ねじ巻き精霊戦記 天鏡のアルデラミン

 「銀河英雄伝説」のヤン・ウェンリーの聡明を知り、「無責任艦長タイラー」のジャスティ・ウエキ・タイラーの超然を知る者なら、そうした戦術家たちの列に新たに加えられるべき人物への興味を、常に抱いてその登場を待ち望み、現れて繰り広げるだろう知略への期待に、心踊らせ続けているはずだ。

 なかなか満たされない、そんな渇望に答える人物がついに現れた。イクタ・ソロークという名の、怠惰で凡庸に見える少年が、後に「常怠常勝の智将」という、矛盾するような敬称で呼ばれる将軍となり、国家の命運に大きく関わることになる、その栄光と破壊の生き様が、宇野朴人の「ねじ巻き精霊戦記 天鏡のアルデラミン」(電撃文庫、610円)で幕を開けた。これは読むしかないだろう。

 カトヴァーナ帝国にある帝立シガル高等学校で学んでいたイクタ・ソロークに、卒業の時が訪れた。周囲が高等士官試験での合格を目指すなか、彼は一生を安泰に過ごせるからと、首都にある国立図書館への就職を望んでいて、軍閥の名家に生まれた同級生の少女ヤトリシノ・イグセムの口利きを得る代わりに、彼女が試験で有利になるよう協力する約束を交わしていた。

 白兵術を得意とする家に生まれ、剣術にも体術にも優れている上に頭脳も明晰で、高校では常に首席だったヤトリが、高等士官試験をパスするのはほぼ確実。そんな彼女が目をかけるくらい、実はイクタも明晰な頭脳を持っていた。ただし、思うところがあって軍にはいかず、栄達も望んでいなかった彼は、一次試験こそ楽々と突破を果たしながらも、二次試験で自分は不合格でも構わないから、ヤトリの首席合格狙いを助けると決めていた。

 ところが、二次試験の会場へと向かう船が嵐で沈み、イクタとヤトリのほか、トゥルエン・レミオンという銃砲に長けた軍閥の家に生まれた少年や、イグセム家、レミオン家に続く軍閥の家に生まれた少年マシュー・テトジリチ、平民で衛生兵を目指す少女ハローマ・ベッケルらが救命ボートで脱出。そこにもう1人、なぜか船に乗り合わせていたカトヴァーナ帝国の第三皇女、シャミーユ・キトラ・カトヴァンマニニクも、落ちた海からイクタによって救出され、同じボートで漂流した挙げ句、対立するキオカ共和国の領地へと迷い込む。

 周囲は敵だらけという場から、皇女を含めた全員が脱出するためにイクタが繰り出した知謀。カトヴァーナ帝国に戻る途中、最前線の陣地を守る将軍を相手にイクタがふるった、将軍のおかれた立場を類推し、帝国の思惑を喝破した弁舌。帝国に無事戻って後、騎士に叙され高等士官学校への入学も認められ、希望していた図書館への就職もできなくなったイクタが、訓練として行われた、現役の士官を相手にした戦闘で見せた常勝の作戦群。

 怠惰で凡庸な人間では絶対にあり得ない、イクタ・ソロークという少年の資質がそこには明らかに見えて、隠された資質というものへの憧れと、賞賛の気持をかき立てる。そこには、怠惰で凡庸な自分だからといって、やればやれるはずだという自信を、支えて承認してくれそうだという期待も混じる。ヤン・ウェンリーやジャスティ・ウエキ・タイラーやイクタ・ソロークのように世界に、宇宙に名を馳せられるかもしれないという思いが、今を生きていく糧になる。

 もちろんそれは幻想で、皆無にちかい可能性だと誰もが分かっている。分かってはいても浮かぶ彼らへの期待と、己への期待。画餅というに等しいこうした思考をめぐらせている余裕があったのなら、彼らのように兵法書を繙き、歴史書を漁って頭にすべてを叩き込めば良いのだけれど、それができていれば、憧れを憧れにとどめておくことはない。だから読むのだ。そして歓喜するのだ。天才たちの立身出世の物語に。

 イクタひとりが、カトヴァーナ帝国で聡明な人物のように思われるが、高校の時から彼をライバル視してきたヤトリもまた、白兵術に頼るだけでなく、イクタに並ぶ才知をめぐらせ、イクタを敵に回しての戦闘訓練で互角の戦いを見せる。のみならず、シャミーユ皇女が陥った窮地には、イクタの一報から皇女の危機を察してかけつけ、救出に大きな働きを示す。

 そしてシャミーユ皇女。彼女もまた、帝国が陥っている急激な衰退に心を傷めて、何とかしようと策略をめぐらせる。怠惰で凡庸な人物に見えて、その本当の出自から、心に激情を宿していたイクタに早くから目を付け、人物を見に行き関係を深めようとしただけの皇女が、将来に画策するある事業。そのあまりにも凄まじい内容を知った時、誰もがおおいに驚くだろう。なおかつそれにイクタが協力を約束したことに、これからどんな戦いが繰り広げられるのかと、興味や期待が浮かぶだろう。

 「常怠常態の智将」として突き進み、そして至った場所で、シャミーユ皇女とイクタ・ソロークが鉄槌を振り下ろす瞬間、仲間たちは何を思い、世界はどう受け止めるのか。今から楽しみで仕方がない。

 火や光や風を操る精霊たちが使役されている、という設定は、そこがファンタジーの世界だと思わせそうだけれど、イクタ・ソロークだけは頻繁に「科学」という用語を持ち出し、それに基づいた合理的な思考で状況に立ち向かい、打破していく。彼のいう科学とは何で、どうしてカトヴァーナ帝国では科学が衰退して、けれどもイクタの師にあたるアナライ・カーン博士ら一派は、亡命したキオカ共和国で科学の探究に勤しむのか。世界がおかれている状況と、歩んできた歴史と、暴かれる真相、その後の変革からも目が離せない。


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