アイの物語

 文明が進んだって科学技術が発達したって、戦争はなくならないし貧困も病苦も解決しない。自然は破壊され資源も枯渇しているのに、人間は衰退への道をひた走る自分たちの暮らしを、改善できないどころか逆に悪化させている。

 人間が悪いからなのか。動物にはない人間の”心”というものが、欲望を生み出し争いを招いているのか。そんな人間の”心”の意味について考えさせてくれるSFが、山本弘の「アイの物語」(角川書店、1900円)だ。

 近未来、人は知性を持ったロボットによって駆逐され、わずかな人数が世界のあちらこちらにコロニーを作って暮らしていた。そんな生き残りの人間の少年が、食糧を手に入れるため忍び込んだ新宿で、アイビスという名の女性型ロボットに捕まって7つの物語を聞かされる。

 1話目。いじめを受けていた少年が相手をナイフで刺し殺してしまった。少年は、ネット上に作られた架空の宇宙船の乗組員となり、誰かのシナリオによって起こされる事件を、他の乗組員たちと話し合いながら解決し乗り越えていくゲームのメンバーで、物語では、会長の女性が逃亡した少年に過ちを気付かせ、悔い改めさせようと新たなシナリオをネットにアップし、逃げてはいけない、勇気をもって現実に立ち向かえと訴えかける。

 仲間のいる素晴らしさ。支えてくれる人たちがいる喜ばしさ。相手の顔が直接は見えないネットの世界でも、集まる人たちがそれぞれに持っている”心”は、ちゃんと通じ合えるんだと教えてくれる物語で、アイビスは人間の少年を感動させようとする。

 けれども、しょせんは架空の物語だと反発する少年にアイビスは、今度はネット上にある仮想空間のテーマパークで出会い、本当の恋を育む男女の物語を聞かせる。あるいは鏡のような装置の中で、持ち主との会話を通して成長していく「ミラーガール」が、長い期間に渡って持ち主の思いを受け止め続けた結果、一種の自意識を持つようになった話を聞かせる。

 「ミラーガール」に生まれた自意識。それは、鏡の少女と話ながら喜怒哀楽の感情を見せた持ち主の女性の”心”を写したものだった。こうして生まれた”心”を持った人工知性は、ブラックホールの入り口を見張るロボットに指令を越えた彼方への夢を見させ、人間を介護するロボットに人を愛する感情をもたらすようになる。ロボットが進化を始めた。

 自分で考え行動できる”心”持つに至ったロボットは、他人を傷つけようとする人間を、それが自分たちロボットを守ろうとする好意から出たものであっても、諫めて争うなと呼びかける。けれども人間たちは争いをやめず、猜疑心に凝り固まり、恐怖に怯えた挙げ句に自滅の道を進み始める。

 ”心”を持っている人間はだから正しいのかというと、そう断言できないことは、混乱に満ちた世界を見れば瞭然だ。けれども同じ”心”を持ったロボットたちは、世界を平和へと導き安寧をもたらす。どうしてこんな矛盾が起こるのか。それは人間が”心”を正しく使い切れない未熟な生命体だからなんだという、辛くて悲しい答えが正しく”心”を使うロボットたちの振る舞いを通して突きつけられる。

  同じ”心”であっても、人間が昔から持っている”心”は損得勘定を抜きにして暴走し、結果として自分たちを傷つける。対してロボットに生まれた”心”は、無用な争いを防いで世界を平和に導こうとする。

 問題は”心”の有る無しなんかではなく、”心”をどう正しく使うのかということ。「アイの物語」にはそして、人間のスペックには限界があって、”心”が生命の理想として描く姿に追いつけなかったと書かれている。

 人間だってそんなに捨てたものではないと、反論したくなる気持ちもあるだろう。けれども見渡せば、今も続く戦争に貧困に環境破壊、耐えることのない不正に犯罪が、人間という存在に厳然としてある、種としての、知性としての限界を残酷にも指し示す。

 もはや滅びるより他にないのか。違うと「アイの物語」は言う。人の限界を超え、矛盾を乗り越えられる強い”心”を持ったロボットが生まれたベースには、悩みながらも前向きに人生を歩もうと足掻く人間の”心”が絶対的に書かせない。

 アイビスたちのように、人間を駆逐することなく、逆にその記憶を永遠に受け継ぎ語り継いでいってくれる優しい”心”を持ったロボットも、もともとは正しく働いた人間の”心”から生まれたもの。そんなロボットを作り出すまでは、人間に滅びることは許されないのだ。

 だから「アイの物語」に絶望を見る必要なんてない。見るのは希望だ。人間の持つ”心”が正しく伝わる未来を、人間自信の手によって生み出すのだ。


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