ブランコ乗りのサン=テグジュペリ

 サーカスはたぶん、とても素晴らしい。

 本物をまだ目で見たことのない人でも、本で読んだり絵で眺めたり映画で見たりして、高い場所を左右に揺れるブランコを飛び移り、ぐらぐらと揺れる玉の上に乗って歩き、人間なんてやすやすとかみ砕き踏みつぶす猛獣たちを操る、サーカスの模様を想像するだけで、心がとてもワクワクしてくる。

 本物を見に行けば、バーやパートナーの手を掴み損ねてブランコから落ちたり、玉の上から転げたり、猛獣たちに追いかけ回される様子を、目の当たりにできるかもしれない。それは、芸を見せるたちにとってはとてつもない恐怖でも、芸を見る人たちにはスリリングなエンターテインメント。命をかけて挑む演目者たちの人間を超越した技があるから、サーカスはいつの時代も人を魅了して止まないし、本や絵や映画の題材として取り上げられる。だから。

 サーカスは絶対に、とても残酷だ。

 芸がなければサーカスの舞台には立てないし、喝采は浴びられないし、お金も名誉も得られない。逆に芸がありさえすれば、喝采も金も名誉もすべて得られる、そんな場所に立てるほんの一握りのスターを目指して大勢が競い合い、蹴落とし合うサーカスの裏側が、残酷でないはずがない。

 何をしてでもその座へと辿り着こうとする強靱な意志。何があってもその座を守り続けるという強烈な矜持。サーカスに生きる少女たちのそんな心身の有り様が、紅玉いづきによる「ブランコ乗りのサン=テグジュペリ」(角川書店、1500円)という物語に描かれる。

 度重なる天災の影響で朽ちかけた経済を立て直すため、湾岸地域に作られたカジノを中心とした歓楽街で興行するサーカスには、代々同じ名を受け継ぐ芸人がいた。そのひとりがブランコ乗りの“サン=テグジュペリ”。今は涙海という少女が八代目を受け継ぎ、類い希なる技を見せてサーカスきっての人気者になっていた。

 その日もサーカスに来た観客には、いつもの“サン=テグジュペリ”が現れ、演技を始めたように見えた。けれども、実は違っていた。自主練習中の事故で怪我をして脚が動かなくなった涙海に代わって、双子の妹の愛涙がサーカスの団長にも、団員の誰にも黙ったまま、舞台に上がってブランコに乗っていた。

 かつては同じように体操の訓練をしながらも、涙海の持つ才気とサーカスの演目者になりたいという執念を横で見て、自分はそうはなれないと思うようになり、また家計のことも考えて曲芸学校には行かず身を退いた愛涙。それでも、普段は涙海につきあっていっしょに自主練習していた彼女は、ブランコぐらいなら普通に乗ることができた。

 だからこそ、サーカスの花形という場に立ちながらも、観客には入れ替わっていると気付かせないでしっかりと演技をこなしてみせた。落下する失敗もするけれど、完全に違うと思われるまでには至らなかった。

 それは、あだち充の「タッチ」でいきなり剛速球を投げた上杉達也のよう。野球部のエースだった弟とは違い、練習も何もしていなかったのに、死んだ弟に成り代わって投げた球の威力で、相棒のキャッチャーを驚かせた。

 まさに天与の才。不幸にも、あるいは幸いにして克也は事故で死んでしまい、達也の天才に触れることはなかったけれど、“サン=テグジュペリ”だった姉の涙海は、代役を務める愛涙の演技を見る機会を得てしまった。

 だから懊悩した。葛藤した。自分がいた場所を奪おうとして、けれどもまるでそのことに気付いていない愛涙の天才を涙海は羨望し、嫉妬し、動かない脚で懸命に自分の居場所を取り戻そうとした。そんな涙海の心情が痛いほどに伝わってくるエピソードから、芸に生きて、芸に死のうとさえ思う芸人たちの執念というものが、濃く浮かび上がってくる。

 そんな2人の“サン=テグジュペリ”の物語を挟んで、同じサーカスで演目者としての名を受け継ぐ猛獣使いのカフカと、歌姫アンデルセンのそれぞれの“戦い”も描いて、芸に挑む者たちの覚悟を示してみせた「ブランコ乗りのサン=テグジュペリ」のストーリー。その過程で、サーカスの裏側で蠢くやっかい事も見えてくる。

 これが物語に必要だったかどうか、芸に生き芸に死ぬプロフェッショナルの芸人と、天才であっても矜持を持たない者の道を、対比させる展開だけでも悪くなかったのではないかと思う人もいそうだけれど、絶対の舞台を汚したくないという矜持を、醜い事件が芸人たちに改めて抱かせ、動くきっかけになったことを思えば、必然の要素だったと見ることもできる。

 カフカは猛獣使いとして居場所を確かめ、アンデルセンは誰にも冒されないで立ち続けられる場所を自らその手につかもうとする。そして“サン=テグジュペリ”。偽物だった彼女が、劣化コピーかもしれいないという呪縛から解き放たれて、本当の自分をさらけ出す瞬間、そして本物の彼女が、常人の及ばないとてつもない矜持を見せたその瞬間、世界は知るだろう。

 サーカスは残酷で、だからこそ素晴らしい場所なのだと。


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