凄い作品を書く人だということは、2010年に刊行されたデビュー作の「[映]アムリタ」(メディアワークス文庫)で、すでに証明されていた。けれども、これほどまでに凄まじい作品を書いてしまえる人だといったい、誰が予想していただろう。

 「2」(メディアワークス文庫、710円)という作品は冒頭で、数多一人という平凡さを体現するような名前を持った演劇青年が、頑張って超有名劇団の入団試験に合格し、そこで先輩たちが見せた、プロフェッショナルな仕事ぶりにこれは自分には出来ないと、挫折し去っていく同期を横目に、どうにかしがみついて残った3人だけで新人公演をこなし、正式に劇団員として迎え入れられるまでがつづられる。

 ここから浮かぶのは、苦難を乗り越え壁をぶち壊して成功をつかみ、歓喜を味わう演劇青年たちを描いた青春ストーリー。ところが、さあこれからという段階で、ある出来事が起こって劇団はあっけなく崩壊してしまう。しょっぱなから繰り出される、予想を覆す転換に、誰もが唖然とさせられるし、転換そのものの描写にも、果たしてそういうことが起こるものかと驚かされる。

 もっとも、それすらも序の口に過ぎなかったと思えるくらいに、恐るべき設定を持った物語が立ち現れては、読む人たちを不思議で不条理な世界へと引っ張り込んでいく。夢を奪われた数多一人は、ある出来事に関連して出合った最原最早という女性の映画監督に誘われて、彼女が撮ろうしている映画に出演することになる。

 そうして始まった、「2」というタイトルの1本の映画を作り上げるまでを描いた本筋とも言える展開も、驚きと意外性にあふれたエピソードの連続。まずは退屈している大金持ちを捜し出して訪ねていき、とても面白い映画だからと言って、3億円もの製作資金を引き出す。さらに、最も面白い作品を書けるという小説家を捜し出して来ては、事務所に缶詰にしてシナリオを書かせる。

 これらもまた、芸術にかける人々の諸相を描くストーリーの定番のようにも見えるけれど、そこは「[映]アムリタ」で人の記憶のみならず、人格までをも操作して、別人にしてしまえる映像の存在を示唆してみせた野崎まど。その後の作品でも、「小説の書き方」では人間ならぬ存在にも、小説を書ける可能性を示し、「パーフェクトフレンド」ではとてつもない仕掛けで、情感に乏しい天才少女に友達の意味を感じさせる展開を描いたように、有り体の群像劇に収めるようなことはしない。するはずがない。

 数多一人を近所にある女子高へと派遣して、生物の教師からいろいろなことを学ばせたり、相手役となった天才的な女優に追いつかない数多一人の出番を後回しにして、自発的な成長を促すような展開の中に、最原最早が作ろうとしている映画の驚くような設定が、次第に浮かんできては、映像が持つ可能性、人間が持つ神秘性への興味を募らせる。

 本当に映像にそんな力があるのか。それは不明ながらも、最原最早ならやってのけるのではないかと思わせる。というより、驚嘆のエピソードを重ねていく野崎まどの筆の力が、そういうこともあり得るのではないかと、読む人たちに信じさせる。

 最原最早自身が「[映]アムリタ」の登場人物で、「小説の書き方」や「パーフェクトフレンド」、「死なない少女殺人事件 〜識別組子とさまよえる不死〜」、「舞面真面とお面の女」など、これまでに書いたすべての作品の登場人物たちを主要な役所に配置して、オールスターキャスト的に描いた作品でもある「2」。なおかつ、それぞれの作品での立場や、作品で問われたテーマがそのまま伏線となり、手がかりとなって、「2」という作品への結末へと向かっていく。

 そうとは知らず、「2」単体で読んでも説明不足は感じないけれど、過去の作品を既に読んだ人たちなら、いつか見た設定が、いつか見たキャラクターたちと共に、そこに帰結するのかと驚ける。

 例えるなら、“野崎まど”というひとつのシリーズの完結編的な意味を持った作品。それだけに、今後何を描くのかが興味の的となりそうだけれど、アイディアでもキャラクター造形でも、凄まじく高い才があると示された作家に、次への不安を抱くのも不粋。「2」を書くことでバージョン2.0へと進化した野崎まどがこの先、3から4へ、果ては100へと発展していく様を、固唾を呑んで見守ろう。


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