SEEDS LOVE
愛の種

 ハマり始めている前兆か。それとも既にドップリとハマているのか。チラシでも看板でも中吊りでも何でもかんでも、「モーニング娘。」という活字が踊っているのを目の端に捉えるだけで、体温が3度ばかり上がる現象がここのところ続いている。「娘。」という活字が踊っていようものなら、それが「カントリー娘。」だったとしても、やっぱり目が引きつけられてしまうから始末に負えない。

 気分としては「モーニング」以外は「娘。」を付けることを禁止するおふれでも出してもらいたいところで、今日も今日とて「モーニング娘。」というそのままズバリな文字が帯に躍っている本「愛の種。」(橋口いくよ、幻冬舎、1300円)を脊椎反射で買ってしまって、読んで驚きに打ちふるえているところだったりする。本文がぜんぜん「モー娘。」と関係なのだ、タイトルにはしっかりとトレードマークの読点「。」を付けているのに。

 「モーニング娘。になれなかったあなたへ」という煽りが帯にあるけれど、物語の中では別に「モーニング娘。」に類するオーディションの場面が描かれている訳ではないし、そもそもがオーディションに落ちた人たちで構成された「モーニング娘。」になりたいというのを、オーディションへの合格を夢見る少女たちのあがきに重ね合わせて語る不思議さはある。そこはなるほど、今何が旬かを知り抜いてタイミング良くぶつけて来る、幻冬舎ならではの煽りの巧さとい奴なんだろう。

 ストーリーを説明するなら、アイドルになりたくって数々のオーディションを受けまくって何とか端っこに引っかかりそーになったけどやっぱり……といった感じの少女を主人公に、オーディション暮らしの中で何かを見失って行き、夢がかなって破れてもやっぱり悟れず諦めきれない不安定な状況の中を彷徨い続ける姿が描かれていて、何かを夢見る少年少女に未だ夢見続ける元少年に元少女の心に、今も抜けずに刺さったままの棘をチクリチクリと刺激する。

 年齢をごまかすのは朝飯前で、主人公ではないけれど23歳なのに高校生と偽ってオーディションを受けまくる瑠璃とう少女(というか元少女)の姿は、ある面必至である面滑稽に見えるけど、それだけのことをしてでも行きたい芸能界というものの凄みを、ジクジクと浮かび上がらせてくれてなかなかに胸が痛い。そんな瑠璃に最後は負ける形になってAV(アダルト・ビデオ)にも行けず芸能界から弾き出され、渋谷の人混みに紛れてはティッシュ配りを続けている主人公の、それでもスカウトがあれば血が騒ぐ暮らしぶりも心に響く。そこまでして、という嘲笑を超えてそれほどまでに、という感嘆の気持ちすら沸き起こる。げにおそるべきは芸能界。

 著者自身がオーディションを受けまくった経験のある人らしく、74年生まれだからオーディションで活躍していた時代はきっと5年とか10年は前のことなんだろうと想像できる。あるいは「モーニング娘。」の中で突出した年齢にも落ち込まずむしろバネに代え、最近まで頑張り通した中澤裕子のように、今なおオーディションを受け続けているのかもしれない。とはいえラジオなどでの活躍は聞こえて来ても、メジャーなシーンでは見かけたことのないその名前を考慮すると、夢破れた中でその想いを文章につづった果てに、違った形でのデビューと相成ったと考える方が通りが良い。

 この本をきかっけに文筆家としてデビューし、認知され、加えて芸能人として活躍した以上は容姿も優れているということで、かつて騒がれた椎名桜子の如く、タレントではなく”文化人”としての地歩がとりあえず固まったとも考えられる。本懐だったか否かは別にして、個々から再び芸能界へと横滑りしてメジャーへの道を駆け上がったとしたら、遠回りはしたけれど本願を成就したということになる、のかもしれない。

 もちろんだからといって永遠の座を掴んだ訳では絶対になく、文筆業も芸能界もともに継続があってこその地位だと言える。その点で言うならクライマックスの、有能名プロデューサーに見初められるか否かを最後のチャンスとして与えられた主人公が、そのプロデューサーから「最後のチャンスなんて、人からもらうものじゃないよ。自分で作るもの」と言われるシークエンスの限りなくリアルで、切なく痛い描写を読む限りにおいて、文筆家としての可能性は認めて良いような気がする。

 誰でも人生で映画の1本は撮ることが出来るというし、小説の1本も書けて当然だとも思う。その経験のもっとも貴重な部分をさらけ出したデビュー作に続く次の作品で、大部分が放出されてしまった残りの経験を補って余りある文筆家としての能力を発揮できるか否か。芸能人と呼ぶにも文筆家にもなれない中途半端なタレントとして消えていくのか。そんなところに注目しながらどんな道を歩んでいくのかと、とにもかくにも見極めることにしよう。


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