青の数学

 数学については詳しくないし、興味があるかというとそれほどでもない。ただ、数学をめぐるさまざまなエピソードは面白く、定理やら予想やらがあって、それにどれだけの数学者がどれだけの時間をかけて挑んできたか、なんて話が積み重なっている状況に、どうしてそこまで数学にのめり込めるのか、といった関心が浮かぶ。

 そうした数学の難題が、世界の困難をするりと解決してくれるなら、解かれて欲しいと誰もが思うし、願うだろう。けれども、そうした証明やら定理やら予想は、提示はされてもすぐ何かに役立つといった類のものからは、印象として遠い。

 一種のクイズ、あるいはパズルみたいなもの。解ければ嬉しいし、解けなくても一般の人には構わない。けれども数学者たちは解きたいと願う。解くことに人生を賭ける人までいたりする。どうしてそこまで? そんな疑問への答えに近づけてくれる物語が、王城夕紀の「青の数学」(新潮文庫NEX、590円)だ。

 数学オリンピックの予選へと向かう途中に、京香凜(かなどめかりん)という少女に出会った栢山(かやま)という少年は、予選には落ちたものの見た数字は忘れないという特長があり、数学の才能も持っているらしく、入学した高校でもとりあえず数学を解くことに勤しんでいた。

 以前に知り合った数学者とおぼしき人物から紹介を受けた古本屋に行き、そこの店長から指導を受けつつ、七加という少女に誘われ、高校にあった数学研究会にも入って、それまでたった1人の会員だった七加とか、数学が苦手だから教えて欲しいと栢山に頼んできた柴崎という少女とも交流し、そいsてネット上にある数学専門サイト「E2」にアクセスして、そこで行われる数学による決闘に挑むようになっていく。

 優秀な生徒が通う高校でも、たった5人しかメンバーになれず、負ければ退会して勝った者と入れ替わらなくてはいけない「オイラー倶楽部」のメンバーを相手にした決闘では引き分け、そこのトップも参加した合宿に行って対戦したり、共に難問を解いたりする日々を経験する栢山。そんな日々の中で少年は問われ、問いかけていく。どうして数学に挑むのかを。

 そこに数学があるからなのか。解き明かす快感があるからなのか。誰にも出来ないことを出来る優越感が欲しいのか。人それぞれだけれど、実学とは離れた栄誉くらいしか与えられない数学に、それでも挑む理由めいたものは何となく伝わってくる。

 そんな若い数学好きたちを驚かす事態。栢山がかつてすれ違った、そして数学オリンピックで2年連続金メダルをとっていた京香凜が、「E2」上で、一ノ瀬の十問と呼ばれる数学の難問を解いてしまった。彼女はいったい何者なのか。彼女が栢山に向けて発した数列の秘密は。そんな謎が示され、物語はいったん幕を閉じる。

 解くと自殺でもしたくなる、といった猟奇的な謎はあまりなく、ひとりの孤独な天才少女が世界に向かって手を伸ばし、付いてきてよと呼びかけているような印象。あるいは、どこかで見知った栢山が醸し出していた、どこか泰然自若とした雰囲気に何か感じて、追いかけてきてよと誘っている雰囲気。そういったものが漂う。

 とはいえ、表だって京香凜が登場したのは、冒頭の雪が降る中で出会ったシーンだけ。その後は実態を表さず、正体がどうにも謎めく京香凜の目的がやはり気になる。彼女の言動に振り回される数学好きの少年少女を見ていると、野崎まどの「バビロン」シリーズに登場する、人を死に誘う曲瀬愛という女にも近い、世界を煽り導く力にあるかもと思えて来る。果たして真相は?

 天盆というゲームの才能が国においての地位や権力に結びつく状況で、ひたすらに天盆に挑もうとする少年の純粋さを描いたデビュー作「天盆」にも少し重なる設定。むしろ政治と関わる天盆よりも、純粋に才能の有無だけが取りざたされる数学がテーマの「青の数学」の方が、人の知的な営みが持つ純粋な価値のようなものが、よりくっきりと示されているかもしれない。

 読み終えても数学への興味は湧いてこないだろう。なぜなら、あまりにも難しくて意味も見いだしにくいから。それでも、何かに勤しむ大切さだけは感じ取れる。自分の場合は何で世界を満たそうか、囲碁や将棋でも構わないし、クイズでもパズルでも構わないけれど、それらを純粋に知性の尺度を測るものとしてとらえ、敗れたものを侮蔑せず、勝利を奢らないで遊んでいけるような世界の到来を望みたい。


積ん読パラダイスへ戻る