オーギュメント・アルカディア

 特別な才能があった訳でも、強靱な意志を持っていた訳でもない高校生の少年が、巻きこまれ追い込まれた境遇の中で、最高の殺人者に大化けして屍を積み重ねていく「ケモノガリ」(ガガガ文庫)のシリーズで、殺伐とした描写をこれでもかと繰り出していた東出祐一郎だけに、「オーギュメント・アルカディア」(朝日新聞出版、1200円)でも、殺し殺される描写はお手の物。ヤクザの手下どもが文字通りに鉄砲玉となって命を散らしたり、日本刀の一閃で首がいくつもはね飛ばされたりする。

 なるほど基本は、ハンバーグ作りの巧い探偵の青年が、荒々しい武装集団に追われていた美少女を助けて追っ手を退け、自分の事務所にかくまっては彼女をめぐる謎に挑んでいくという、ヒロイズムにあふれたストーリー。けれども、鬼隠涼真という名の探偵の青年が、実は忍者で鬼隠流忍術21代目創始者と名乗っていたり、手にした日本刀でデジタルデータの怪物を両断したりといった矛盾にあふれ、常識からも外れた展開が繰り広げられたりする時点で、ありきたりの“探偵物語”とは違う話だと、誰もが気付くだろう。

 AR(オーギュメント・リアリティ)と呼ばれる、コンピュータが作り出す拡張現実は、現在でもディスプレーを通してそこにコンピュータグラフィックスのキャラクターや、広告のような情報を映し出してみせるような方法で、体験することが可能になっている。それがナノテマシン技術の高度化と、ネットワークの発達によって、さらに色濃く“体感”できるようになった世界が、この「オーギュメント・アルカディア」の舞台。そこでは、拡張現実がただ見えるというだけでなく、肉体にも精神にも作用する存在となって、人間たちの周囲に、それどころか都市全体に蔓延っている。

 戦いの場面で繰り出される武器弾薬の類も、それらから身を守る防具の類も、リアルの産物だけでなく、拡張現実によって生み出された情報体と呼ばれるものが混じるようになっている。ただのデジタルデータの塊でも、それが繰り出すハッキングも含むような攻撃を受ければ、ナノマシンによって体を一種の生体デバイスと化した人間には効果がある。情報に作用する弾丸で撃たれたり、ハッキングのスクリプトが刻まれた刀で切られたりすれば、痛みも感じるし、死ぬことだってある。

 逆に、拡張現実によって生み出された情報体と呼ばれる存在にも、それらに効果的な武器を使えば太刀打ちできる。あるいは、情報体を人間のような形にして、お互いに触れあうことだって出来る。街で誰かが美しい彼女なり凛々しい彼氏を連れて歩いていても、それが人間だとは限らない。けれども当人たちにはどうでもいい。観られるし、触れられるのだから。

 追われていた少女も、そんな情報体のひとつで、本格的な武装で固めたヤクザの集団によって捕まりそうになりながら、彼女の力になって欲しいという依頼を受けて動いていた、探偵の鬼隠涼真によって助けられ、事務所へと連れて行かれる。そして分かったのは、ディという名がつけられることになった少女には、該当する情報体が存在しないこと。どこから生まれたのか。誰の持ち主なのか。何も分からない。それは本来、あり得ないことだった。だから鬼隠涼真は驚いた。

 これは深い事件だ。北郎市と呼ばれるその都市を牛耳る5つの企業体を相手に立ち向かうことになるかもしれない。それでも鬼隠涼真は怯えず、退かず、逃げなかった。喧噪が渦巻く北廊市でそれなりに仕事をこなし、探偵としてそこそこの評価を得ていた彼にとって、立場に余る仕事ながら、それでも頼まれたことはやり遂げるという信念を貫き、受け継いだ忍者の力を駆使して戦いをくぐりぬけ、ディが生み出された理由を探り、彼女が狙われる理由を探って真相へと突き進んでいく。

 拡張現実へのクラッキングが、肉体への損傷にもつながりダメージを食らうなら、いっさいのデジタルとの接触を断って、その身ひとつて動き戦えば、誰からの攻撃も受けないのではないかといった思いも浮かぶ。もっとも、それでは日ごろの暮らしが成り立たないくらいに、もしくは生きていけないくらいに、現実世界のあらゆることが、ナノデバイスからネットワークを介して繋がった仮想世界との関連を、持っていたりするのだろう。

 そんな世界で、いかに相手を上回って勝つのかとといったあたりでの、テクノロジーと体術の双方が絡み合ったバトル描写がなかなかに斬新。忍者と拳法使いが刀を持ち体術を駆使して対峙するシーンは、リアルだけでも迫力なのに、そこに拡張現実にも作用する武器や防具が加わり、重力操作のような技術も加わって、現実にはあり得ない戦いを見せてくれる。映像にしたらどういったものになるのだろうか。難しいかもしれないけれど、少し見てみたい気もしてくる。

 キャラクターでは、忍者の青年を導く謎のハッカーがいて、その目的が明らかになったときと、その正体が分かったときに浮かび上がる、ひとつの過去から続いて来た繋がりがちょっぴり胸を打つ。友達は大切にしようと思わされる。たとえそれが、向こうの勝手な都合によって命すら脅かされそうになっていたのだとしても、頼られるのは嬉しいものなのだから。

 最高峰の情報体という割には、ヒロインのディがマヌケ過ぎるのもユニークなところ。長谷敏司の「BEATLESS」に登場するアンドロイドの美少女たちが、どれも最高峰に研ぎ澄まされて完璧なまでの所作を見せるのとは対称的。だから守ってあげたいと思わせるところに、ディを生みだした存在の企みがあるのかもしれない。それはいつか明らかにされるのか。続きがあるなら読んでみたい。

 そして、鬼隠涼真が作るハンバーグを食べて、情報体のディがほっぺたを落とす場面も見てみたいもの。デジタルの産物なのに料理も食べられるのか? そこが拡張現実の隅々まで行き渡った世界の面白くて新しいところ。あらゆるリアルがバーチャルに置き換え可能な世界。そこで生まれる、そこだからこそ生み出せる戦いと日常の物語を、想像力を駆使して楽しんでいこう。


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