聴 風 由 命
あの風に訊け

 これで終わりか?

 と、読み終えた人の多くが叫ぶであろうこと必定。加門七海の長編小説「あの風に訊け」(角川書店、1600円)は、けれども第1巻とも第1部とも表紙には、奥付には打ってない。かろうじて「あとがき」に、「一部完という形でまとめることになったのですが」とあるが、だからとって作者は第2部を書くとは明言しておらず、出版社も第2巻の刊行をカケラも予告していない。

 94年から96年にかけて雑誌「小説あすか」に連載されて、途中止まりあるいは書き下ろしもと考えていたにも関わらず、事情と心情が続きを書かせなかった未刊の小説。まま埋もれてしまったとしても仕方のないところを、漫画家「CLAMP」が出せと後押しをして装丁まで手がける尽力があり、どうにか1冊の本になった。

 だからあるいは作者としては、これで良し、などと思っているのかもしれない。岡崎武士のイラストを得て、あきらめていた物語が再び形となって世に出たことをもって、まさに「一巻の終わり」としたいのかもしれない。あの猥雑で淫靡で活力があり熱気に溢れた街・香港が、物語の舞台となった時代を離れて中国へと返還されてしまった今、加門七海から香港を物語として紡ぐ欲求など、失われてしまったのかもしれない。

 だとしたら言おう。間違っていると。さらに言おう。これで終わりかと。

 確かにあの吹き溜まりのようにエネルギッシュだった頃の香港はすでにない。だが世界はなおいっそう混迷の度合いを色濃くして人々を危機へと追い込んでいる。混沌に覆われ闇へと向かって突き進んでいる。そんな時代だからこそ、「あの風に訊け」の天衣無縫な主人公、風守太一の世界を無へと帰すだけの力を持ってこれをどう使うのか、そして世界を闇へと帰すのかそれとも輝きに導くのかを、知って己が道標としたいのだ。

 97年の香港返還を3年後に控えた94年春に物語の幕は切って落とされた。病気で入院している母親を見舞った16歳の少年、風守太一は突然母親から自分には双子の弟がいると聞かされ、香港にいるその弟を日本まで連れて来てくれと頼まれる。唐突な告白に戸惑う太一に畳み掛けるように母親の祥子は、チケットは2枚あるから太一の数少ない友人、健治を誘って行ったら良いと言い、詳しい事は弟という月緒に訊けと言って送り出す。

 そして香港に着いた太一は、路地裏で老人から突然「お前は神と戦うか。それとも人と戦うか」と告げられ、「神なんているわけねぇだろ」と叫んだ次の瞬間に、老人から人間の能力を凌駕した攻撃を受けて香港の街を逃げまどう。そしてディジィと名乗る香港女性に助けられ、クリストファーという名の香港人の男性と、佐藤という名の30過ぎの男性が詰めたオフィスへと連れていかれ、そこで香港に宿る「龍」を巡る争いがあることを聞かされる。そして太一が万物の力を無に帰す存在「河図」であり、また弟とされた月緒は万物の力を顕現させる「洛書」であると告げられる。

 すでに世界征服を狙う組織「丁幇」の「隠形公主」によって弟の月緒、香港の名で蕾月は幼くしてその身を抑えられ、反抗の意志を持たないまま半ば軟禁に近い状態に置かれていた。1度ならず太一は蕾月と出会い、けれども太一は隠形公主に使える者どもに邪魔をされて蕾月を連れ出せない。「河図」の力を持つ太一自身もその身を幾度となく狙われ、その都度自身の力や佐藤の呪力の助けを借りて切り抜ける。

 一緒に香港を訪れた健治は香港の地下深くに暮らす白い肌に赤い眼を持った姉弟から眼となり耳となるよう求められ、幾つもの勢力が複雑に交錯した闘いの渦中に身を置いている。謎多き佐藤の過去が明かとなり、また佐藤と同根の過去を持っていた太一の母親、祥子自身も遠く日本から闘いの行方を見守る立場として再登場する。そして物語のラスト、隠形公主が力で甦らせた男との死闘の中で、太一の力は香港に眠っていた龍を解き放ってしまう。

 自然のすべてを解放してしまうが故に、自然を御して生きている人間にはまさしく死神だった「河図」の力。その力を持っている事に気付き現に1匹の龍を解き放ってしまい、果たして太一はこれからどんな道を歩むのか。隠行公主の元にある蕾月と太一が2人そろって世界はいったいどうなるのか。そんな恐るべき力を秘めた「河図」と「洛書」の2人を生み、今なお2人を遠く日本から操り見守る祥子の真の姿とは。そして隠行公主の正体は。ゲージを振り切らんばかりにボルテージの上がった物語が、ようやくにして端緒についた刹那に訪れる「一巻の終わり」が招く言葉はやはりこれしかない。

 これで終わりか? これで終わって良いのか!

 天衣無縫で猪突猛進、およそ思慮という物の欠けた陽気にして豪快な、それでいて世界を滅ぼす力を持った太一。幼くして闇にからめ取られ、「河図」の陽に対して院の属性を持つよう、少女のような繊細な姿態に育てられた蕾月。太一が友と慕う健治に「呪殺師」としての力をようやく見せた佐藤にほか多数の魅力的な人間たちが入り乱れ繰り広げるであろうドラマによって描かれる、世界をめぐる戦いの物語はここより切って落とされねばならない。

 何度でも言う。これで終わりかと。そして願う。ここで終わってはいけないと。


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