あとは野となれ大和撫子

 宮内悠介の「あとは野となれ大和撫子」(KADOKAWA、1600円)という物語でまず凄いのが、アラル海という世界で4番目に大きい中央アジアの内陸湖が、灌漑によって河川の流入が途絶えて干上がってしまって、とてつもなく広い範囲で陸地になってしまったという現実の情勢を踏まえつつ、そこを領土にしていたカザフスタンやウズベキスタンとは違った、アラルスタンという国を立ちあげてしまったことだ。

 政治的に可能かは熟考が必要ではあるけれど、旧ソ連が崩壊してCISとなって後、連邦内でいろいろな国々が分離し独立を重ねる中で、水底に過ぎなかった土地、そして塩害によって農業には向かない土地に誰かが街を作り、綿花栽培や油田開発のような産業を興し、どうにかこうにか切り盛りしていく可能性が皆無だったとは言えないし、これからだってあるかもしれない。

 そうした可能性を押し通した上で、ロシアやイランといった国々も含め、カザフスタンやウズベキスタンとどういった関係になるかを練り上げることで、現実の世界にアラルスタンという架空の国を作り上げ、興亡を描こうとした。

 舞台をライトノベル的なファンタジーの世界に設定して、興国から侵略、そして戦闘といった戦記物として描けばどこまでも自由に描けただろう。賀東招二の「フルメタルパニック」シリーズのように、時代こそ現代でありながらも、政治と軍事とが絡んた寓意的なフィクションとして仕立て上げることも可能だっただろう。

 ただ、それをやってしまうと、エキサイティングさに歯止めがかからず嘘っぽさが漂ってしまう。かといって抑制すればシリアスで血みどろな物語になってしまう。

 現実という制約の中でどこまでカッ飛べるか、といったところでリアルな世界にバーチャルな国家を打ち立てる力技をまずは繰り出し、その上でシリアスに向かわずキャラクターの雰囲気や言動からポップさを奪わないで、エンターテインメントとして読ませるという絶妙のバランスを維持して作り上げた。「あとは野となれ大和撫子」はそこがとてつもなく素晴らしい。

 気になるのはタイトルとの整合性で、ヒロインのナツキには日本で暮らした経験はなく、父親が植物工場の技術者として赴任した先で、ついていった母親から生まれた日系二世。そして5歳になった時、起こった紛争に巻き込まれて崩れたアパートの下敷きになって両親は死に、自分だけが瓦礫の下から救い出され、そして彷徨っていたところを拾われ、後宮に入ってそこで成長した。

 後宮といっても中国や欧州や中東の王朝物にあるような、皇帝の寵姫が集められたハーレムとは違って、時の大統領が事情のある女子を引き取って、学問を与え国に役立つ人材を育てようとしていた一種の寄宿学校。そこで15年を過ごしたナツキのどこに、大和撫子という言葉にある種代弁される、奥ゆかしさとか清楚さといったものがあるのかが、宮内悠介による「あとは野となれ大和撫子」(KADOKAWA、1600円)を少し読んで気になった。

 もっとも、表向きの意味とは違って清楚に見えてしたたかで、奥ゆかしさの裏側に深慮遠謀をめぐらせ、表に立った男たちの世界を支えつつ、操ってきた女性の深層をこそ大和撫子的なものと捉えるならば、「あとは野となれ大和撫子」に登場する女性たちの誰もが状況に屈せず、男性達の身勝手さにも流されないで自分を保ち、思いを貫こうとする。開き直った強さが輝くという意味で、このタイトルは相応しいとも思えてきた。

 さて物語はと言えば、5歳で後宮に拾われたナツキは、パルヴェーズ・アリー大統領の指揮下で寄宿学校と化した後宮で育ちながら学び、技術面での知識を伸ばしていく。後宮にはナツキのほかにも、政治や外交に長けたアイシャ、ナツキにとっては最初の友人で文化面で才能を発揮しつつあるジャミラといった女性たちがいて、遠からず後宮を出て、政府の仕事に就くことになっていた。

 ところが、演説に出たアリー大統領が暗殺され、政情が一気に不穏となって男性の議員たちは国を捨てて逃げ出し、地方から反政府組織の進軍も取り沙汰される。そうした中、アイシャが早急に国を束ねる必要があると考え、僭称も厭わず大統領代行に就任し、ナツキも国防相に就いて知識と直感を働かせては、居残った軍人たちとまずは反政府組織を迎え撃つ。そして、いったんの平穏を取り戻した国の中で起こる油田地帯での紛争なり、国そのものの転覆をねらった謀略なりに挑んでいく。

 紛争の絶えない中央アジアで起こった政変といった情勢は、ともすれば泥沼の紛争を招いて、硝煙の臭い漂う中を血しぶきが舞い肉片が飛び散るような悲惨な展開へと向かいかねない。そうした中で銃を取り、兵士を指揮して闘う現代のジャンヌ・ダルク的な存在にナツキやアイシャたちをさせないで、機知と策略で紛争化を避けその後も安定を保たせるような展開へと持っていったところが、読んでいてホッと安心できる。

 バルカン半島でも中央アジアでもアフリカでも、紛争は分裂を招いて戦闘へと到っている現状を見るにつけ、アラルスタンで平穏が保たれ得たことを絵空事と見る向きもあるだろう。だからこそ、そうすれば意外性を感じさせられるといった作者の思惑もあるとして、一方でそういった道も頑張れば得られるんだといった希望も与えられる。

 ライトノベルなりファンタジーなら描ける無茶も、リアルな舞台を選んだ以上、面白いから良いといった理由は使えない。無理筋の絵空事にさせないための段取りを、作者はしっかりと踏んでみせた。読めばなるほど、そうなって当然かもしれないと思わされる。

 野とはならずに園を得たナツキやアイシャ、そしてこっそりと支えるジャミラだけれど、そんな園を永続的に保つ難しさといったものも、現実の世界情勢が示している。隙あらば利権を得ようとする国々の思惑も渦巻く中で、果たしてどのような国家運営が進んでいくのか。そんな将来を感じさせてくれる物語があれば読んでみたい。

 せっかくタイトルに大和撫子と銘打たれた物語。ナツキにとってルーツともいえる日本との関わりを描き、アラルスタンとは逆に大和撫子性が失われつつある日本を目覚めさせるような言葉を突きつけてくれたら有り難い。アラルスタンとの縁が出来たママチャリ旅行の日本人青年が、知らず活躍するような展開もあればと願いつつ、待とう、続きが紡がれる時を。


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