安部結貴
(ゆうき)著作のページ


1963年生。
石油会社、広告代理店勤務を経て、92年フリーライター。エッセイ、小説、ノンフィクション、実用書、啓蒙書等幅広く執筆。コピーライターとして、広告制作の依頼にも応える一方、自らの鬱病と、その克服体験を元に鬱病患者やその家族のための講演等も行う。世界の沈没地帯を渡り歩くバックパッカー、ライダー。

 


   

●「HIV マリコの場合」● ★★☆


HIV マリコの場合画像

2010年11月
新潮社刊

(1700円+税)

  

2010/12/12

  

amazon.co.jp

親の無関心さに腹を立て六本木を遊び歩いていた19歳の時、米兵に薬を盛られてレイプされ、HIVに感染。
そのうえ、一緒に遊び歩いていた女友達からそのことを言いふらされ学校に居場所を失くしたばかりか、母親からも露骨にばい菌扱いされて家庭にも逃げ場所を失くす。
国内にもう居場所はないと絶望した彼女=
マリコが一人で日本を脱出した先はハワイ。
1992年、ちょうどその時、ホノルルで著者がイリーガルなバイトをしていたクーポン雑誌に、マリコからの手紙が届きます。
当初取材目的でマリコに会った著者とマリコとの、10年にも亘る関わりがその時に生まれる。

誰一人知る人のいない外国で、パスポートも破り捨て、彼女は不法滞在のまま生きていく。
そのことだけでも、マリコの絶望の深さが判ろうというものですが、それはまだ序の口。その後のマリコの辿った道の何と凄絶なことか。もちろん、犯罪にまで関わっています。
そんなマリコが何故著者との関わりを絶たなかったか、と言えば、絶望する程にせめて誰かとの繋がりを保っていたいという気持ちからだったのでしょうか。

HIVという感染症は確かに恐ろしいものですが、本書に登場するHIVポジティブ者たちの様子を見る限り、絶望一色になるということはないように感じます。
マリコの底深い絶望感は、HIV感染以上に、自分は何も悪いことをしていないのに家族から見捨てられ、自分の居場所を全く失ってしまったというところにあるように思います。

マリコが2002年30歳で死んだとき、彼女の心に平穏はあったのでしょうか。
彼女の冥福を心から願わざるを得ません。

プロローグ/六本木の夜/マリコの居場所/泥沼の生活/出会い/愛したい 愛されたい/エピローグ

          


     

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