ビューリフォー! 准教授久藤凪の芸術と事件

 「ビューリフォー!」という言葉。日本人だったら日本語的な発音で「ビューティフル!」と言うところを、英語的に正しい発音で「ビューリフォー!」と言った人がいて、果たして誰もがそれを正しくて美しい発音だ、とても強要のある人だと褒め称えるだろうか。それとも気取った奴だと目を背けるだろうか。

 美術史研究の分野で若くして業績を挙げ、大学の准教授となった久藤凪という人物は、その才能とイケメンぶりから学生たちに高い人気を得ていた。その久藤が自分の研究室に設置した、巨大なテレビモニターに絵画の画像を映し出して叫ぶ言葉が「ビューリフォー!」。美しいものを美しいと讃える気持から放たれる言葉だ。

 才能のあるイケメンが「ビューティフル!」と言ってもどこか落ち着かないのに、「ビューリフォー!」と言ったと聞かされて、浮かぶのはやはり気取り屋というイメージだ。ところが、波乃歌の「ビューリフォー! 准教授久藤凪の芸術と事件」(メディアワークス文庫、590円)を読んで、久藤凪という男の本性を知れば知るほど、「ビューリフォー!」という言葉のニュアンスには、疚しさはなく濁りもなく、ただ純粋な美への感動が滲んで来る。

 たしかに見てくれは良く、外部には優しくて知的な研究者といった顔を見せる久藤凪。けれども、彼の講義をとっていて、試験を受けて提出した答案に、最低ランクのFをつけられこれでは奨学金が止められてしまうと憤って、久藤の研究室へと乗り込んでいった田之中花という女子学生を相手に久藤見せたのは、サディスティックで辛辣な厳しい顔。オディロン・ルドンの「キュクロプス」という、山肌からひとつ目の巨大な怪物が頭をのぞかせる幻想的な絵の感想に、「かわいい」と書いた花の意識が信じられない、ありえないととばかりに、悪口雑言をまき散らしては罵倒する。

 いったいなんなんだこの人は。そう訝っても憤っても、そこは事情があって奨学金を止められては困る花を相手に、久藤はひとつの条件を持ち出してきた。それは、彼の身辺を世話する一種の奴隷になれというもの。どうして久藤が花の金銭事情を知っていたのかはわからないけれど、ほかにあてもない花はそれを受け入れ、かくして本を片づけ資料を作り、ケーキや羊羹の買い出しに行くひとりの奴隷女が出来上がる。

 そんな非道で非常なな人間が、「ビューリフォー!」と言ってもやはりどこか不似合いで、気取りの底に下衆さも重なり無教養な莫迦だと思わせそうになる。ところが、久藤凪は単に横暴を極めているだけではなかった。他のすべてを置いても美に献身したいという気持から、雑事を花に任せて探求に勤しむ、根っからの研究者だった。

 なおかつ、そうした知性を時々ながらも大学に起こる不思議な事件へと振り向けて、鮮やかに解き明かしてみせる。知性と優しさ。純粋さと前向きさ。そんな意識から発せられる「ビューリフォー!」という言葉には、いささかの濁りも迷いも淀みもない。だから響く。そして影響を与える。多くの意識に。そして花の意識にも。前向きになるような影響を。

 他人の心配などしている余裕もないはずの貧乏学生の癖をして、花にはお節介なところがあって、死んだはずの同級生から葉書が届くと言ってきた青年の怯えを感じ取って、真相究明に乗り出そうとしては壁にあたる。そこに現れた久藤が、ブリューゲルの「イカロスの墜落」という絵を研究室の巨大なモニターで見て、「ビューリフォー!」と連発しながら死人からの手紙の謎を解き明かす。学校の中で猫に毒餌が与えられる事件では、歌川国芳の浮世絵を見て「ビューリフォー!」と叫んでは、謎へと迫り犯人を暴いて解決してみせる。

 同じレーベルから登場している三上延の「ビブリア古書堂の事件手帖」が、古書を題材に人の心の機微に迫る物語なら、こちらは絵画ををモチーフにして、市井の人たちが抱える悩みを浮かび上がらせ、解決の道を示す物語といったところ。絵画はあくまでも、状況を分かりやすく説明するための一種の絵図面として扱われる。

 ピカソの「泣く女」を見て「ビューリフォー!」と叫ぶ事件は、ホストをしていた恋人に振られたと泣き続ける少女と、振ったホストの青年との間にある事情を察知し解決した上で、「泣く女」に描かれたモデルの人生を語って、男女の関係の奥深さを示してみせる。ラファエルの「家族の肖像」が絡む事件は、大学の食堂で働く名物おばちゃんの複雑な家族関係を探り出し、大っぴらにしない形でそれぞれの気持に沿うような解決の道を提示してみせる。

 加えて、花自身が抱えている、父親との複雑な関係にも話を及ばせ、わだかまっていた花の気持を解きほぐし、家族への思いを膨らませさせる。それほどまでに配慮されている花を、もしかしたら久藤凪はなにかの理由でずっと気にしていたのか、だから金銭事情を全部解った上で、テストで落第点をつけ、困っていたところにつけこんで奴隷にしたのか。

 そんな想像も浮かぶけれおd、それだと久藤がどこか陰険な男になってしまって、「ビューリフォー!」という言葉にも濁りが混じる。もっと純粋に、どう見ても不気味な「キュクロプス」を可愛いと思った花の感性に、なにかを感じて誘ってみたのかもしれない。そんな久藤凪の美への純粋な思いと、なにかにつけて首をつっこみ事態をひっかきまわす花の存在が、次にいったいどんな展開をもたらすのか。気になる。おおいに気になる。


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