共同通信社・社会部のページ


田中 章 :1947年北海道生。72年入社、79年社会部
魚住 昭 :1951年熊本県生。75年入社、86年社会部。96年退社しフリー。
保坂 渉 :1954年山梨県生。79年入社、86年社会部
光益みゆき:1964年福岡県生。88年入社、94年社会部

 


 

●「沈黙のファイル−「瀬島龍三」とは何だったのか−」● ★★ 日本推理作家協会賞

 

1996年4月
共同通信社刊

1999年8月
新潮文庫
(629円+税)

 

1999/09/19

瀬島龍三氏の名を聞いたことのある人は多いと思います。先の大戦中は大本営参謀本部に所属して活躍し、戦後は戦犯としてシベリアに抑留される。帰国後は、伊藤忠商事に入社し、後に同社会長となり、臨時行政調査会では委員となり、今でも政界に隠然とした力を持っている人物です。
本書は、決してその瀬島龍三氏を個人的に批判するための本ではありません。
ただ、誤った戦争に日本を巻き込んだ軍の中枢に所属し、戦犯にまでなった人物が、何故戦後日本において政財界に隠然とした力を持つようになったのか。
その不可解さを解き明かすのが、取材にあたった人達の目的としたところだと思います。
戦後、アジア諸国に対する日本の賠償、そしてそれを踏み台にした賠償ビジネスに瀬島氏らが暗躍し、かつ相手方にも多くのリベートが渡されます。児玉誉士夫という人物も度々登場します。いったい、賠償とは何だったのか、という暗澹たる気持ちになります。
次いで、瀬島氏が所属した陸軍参謀部作戦課の、戦争に向けて突っ走った自己中心的な行動が、書き綴られていきます。
陸軍の最大の誤りは何だったのか? それは、半藤一利「
ノモンハンの夏で語られる軍事上の大失敗を犯した辻政信らを何ら罰するどころか、再び作戦の中枢に置くというような信じ難い人事を行った体質にあるわけです。
誤りを罰しないことは、当人をして再び誤りを犯させる危険性が高い、それを陸軍は何ら考えることなかった。身内に甘い、それは当時の陸軍のみならず、戦後から今にいたるまで、官界、政界いずれにもはびこっている体質なのです。
その傾向は、民間企業にもあります。一旦エリートと見なされると、どんなミスをしよと内々で済ませ、ミスをないものとしてしまう。一方、エリート以外の社員がミスを犯せば厳格に罰せられる、というように。
日本の政財界トップは、大戦を経て何の教訓も得ず、その体質はまったく変わっていない。本書は、その事実に対する警鐘の書です。

 


 

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