アンドロイドの恋なんて、おとぎ話みたいってあなたは笑う?

 古新瞬監督による「あまのがわ」という映画があって、その中に1体のロボットが登場する。都会で悲しい出来事があって、母親との関係がぎくしゃくした福地桃子演じる琴浦史織という少女が、鹿児島にいる祖母を通して屋久島にいる知人の元でしばらく暮らすことになって島へと向かう途中、取り違えた紙袋の中に入っていたのがロボットだった。

 起動させるとしゃべり出しては、史織少女とさまざまなコミュニケーションを取り始める。もしかして最新型のAI? そんな関心が浮かんだ先、登場するロボットが現実にあるオリイ研究所が開発したOriHimeとだと知っている人には、なるほどやっぱりといった展開が繰り広げられ、そして史織はひとつの新しいコミュニケーションを通して、痛めていた心を癒し頑なだった態度を解きほぐす。

 伊藤計劃の「屍者の帝国」を長編アニメーション映画化した牧原亮太郎という監督がいて、その彼が以前に作った「ハル」というアニメーション映画にもまた、大きく傷ついた人間の心を癒す人間そっくりのロボットが登場する。物語としては、飛行機事故で恋人だったハルという青年を失ったくるみという少女のところに、ハルそっくりに作られたロボットが赴いて、閉じこもっていたくるみの心を解かしていく。これにも驚きの展開が挟まれては、結果として人間がロボットによって癒される可能性を示される。

 そんな2つの作品を見知った目にも、青谷真未による「アンドロイドの恋なんて、おとぎばなしみたいだねってあなたは笑う?」(ポプラ文庫ピュアフル、660円)に描かれる仕掛けと、そして示されるテーマは驚きに溢れていて、そして暖かい気持を得られる。人間とロボットの交流の可能性、ロボットが人間に与える多くの豊穣といったものについて考えさせてくる。

 佐藤真白という女性は、義肢のリハビリを専門に行う病院で事務スタッフとして働いている。実は彼女はアンドロイドで、夜になれば記憶をバックアップして飲食も行わなかったけれど、ある日、病院で出会った響という両手と右足が義肢の大学生に感心を抱き、だんだんと恋心めいたものを募らせていく。

 アンドロイドが恋なんて、おとぎばなしどころかSFではないかと驚かされる展開。真白自身も、そんなことがあり得るのだろうかと自問自答するものの、はっきとしないまま恋心ばかりが募っていく。仕事も手に着かずエラーを繰り返すようになる。こままではメンテナンスをされてしまって響さんのこともすっかり忘れてしまうことになる。

 それは寂しいけれども仕方がないと諦めかけた中、とある事故が発生して、その被害が及びそうになった響を助けようとして真白は、アンドロイドのボディが押しつぶされ、自分が“死ぬ”ことも厭わずに事故現場へと飛び込んでいく。そして目覚めた真白は、自分の“正体”に気付くのだった。

 ここでまず浮かぶのが、OriHimeというロボットの目的と、「あまのがわ」という映画に描かれた展開。たとえ肉体は厳しい状況にあったとしても、人は遠隔操作によってロボットのボディを通して外に出て、いろいろなものを見てコミュニケーションも取っていけるという可能性だ。

 現在、ALSの患者たちの人生に光明を与える存在として、OriHimeは大きく注目を集めている。少し前にはそうしたOriHimeたちを介して、離れた場所にいる肢体が不自由な人たちが、カフェでの給仕といった外部との交流を行い心を満たされた。そんな可能性が、さらなる技術の進化によってより高度なものになった未来を、「アンドロイドの恋なんて、おとぎ話みたいってあなたは笑う?」は示してくれる。

 だったらそれは、もはやアンドロイドの恋ではないのといった疑問も浮かぶけれど、物語はクライマックスにもう一段の驚きを投げつけてくる。それが映画「ハル」とも重なる部分だ。もしも「アンドロイドの恋なんて、おとぎ話みたいってあなたは笑う?」を読んで、「ハル」という映画の関係を知りたくなったのなら、Blu−rayやDVDといったパッケージで見てみるとなるほどと思うだろう。

 その「ハル」では、アンドロイドやロボットの感情にまでは踏み込まれていなかったけれど、人と多く接することで人に近づいていったアンドロイドの“心”に生まれる“恋”の可能性が、「アンドロイドの恋なんて、おとぎ話みたいってあなたは笑う?」に示される。おとぎ話かSFか、それとももはやノンフィクションになりつつあるのか。そんな自問を抱きつつ、佐藤真白が歩むこれからを想像してみたくなる。

 どんな状態になってももう、死にたいとは思わず消えたいとも思わないで外に出て行く勇気を、佐藤真白はきっと得ただろうから。


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