ブッシメン!

 仏像とは。寺院に昔からあって衆生から崇め奉られている物が仏像であるとは分かる。では新しく作られる、未だ誰からも拝んでもらっていない仏像は、果たしてどこから仏像と呼ばれる存在になるのか。寺に収められてからか。開眼を受けてからか。はっきりしたことは分からない。

 美術館や博物館で流行の、仏像を並べる展覧会でよく販売されている、仏像の模型は果たして仏像なのか違うのか。古くから崇め奉られているものを、そのままの色形で模したものなら、大きさこそ違え仏像と言えるのではないか。それともやはり違うのか。これもはっきりしたことはよく分からない。

 いまや仏像がインテリアになってしまっている時代。MORITAという会社が作る「イSム」というブランドには、興福寺の阿修羅像やら中宮寺の弥勒菩薩やら広隆寺の弥勒菩薩やら浄瑠璃寺の吉祥天やらの模型が、今の歳を経て風格を出した姿だけでなく、作られた当時の色彩で再現されたものも含めて、ラインアップされている。

 ポリストーン製だから、フィギュアメーカーの海洋堂が仏像の展覧会で販売しているものに雰囲気は近い。ただし、サイズが30センチから40センチ近くあって、重厚な上に値段も5万円10万円となかなかなもの。その大きさならば、もはや仏像として信心の対象となるのではないか。それともどこかが違うのか。これにも明確な答えは出ない。

 仏像とは何なのか。それを作る仏師という存在を主人公に描いた漫画が、小野洋一郎による「ブッシメン!」(講談社、543円)だ。父親が名だたる仏師だった奈良崎玄蔵は、まだ子供だった頃に、父親が工房の家事で死んでしまう。玄蔵は親の後を継いで仏師を目指そうと修行にはげむ。やがて21歳になった玄蔵は、親譲りの腕前でなかなかの評判を取るようになっていた。

 そんな玄蔵にも、まだ分からないことがあった。火事の時に、焼け死んだ父親が手に握って話さなかった、何か仏像の腕らしいものの本体が、いったいどんな仏像だったのかが未だに分からなかった。儀軌という、仏像にとっての決まり事を決して外さず頑なに守っていた父が作った腕なら、きっと実在する本体の仏像があるはず。そう信じて探していたものの、未だ正体をつかめずにいた、そんなある日。

 幼なじみのサクラという少女がたずねてきて、迷う玄蔵を気分転換にと連れて行った先があのワンダーフェスティバル。いうまでもなくガレージキットの祭典で、仏像とは対極にありそうな美少女のフィギュアが勢ぞろいした会場を見渡し、原型師たちが示す仏師とはまた違った造形への情熱に感心していた玄蔵の目に、ふと父親が残した腕に近いものが入ってきた。

 何だそれはと探し求め近寄って仰天。そして唖然。半ば落胆をしたものの、そこから玄蔵は、仏師とはまた違ったガレージキットの原型師という仕事があることを知り、フィギュアメーカーで企画を担当する女性と知り合い、依頼を受けて仏教をテーマにしたアニメのフィギュアの原型作りに取り組むことになっていく。

 儀軌という仏像のきまりごとを重んじる、仏師の観念を一方に持ちつつ、そうしたものよりも見た目の凄さ、そしてそれがユーザーの気持ちをどれだけ動かすかを重用視するフィギュアの世界にも足を踏み入れ、どちらに行くべきかを迷い悩む主人公。けれども、自分が長く愛し探し求めた遺品の腕が作られた経緯を思い出し、またフィギュアであっても仏像であっても、それを求める人がいったい何を望んでいるのかを想像することで、少年はフィギュアの原型作りに、ひとつの芯を見出していく。

 形も大事。けれども心はもっと大事なその世界で、現実にいったいどれだけのフィギュアがユーザーの心を揺り動かしてくれるのか。似ているけれども「コレジャナイ」と言いたいものも多々ある世界。そうならないための道をめざす者は知るために、そしてそうなってしまったのは何故かを求める者は、感じるために「ブッシメン!」を読んで損はない。

 講談社の漫画誌「イブニング」での連載では、玄蔵はそれなりの腕は持ちながらも、自堕落な生活を送る叔父の玄蔵のところで修行をやり直し始め、女性が感心を示しそうな阿修羅像を作り、そしてブログで人気の美少女仏師との対決も行っては、自分自身に作れるものを見つけていく。当初のガレージキットとの関わりが、いささか後退気味ではあるものの、いずれ同じ道を究めようとする者たちの世界。美少女仏師のそちらへの参入といった可能性も信じつつ、あらゆる世界で繰り広げられる匠たちの探求のドラマを楽しんでいこう。


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