カンピオーネ! 神はまつろわず

 いきなり最強。なんてキャラクターが過去にない訳ではないけれど、あっても既に知られたゲームや漫画のキャラクターとして、その成長ぶり、存在感がつとに知られている上で、小説の世界へと持って来られた場合が大半。読んで「ああこのキャラクターはすでに成長を終えて次なる敵を迎えるんだ」と納得ずくで受け入れられる。

 けれどもこれが作者にとって最初の小説で、初めて世に問われた主人公が既に神に匹敵する力の持ち主になっていて、そして狙ってくる別の神を相手に人間業では考えられない戦いを広げるという設定は、流石に過去に類を見ない斬新さと唐突さに溢れたものだと言えるだろう。

 つまりは丈月城の「カンピオーネ! 神はまつろわず」(集英社スーパーダッシュ文庫、590円)は、前代未聞にして空前絶後の物語。読んで覚える違和感も無いわけではないけれど、そこは既に了解済みのことだと受け止め、最強から次にいったい何をしでかすのかを見定めつつ、いかにして最強になったのかを推察するという、現在から時間軸の前後へと幅を広げてあれやこれや考え、想う楽しみを堪能するのが良さそうだ。

 名を草薙護堂という少年。世に存在する神を倒すと、その力を得てカンピオーネという存在になるというのが規定事項となっている世界の住人にして、既にして1柱の神を倒してその力を手にしていた。前述のように神をいかにして倒したか、そもそも一介の少年がどうして神を相手に戦う羽目になったのかといった描写はない。お定まりの出会いからそしてレベルアップといった描写を楽しめない代わりに、どうせそうなるんだろうという予測どうりの展開に退屈することもない。

 今はとにかく神となり、強くなってしまった草薙護堂という名の少年が、起こる事態にとまどいながらも世のため、自分のためとばかりに戦うことになったのだと受け止めた方がシンプルだし、のっけから最強をベースに始まる戦いの方がラスボスの強さも半端ではないあろうから、より高いクライマックスを迎えられるメリットもある。

 実際に「カンピオーネ! 神はまつろわず」でも相手はいきなりギリシャ神話の女神アテナといった具合。そのアテナが傍目には13、4歳の頭に帽子を被った美少女だったとしても、彼女が手に入れようと狙っているものを草薙護堂が日本に持ち帰ったことから起こる戦いに容赦はなく、護堂は得た神の多彩な力を駆使して戦う羽目となるし、アテナの方も手抜きをすることなしに草薙護堂に向かい、「蛇」なるアイテムを取り戻そうとする。

 その戦いの最中に繰り広げられる、神についての各国の伝承や神話が集合し参じた果てにひとつの神が生み出されていくような、文化人類学的で民族学的な知識の開陳は読んでいていろいろと勉強になる。

 神といってもひとつの完成された姿ではなく、プリミティブな恐怖や社会経済等々の状況から生まれた信仰の場合、場合で誕生しては、時間や空間を超えて変化したり、重なり合ってひとつの神に結実し、そしてさらに別の神へとスライドしていく。唯一絶対の存在と神を崇める向きにはいささか不穏な考え方ながらも、現実に洋を超えて似た神が存在している状況が、この説を裏付ける。

 草薙護堂が戦いに臨んだ場面でも、そうして変化し流転する神々の知識を使い弱点などをあぶり出すあたりに、敵を神に選んだ意味があり、物語の特徴にもなっている。

 イタリアで草薙護堂を誘い、神殺しにも力を貸していそうなエリカといい、日本で超常的な動きを関しする任務を担った組織に所属して、神となった護堂を監視している媛巫女の祐里といい、美少女も登場しては護堂を挟んで奪い合う三角関係の腐れ縁的なシチュエーションは、いきなりの最強ヒーローとは違い他にも類を見そうだけれど、そんな環境に置かれてみたいと願う青少年たちにとって、類例の有無は無関係。心底よりそうありたいとの願いを覚えながら展開を楽しめる。

 おそらくはさらに強力な神が現れ、草薙護堂に挑みそして護堂も迎え撃つことになるのだろう。そんな展開をベースに神がいて、人間がいて神を倒した存在があってといった世界がどのように成り立っているのか、これからの世界はどう変わるのかといった楽しみを与えてくれることになるのだろう。

 いきなり最強は反則ながらも、反則が見せる娯楽性にはやはり利がある。さらに凄まじい神の力を得て挑むのか、それとも少年は神の力を疎ましく想っているのか、ならば世界はこれからどう動いていくのかといった興味を置きつつ、続く展開への想像に溺れよう。アテナはそのまま引っ込んでいてくれるのか。腐れ縁的な展開ならば神でありながら転校ということもあるけれど、それでは三角が四角の関係となて血の雨が降りそう。神ならばそんな雨もものともしないか。神でもなりふり構わない美少女は恐ろしいのか。

 楽しみだ。


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