平等ゲーム

 格差社会をぶっ壊せ。誰もが平等に生きられる理想郷を作れと叫ぶ声があちらこちらから上がっている。小林多喜二の「蟹工船」がベストセラーになったり、日本共産党員が一気に1万人も増えたりといった現実の動きも起こっている。

 政治の空白に経済の停滞。にも関わらず変わらない社会の構造に、ひっくり返してやろうと企む反権力的、反社会的な勢力だってこのままだったら出かねない。

 でも。

 平等ってそんなに素晴らしいものなのか? 平等な社会って本当に実現できるのか? 人間が生まれ社会を営み始めてから幾年月、常に問いかけられてきたそんな疑問への現代ならではの答えに近づかせてくれるのが、桂望実の「平等ゲーム」(幻冬舎、1500円)という小説だ。

 すべてが投票で決まる「鷹の島」という島が瀬戸内海にあって、多くの人から理想郷として認識されていた。仕事は4年に1度の抽選で割り当てられ、学校の成績も運動会の徒競走もすべてが平等。住むに足り、食べるに困らず娯楽だって豊富にあって休みも十分。お小遣いだってもらえてしまうその島に、移住したいと憧れる人も大勢いた。

 全員を受け入れられる訳ではない。人口は1600人程と決まっている。欠員が出たら補充する、そのわずかな枠を目指して希望した人の中から、抽選で当たった幸運な人のところへと出向いて詳しい島の説明する仕事に、芦田耕太郎は就いていた。

 出会う人は耕太郎を前に、生活が大変で忙しく夢やぶれ挫折し苦しんでいると語る。受けて耕太郎は、移住すればどんなに素晴らしい生活が待っているかを説明する。なるほど確かに理想郷。どこかの共産国家とは違って、特権階級なんていない完全なる平等が成し遂げられている。そんな島の素晴らしさに移住を決める人が出てくる。

 でも。

 移住を希望しながら耕太郎と出会った時に、移住を迷う人もいる。拒絶する人すら出てくる。競争はないけれど、それで生きているという充実感は得られるのか? 達成感は得られるのか? 頑張ろうという気になるのか?

 頑張りのないところに進歩はない。失敗もあって敗残することもあるけれど、大切なのはそうした失敗や敗残から学び立ち直ること。敗れたのなら言い訳をしないで自分に責任を求めること。それが生きていることだと訴える人たちの存在に耕太郎は戸惑う。

 それはそうだ。生まれてからずっと34年間を理想郷で過ごしてきた。敗者の歯がみも弱者の震えも経験して来なかった。だから理解できるはずもない。平等こそが善だと信じ込んでいた。一所懸命に島の良さを語って勧誘した。それなのに来てくれない人がいることに、耕太郎は島とは違った生き方があることを知った。それが普通であることを学んだ。

 一時の忙しさに移住を希望したこともあった歯科医の助手は、他人より良くなりたいという欲望が生き甲斐なんだと勧誘を断った。毎日が退屈でスケジュールを埋めるためにやりたくもない生け花に理由をつけて通っている彼女ですら、平等で平穏な世界を嫌がった。

 競争することは厳しい。けれども勝てば嬉しい気持ちが生まれることを耕太郎は知った。彼女を勧誘するために近づこうと通った生け花教室の展覧会で、耕太郎は生け花のスケッチを何の気無しに描いていた。その絵が認められ、絵の教室に通うようになって誉められ、喜びを感じる中で、耕太郎自身も競い合う気持ちの素晴らしさに気が付いた。

 船に乗って、船員から乗客の絵を描いて欲しいと頼まれたこともあった。同時に幼い少女から離婚する両親の絵を描いてと頼まれた。最初は嫌がっていたものの、断り切れずに描いた少女の両親の絵を、最初は全然違うと言われて耕太郎は不思議に思った。

 笑っていないと言われた。でもちゃんと笑顔を描いたつもりだった。どこが笑顔ではないのか? どうやら違うらしい。心がない。感情がない。葛藤がない。だから絵に表情として現れないと知った。気づいて描いて喜んでもらえた。船員から頼まれた乗客の絵も大いに喜ばれた。嬉しかった。

 嬉しさは認められたこと。それは個性。否定されていた個性について考えるようになったけれども耕太郎はまだ縛られていた。平等という理想に。島で経験して来た安閑として幸福な日々に。

 でも。

 島でいろいろなことが起こっていると知って悩んだ。理想郷ではなかったと知って傷ついた。憤った。そして迷った。完璧な理想郷は存在するのか。完璧な理想郷を作ることが出来るのか。

 どんな理想郷でも腐敗する可能性を持っている。かといってそうした腐敗を腐敗と糾弾して排除した所に生まれる完璧な理想郷では、個性は生まれず競争もなく従って発展も起こらない。

 それで良いのか。談合だの斡旋だのといった風習を声高に糾弾するそのマインドは確かに正しい。けれども、一方で強圧的な存在がコスト無視ということはすなわち、働く人たちの権利を無視して安く入札して、仕事を奪いコミュニティを崩壊へと追いやる可能性もないでもない。

 だから腐敗が良いのかというとそれは違う。やはり平等が完璧だというとそうでもないなかで、拠り所となるのは個々人の幸福であり、その連鎖。すべてが前を向いて歩み、そしてこぼれそうになったら支えふたたび前を向かせる仕組みをもった優しい世界の到来だ。

 問題は、それをどうすれば実現できるのかといこと。且つ、立ち直ろうとする人たちを支え守る仕組みがしっかりしていること。敗残した人たちを救うセーフティネットをしっかりと設けておくことだ。

 完璧な平等に憧れ、「蟹工船」を読み、党にすがって革命を夢見るより先に、考えるべきことがあって成すべき事がある。その道を「平等ゲーム」に描かれたグロテスクなビジョンと、示される可能性から探るのだ。


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