悪魔の皇子
アストロッド・サーガ

 愛と憎しみは紙一重。その差が時として素晴らしい物語を生み、また激しいドラマを作り出す。たったひとりの思い人への愛情が受け入れられなかった時に転じる感情は、その愛情が深ければ深かっただけ激しい憎しみへと変わる。愛情が真正面から退けられたのならまだしも、相手が同じように愛情を発していてそれが、すれ違い行き違い届かなかっただけだったら、事は悲劇でありまた喜劇だ。

 「第2回ビーンズ小説大賞」を受賞した深草小夜子の「アストロッド・サーガ」(角川ビーンズ文庫、457円)は、2人の皇女が”闇の神族”と結ばれる一種の魔神と契って生まれた2人の皇子が主人公。2人は出自からともに「悪魔の皇子」と呼ばれ、恐れられながら成長していく。

 このうちの第1皇女の息子シェラバッハが、突然にして国王に反旗を翻して権力を奪取した所から物語は動き出す。これは闇の神族ではなかった人間との間に生まれた兄3人をシェラバッハは屠り、いとこにあたるもう1人の「悪魔の皇子」、アストロッドにも魔の手を伸ばして、その生命を脅かそうとする。

 もっとも弟とはいえ「悪魔の皇子」だったアストロッドは、か弱いといった面はまるでなく、むしろ子供の頃から卑屈で品性下劣で傍若無人で悪逆非道な人間として、散々に人々に迷惑をかけて来た人物。シェラバッハが襲ってきた時も、侍らせていた2人の娼婦を放り出しては1人、卑怯にも逃げ出してシェラバッハの追っ手をかわそうとする。

 ところがすべてを見通していたシェラバッハ。アストロッドの居場所をすぐさまに見つけだしては追いつめ、そして命を奪って唯一の皇子に収まるかと思いきや、シェラバッハが妃にするべく連れてきた異国の王女ナシエラの体の中へと魂を移され、そのままシェラバッハの妃にされようとしてしまう。

 当然ながら逆らおうとるアストロッド。おまけに1つの体に2つの心がいつまでも保つはずがなく、成り行きによってアストロッドとナシエラのどちらかが、永久に消えてしまうという事態にもなって、ただ兄への憎しみだけを糧にして怠惰に生きてきたアストロッドの心に、憎しみ以外の何かが芽生える。

 同じ身の上となり、シェラバッハという共通の敵を得てアストロッドとナシエラの体をひとつにする2人は、兄に真正面から対峙し戦おうと心で語り合って決意する。女の体に男の魂。迫って来る美形の兄との対峙。耽美で官能的で扇情的なシチュエーションでありながらも、兄弟の間に生まれた愛憎入り混じった感情の相剋、虐げられたものの反抗心といった心と情念のドラマに浸ることができる。

 当初のアストロッドの品性下劣ぶりが実は、兄への複雑な感情から生まれていたものであり、またそうしたアストロッドを虐げ奪い踏みにじろうとしたシェラバッハの、心の奥底に実は渦巻くアストロッドに対する歪んだ愛情が、読んでいて心を痛くする。なおかつそうしたお互いを思う気持ちが徹底してすれ違い、絶対的に重なり合わない様が悲劇を呼んで、心を切なくさせる。

 そうした表向きは憎しみ合うような兄弟の関係になってしまった事情が、過去に2人の間にあっただろうさまざまなエピソードを経るなり、お互いがかわす言葉の端々に散りばめてあるなりしていれば、読んでいてもっと2人の揺れる心情に、気持ちを重ねて読むことができたかもしれない。

 勿体なくもページ数の制約があって、アストロッドは傍若無人で品性下劣な面ばかりが浮かび、シェラバッハは悪辣な奸計をもって権力を奪おうとする魔人としての面が前に立って、2人への感情移入を妨げる。それでもクライマックスは凄絶で感動的で、ここから生まれる新たな相剋のドラマにとても期待が膨らむ。果たして続編とがあるのかは分からないが、旅だったアストロッドがシェラバッハと邂逅して選ぶ道が何なのか。愛かそれとも憎しみか。是非にも知りたい。


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