あですがたとりものばなし
捕物噺 唐紅花の章

 アジアといったら上海でもバンコクでも、バングラデシュでもムンバイでも人がいっぱいで汗と油と香辛料の匂いに溢れていて、毎日が活気に満ちていて命がけのスリルもあってといったイメージが強くある。描くとしても繊細でシンプルな線では絶対に無理。太くてはっきりとしてパワフルな線でごりごりと描いて、はじめてあの活気、あの匂い、あの生命力が出せるのだ。

 と、そんなことに深谷陽の漫画「スパイシー・カフェガール」「スパイスビーム」といった作品で気づかされた。アフガニスタンから連れてこられた少女がいて、仕事と恋に挫折した青年がいて、世界から集まる肉感にあふれた女たちがいて、そいつらがマッチョなエスニック料理屋の店長のいる店を舞台に出会い、会話し、飯を食い、怪しげな奴らの闖入も退けて突き進んでいくストーリーが、太くて力強い線にぴったりと合致して、日本が舞台になっていながら異国のとりわけアジアの空気をそこに現出させて見せてくれた。

 そんな深谷陽が日本を舞台にした時代物を描いていた。どうなのか? 引き目鉤鼻は古すぎるとしても、のっぺりとして無表情な日本人たちが、和風というからにはシンプルで整然とした品々や、家々や、街並みに囲まれた場所で動き回るだろう時代物。果たしてどこまでもアジアの活力を表現するに最適の絵柄が合致するのか? 心配はページを開けば即座に吹き飛ぶ。和風だからといった先入観がまったくの杞憂に過ぎなかったことにすぐに気づく。

 なぜなら舞台は現代の、無機質でモダンな東京ではない。江戸なのだ。人口で100万人と当時の世界で最大の都市。芝居小屋が立ち並び花街も賑わった花の都。誰もが「宵越しの金なんざぁ持たねぇ」とばかりに、日々を愉しく暮らしていたりして、活気あふれて猥雑さに満ちて、夜盗に辻斬りとスリルも満点の街はそのまま現代のアジアの街々と重なる。深谷陽が描いてまるで不思議はない。むしろそういう街だからこそ、エスニックな活気と肉感に満ちたキャラクターを描く深谷陽の画風がとてつもなくマッチする。

 そんな絶好の舞台を得て描かれる「艶捕物噺(あですがたとりものばなし) 唐紅花の章」(リイド社、524円)は、設定も実にふるっている。双子として生まれながらも兄の星川主馬は父親の家督を継いで南町奉行所の与力となり、もう1人は生まれ落ちてすぐにもらわれ芝居町で役者の子として育って、今は芝居小屋の人気女形、月潟屋の澤井鶴助として名を馳せている。

 どうしてそんな生い立ちを歩んだのかは不明。且ついつごろに再会したのかも分からないけれども、今はともかく互いに互いを知っていて、兄の主馬が出会った難しい事件に、弟の鶴助が役者ゆえに街の隅々にまで及んだ情報網や影響力、そして何より自身の役者としての力量を活かし、剣術に秀でた主馬も伴い挑んで解決していく。なにしろ双子でそっっくりな主馬と鶴助。第一幕では主馬が殺しの下手人を油断させるため、舞台に上がった鶴助のような扮装で槍を振るう場面もあって、弟に負けないなかなかの艶姿を見せてくれる。

 事件に当たり、謎を解明して下手人を追いつめていくミステリーとしてもなかなかに秀逸な短編たち。荒寺に集まった人たちの中に殺人事件の犯人がいると鶴助が宣言しては敵をあぶり出す一幕は、捕り物の場面に逆転に次ぐ逆転があって楽しめる。主馬はひたすらにご苦労様。そして最終幕。お座敷に呼ばれた鶴助たちの一行がくつろぐ部屋に覆面をした男たちが乱入して、鶴助を人質にひいき筋から1000両を巻き上げようと企む事件は、終幕に大仕掛けが用意されていて大いに驚ける。

 キャラクターの造型も見事の一言。例えば鶴助。兄に哀れと言われかければそれはどういう了見だと片肌脱いで啖呵を切る芸への底知れぬ愛着ぶりを見せ、女殺しの下手人らしき男を前に女が殺された場面をそっくり際限して見せる芝居を打って罪を吐露させる役者ぶりを披露する。こんなに小粋な奴は数ある時代物でもなかなかいない。そそて鶴助。弟思いで不正を憎む好人物。融通の利かないところはあるもののそこがまた可愛らしい。

 そんな兄の再びの女形姿も未遂に終わった第七幕での出会いを経て、鶴助の用心棒になる雲雀御前の美丈夫ぶりも素晴らしい。町人と同様、そのなまめかしい腰のラインをつるりと撫でたくなる気持ちも浮かぶけれども御前の名を持つだけあって、腕をつかまれひっくりかえされるのが落ちだからご用心。それでも近寄れるならと30文を払って投げられたくなる男たちの気持ちも分かる。

 人情があって笑いも混じって謎解きがあって剣戟もあってと盛りだくさん。それらが劇画のような荒々しさとはやや違う、奥行きと肉感を持った太くて請い筆でくっきりと描き出されてぐいぐいと迫ってくる。まさに傑作。刊行されているうちに買って読んで存分に浸るべき1冊だ。

 残念なのは続きが出ていないことで、主馬と鶴助がどうして別れて育つことになったのか、どんな再会を果たしたのかといった過去の経緯も読みたいし、雲雀御前を交え義賊の燈小僧なとの決着も含めたこれからの展開も読みたいもの。漫画原作のドラマが大流行の昨今、仮にドラマにでもなれば改めて連載となり続編の掲載へと至ることもあるかもしれないけれど、剣の達人の主馬と装えば妖艶な女になる鶴助を演じきれる双子の役者が果たしているか。いれば是非にドラマ化を。


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