100番めの羊 

 今日マチ子。いったいどんな理由で付けたペンネームなんだ? といった思いが先に立つ人も多いだろう。けれども、表紙の絵柄を見れば、淡い色彩とシンプルな線で描かれた少女や空や背景たちが目に入り、にじみ出す憂愁のトーンに心をひかれる。

 そうして購入した「100番めの羊」(廣済堂あかつき、952円)という漫画を読んだ人は、ペンネームの冗談ぶりなどまるで気にならない、静かな感動が心の中に浮かび上がって、表紙のような淡くて少し寂しくて、けれども心地良い気持ちになれるはずだ。

 修道院の前に捨てられていて、3人のシスターに育てられた女高生のなおみを主人公にしたストーリー。といっても、境遇の不幸を嘆くような話にはならず、いつも明るくて優しいシスターたちに囲まれて、少しばかりの耐乏生活を余儀なくされならがも、普通に女子高生としての日々を送る、なおみの姿が描かれる。

 シスターたちの優しさを思って、大人しくなっているということはない。かといって、押しつけがましさに反発して、荒れている訳でもない、どこにでもいそうな女子高生。そんななおみが、何らかの機会を経て知り合ったハヤシさんという男は、遊び人のようでライブ会場に顔がきくようで、そうした世界に憧れがちな少女の気を引く要素にあふれている。

 もっとも、どこかに危なそう雰囲気も漂わせていて、路上でひったくりにあったから、金を貸してくれとなおみに電話しては、忘れていった携帯をとったシスターに全部聞かれてしまう。風邪をひいたからと呼び出されて薬を買ってかけつければ、部屋には大人の女性がいっしょにいる始末。ハヤシさんからはいとこだといわれたけれど、どうもそんな間柄ではななさそうだった。

 疑うなおみの心を引き留めようとしたのか、ハヤシさんは高級そうな時計を父親の形見だといってなおみに渡し、医者からあと2年の余命だと告げられたとうち明ける。もっとも、それもどこか嘘っぽい。ハヤシさんのやること言うこと、すべてが虚飾に満ちているし、なおみも嘘だと感じている。けれどもなおみは、そんなハヤシさんのことがやっぱり気になって仕方がない。

 お金持ちのお嬢さんで、なおみのことが好きだという少女のマナにつきまとわれたりもするなおみ。マナはなおみを守ろうとハヤシさんに近づき、正体を調べ上げたりするけれど、それで修羅場が起こるということもなく、正体を知ってもなおみはハヤシさんから逃げず、それでいて浸りもしないまま、静かに淡々と物語は進んでいく。

 ハヤシさんの家にいた典子さんという女性は故郷に帰り、ハヤシさんはそんな彼女が本当は好きだったけれども、それを言えなかった自分の至らなさを最後になってさらけだす。聞きながらなおみは、はじめてハヤシさんが嘘をつかなかったと感じ、彼がさしのべる手をふりはらわないで、雪が降る橋の上をいっしょに歩き始める。

 描けばドロドロとした関係も描けそうなシチュエーション。それなのに淡々とした描写によって貫き通されるギャップから漂ってくる、生きる難しさとそれでも生きている確かさが、生きることへの前向きさを誘い出してくれる。

 改心したのか、楽器を売って部屋を借り、歩き出そうとしているハヤシさんにはいったい、どんな未来がやってくるのだろう。それは、なおみとどんな関係のもとに刻まれるのだろう。マナはどう絡んでシスターたちはどう見守り、帰ってしまった典子さんはは一体何を思うのだろう。

 描けば描けそうな物語を、むしろ描いていないことに意味がある。気になる未来は想像のうちにふくらませれば良い。漫画に描かれた範囲の世界に息づく人々の心の動きをじっくりと味わい直して、今をどう生き未来をどう作っていくのかを考えるのだ


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