十冊以上の本を読んでいるそうです。仕事柄、情報収集が欠かせないという理由もあるのでしょうが、アンケート結果によると、意外にも「仕事の延長」よりは「趣味」で本を読んでいると答えた人の方が多く、マスコミに行く人は、やっぱり根っからの「本好き」だったということが分かりました。

 漫画家さんの場合だと、読書は「趣味」と「仕事」のどちらによりウエートがかかっているのでしょうか。吉野朔実さんが「本の雑誌」に連載していたコラムをまとめた、「お父さんは時代小説(チャンバラ)が大好き」(本の雑誌社、1200円)には、吉野さんが読んだ本や、これから読もうとしている本、いつか読みたいと思っている本が、毎回何冊も登場します。あらゆる体験をもとに、架空でありながらも、リアリティーを持った物語を作り上げなくてはならない漫画家さんですから、読む本はすべて、何らかの形で「仕事」の上に生きてくることになると思います。

 けれども常に「仕事」だと意識して本を読んだり、読もうと思っている訳ではないようです。「漱石先生に再会する。」というタイトルの漫画には、制服を着ているから高校生か中学生なのでしょうか、とにかくまだ女学生だったころの吉野さんが登場して、「芥川は天才 漱石は秀才」「恋人にするなら芥川 夫にするなら漱石」「友達なら漱石 兄弟なら芥川」と言いながら歩いているイラストが出てきます。

 「芥川は天才で漱石が秀才と言うその根拠は何なの」と聞く今の吉野さんの問いかけに、一言「顔」と答えるあたり、いかにも「文学大好き少女」といった雰囲気が感じられますが、ともかくもまだ漫画家にはなっていない時代、芥川龍之介や夏目漱石を、純粋に憧れて、あるいは純粋に楽しみたくて読んでいたということが伝わって来ます。

 「『羊たちの沈黙』日記」に登場するのはタイトルどおり「羊たちの沈黙」ですが、吉野さんはこの本を、ジョディ・フォスター主演の映画「羊たちの沈黙」を見た後で、湧いてきた様々な疑問を解決するために、あちこち探し求めたそうです。その疑問とは例えば「レクター博士の殺人の動機はなんなの!?」「B・ビルの動機もよくわかんない」といったものですが、友人に送ってもらったり、編集者に届けてもらった3冊の「羊たちの沈黙」を、「面白いいい」「面白いようう」と言いながら読んだ吉野さん、どうやら謎の答えを見つけることができたようです。

 それにしても、一生懸命本を探して思いっきり感動している吉野さんの姿を見ると、仕事で使うからとか、仕事に生かすからといった心理は微塵も感じられません。吉野さんにとって「羊たちの沈黙」の読書体験は、純粋に「趣味」だったと言うよりほかないようです。

 いっぽう、「百見は一画にしかず」に登場する「ワーズ・ワード」などは、より「仕事」の方にウエートがかかった本だと言うことができます。世界中のあらゆる品物がイラストで描かれている、一種の百科事典のような本で、「外出する時間が無いこともあります。そんな時、あんあ時この本があったなあら」という言葉からも、この本が「仕事」に役立つ本なのだということが解ります。

 もっとも、これを見ながら吉野さんや、吉野さんのアシスタントさんたちがウキウキした表情を浮かべている漫画からは、「仕事」に役立つということ以上に、ふだんは見られないものや、普段から見ているはずなのに改めて見ることによって新しい発見が得られるものを、本によって確認していけるという行為そのものに、喜びを感じている様子も伺えます。本好きはたとえ「仕事」のための本読みであっても、「趣味」に転化していまうところが、どうもあるようです。

 解るなあというのは、「いまさらアンドロイドが電気羊の夢を見るか?」ですね。最近読んだという「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」について、吉野さんが思うこと描いた漫画ですが、をまず「タイトルが良すぎる」という指摘に、長年のSF者として、涙がこぼれるほど嬉しくなりました。それから「子供の頃に読んでいたら なんだか違う人間になっていたような気がするんです」という言葉にも。子供の頃に「星新一」「筒井康隆」「小松左京」を読んでいなかったら、きっと今とは違う人間に、自分はなっていたでしょう。割と純文学ばかり読んでいた人間が、これで一気にSF(含むエンターテインメント)に転んだ訳ですから、影響は極めて甚大だったと言うより他ありません。

 もっとも吉野さんは「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」を子供の頃に読まなかったからこそ、「少年は荒野をめざす」とか「ジュリエットの卵」とか「いたいけな瞳」とかいった、素晴らしい作品を幾つも描いてくれる素晴らしい漫画家になった訳です。読んでいたら「アンドロイドは電気毛布の夢を見るか?」なんて漫画を描いていたかもしれません。えっ、こんなタイトルの漫画があるって? そうですね、たぶん清原なつのさんは、子供の頃に「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」を読んでしまったのでしょう。

 「お父さんは時代小説(チャンバラ)が大好き。」がどうしてタイトルになったのかは、やはり編集者の趣味としか言いようがありませんが、これは同時に、吉野朔実ファン全員の趣味のような気もします。だってお父さん、酒を飲んでは娘に絡むあの性格が、ぶーけコミックスのあとがき漫画の頃と全然変わっていないんですから。

 あとがき漫画には他にも、母娘合作漫画(吉野さんがサイン代わりに鉛筆で描いたイラストを母親が勝手にサインペンでなぞった話)を手がけたお母さんに、カタギの弟が登場しますが、中で一番光輝いていたのがお父さんです。あとがき漫画では「時代小説が大好き」ということは描かれていなかったので、タイトルになった漫画と、「父の野望」というタイトルの漫画とで、さらに人間の幅が広がりました。まだまだ「本の雑誌」で続く連載でも、やっぱり「お父さん」ものは人気を集めると思います。だから吉野さん、「不本意」なんて言わないで、どんどんと「お父さん」ものを描いて下さいね。


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