アヤックスの戦争
第二次世界大戦と欧州サッカー

 「スポーツと政治は別」だという。日本が北朝鮮と戦ったサッカーのワールドカップ独大会への出場国を決めるアジア最終予選の初戦が行われる前後にも、日本サッカー協会の川淵三郎キャプテンが「スポーツと政治は切り離して見て欲しい」といったメッセージを出して、報道の冷静な振る舞いとサポーターの謙虚な姿勢を求め呼びかけた。

 もっとも日本の場合は、スポーツがあまり国威発揚の運動とは結びつかない風潮があり、また社会が不安定になってたまった不満のはけ口にスポーツが挙げられるといったことにもなっていない。スポーツが娯楽として楽しまれ親しまれて来た経緯もあって、スポーツが政治と結びつきにくかっただけなのかもしれない。

 これが国内に不平不満を抱えやすく、またスポーツが国威発揚とも結びつきやすかった中国の場合、2004年夏のアジアカップでの日本代表に対する試合とは無関係なブーイングが飛び出すことになった。不景気で失業率があがり移民問題も根深くある欧州では、差別的な言動がスタジアムからピッチの選手に浴びせかけられることもしばしばある。というより最近は頻繁に起こっている。

 小野伸司が所属して日本でも馴染みの深いオランダの「フェイエノールト」というチームは、試合の模様も結構日本で放映されたりするが、ではその試合、スタジアムの中に響き渡っているサポーターソングがいったいどんなものなのか、ということは日本人にはあまり知られていない。実はこの歌には、とんでもないものが混じっているという。

 「サッカーの敵」で世界のサッカー評論シーンに、というより一種の文明批評のシーンに躍り出たサイモン・クーパーの書いた「アヤックスの戦争 第二次世界大戦と欧州サッカー」(柳下毅一郎訳、白水社、2300円)を読むと、フェイエノールトのサポーターソングがいかに凄まじいものかが分かる。本にはこうある。「近年、フェイエノールト対アヤックスの試合に行くと、ホロコーストの歌とガスが吹き出す音の口まねに迎えられるようになった」(272ページ)。

 銀行家のサポーターが唄ったかもしれない歌も書き記されている。「アウシュヴィッツから、アヤックスを乗せる列車ガヤッテクル」「ジーク、ジーク、ジーク」「ファン・プラーハはユダヤの疫病、ファン・プラーハは丸鋸の下」等々。卍がナチスの鍵十字に似てるからって排斥されたり、「ガス室はなかった」なんて書いた雑誌が廃刊に追い込まれたりする以上は、かくも非人道的で差別的な歌が唄われている場所が存在して良いはずがない、けれどもそうはならず、堂々とスタジアムでサポーターソングとして唄われている。実に皮肉な形で”政治とスポーツが別”になった姿だと言える。

 今でもそうなのだから、ナチスドイツがオランダを侵略した時だったらどうだっかのかというのは推して知るべし。オランダどころか欧州でも人気のチームでタイトルにもなっているアヤックスを含め、欧州のフットボール界が第二次世界大戦の前後にどんなことをして来たかが「アヤックスの戦争」には書いてある。

 「ユダヤ人のチーム」とされ、スタンドには今も「ダビデの星」が翻るチームがアヤックス。だが第二次世界大戦中、ナチスドイツにオランダが侵略されていた時代の応援歌は、怖ろしくも「ハイル、アヤックス、ハイル」といった歌詞になっていたという。とはいえこれは戦時下の占領された国々ではよくあること。居住まいの悪さは感じても、だからといってとりたてて糾弾されるべきとこではないのかもしれない、あのイングランド代表ですら、ドイツ代表との試合でナチス式の敬礼をしていたのだ。

 問題はもっと奥深いところにある。サイモン・クーパーの「アヤックスの戦争」が描くのはもっと別の、サッカーを離れたところでオランダという国がナチスの侵略に対してどんな振る舞いをし、ユダヤ人のホロコーストにどんな態度で臨んだのかといったことだ。

 外国人をあからさまに排斥なんかせず優しくもてなす国。コスモポリタンの国。ユダヤ人のことを国民あげて保護しようと務め、その一例としてアンネ・フランクも最後までかくまおうとしていた、博愛的で意志の強い国だなんてイメージは実は大きな間違いだとサイモン・クーパーは指摘する。

 粛々と警官はユダヤ人の家へと向かい引っ張り出しては収容所へと向かう列車に乗せ、鉄道員は言われるがままに貨車の扉をきっちりと閉めた。アンネ・フランクの一家は誰に密告された? オランダ人ではないか。流されるまま、言われるままにナチスドイツのホロコーストに協力した。それがオランダだったとサイモン・クーパーは指摘する。

 周囲の国ではどうだったのか。サイモン・クーパーがことナチスへの協力という面で「悪」だったと教わったベルギーは、実は半数のユダヤ人を救い「鉄道員はときに移送列車の扉に鍵をかけそこな」ったと言うし、ノルウェーは1700人いたユダヤ人の900人をスウェーデンへと逃がした。同盟国のイタリアであえもユダヤ法を実質的には骨抜きにしたままでいて、ナチスがやって来た1943年になってはじめて7500人のユダヤ人がアウシュヴィッツへと送られる羽目となった。それでも数はわずかに1割程度という。

 すごかったのがデンマーク。「ダビデの星」を付けろとナチスが命令するようならそれを真っ先につけて歩くと国王自身が明言し、ヒトラーからの誕生カードにはそっけない返事しか送らず不興を買った。ユダヤ人の移送が本格化しようとした際には、ユダヤ教のラビを通じて根回しをして大勢のユダヤ人を隠れ家へと向かわせた。病院にも患者としてかくまったというから国をあげてそうした姿勢が出来ていたということ、なのだろう。

 そんな空気に派遣されていたドイツ人も染まり、ホロコーストの遂行に嫌気を覚えるようになった。最終的には7800人いたデンマークのユダヤ人のうち7200人がスウェーデンへと脱出した。対するにオランダはだから4分の3が絶滅収容所へと送られ殺害された。割合はもとより人数でもデンマークやイタリアの比ではない。

 なるほど近くにスウェーデンはなかったかもしれない。けれども国をあげて「ユダヤ人を殺すことはよくない」と訴えたデンマークで実行者のドイツ人も感化された事実が、オランダも取るべき道が他にあったのではないかといったことをこうした各国での状況の違いが訴えかけてくる。オランダが持つ”神話”を崩し、スポーツが政治とは無縁ではない事実を浮かび上がらせる。

 そんな「アヤックスの戦争」が狙いとしているのはいったい何なのか。スポーツを政治と切り離そうとする”隔離政策”の賞揚では多分ないだろう。そうした可能性を探りつつも、現実問題として起こり得る差別にどう立ち向かうのか、それには確固たる信念を持ち、流されず惑わされずに団結してのぞむ勇気をどうやって育むのか、といった問題提起を行うことなのだろう。

 それがストレートに結果となるかは今のどんどんと政治が、ナショナリズムが世界を覆い尽くそうとしている時代だけに悩ましく難しいところ。ただアヤックスで活躍しながらホロコーストの波に飲まれ消え失せた選手の多々いる歴史も踏まえると、やはりスポーツは政治を切り離され、政治は悪意と切り離されてそれぞれが善意と正義のもとに屹立している状況の到来を心より望みたくなる。

 世界を取り巻く情勢はますますナショナリズムの高揚へと向かい、日本を取り巻く環境もそれと歩調を合わせるかのようにきな臭くなって来ている。そんな時代にスポーツをスポーツとして楽しむことができるのか。政治を政治として過ちを指摘し糺していくことは可能なのか。アヤックスの、オランダの刻んだ轍を踏まないためにも今、あらためて考えてみることが必要だ。


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