小池昌代作品のページ


1959年東京都生、津田塾大学国際関係学科卒。97年「永遠に来ないバス」にて第15回現代詩花椿賞、2000年「もっとも官能的な部屋」にて第30回高見順賞、01年「屋上への誘惑」にて第17回講談社エッセイ賞、07年「タタド」にて第30回川端康成文学賞、08年詩集「ババ、バサラ、サラバ」にて第10回小野十三郎賞、10年「コルカタ」にて第18回萩原朔太郎賞、14年「たまもの」にて第42回泉鏡花文学賞を受賞。


1.
タタド

2.転生回遊女

3.怪訝山

4.わたしたちはまだ、その場所を知らない

5.たまもの

6.悪事

 


   

1.

●「タタド」● ★★           川端康成文学賞


タタド画像

2007年07月
新潮社刊
(1400円+税)

2010年02月
新潮文庫化

   

2007/08/15

 

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題名からして不思議な感じを受ける作品集です。
何のことだろう?と思った題名の「タタド」、伊豆・下田の多々戸浜のことであるらしい。
3作のいずれもこれといった出来事がある訳でなく、海辺の家の中年夫婦と友人2人、浜で一日を過ごした母子、偶然再会した高校時代の同級生夫婦の仕事を手伝うといった、ごく断片的なストーリィ。
どうというところもないと感じるストーリィではあるのですが、見方を変えると実は大事であり、ちょっと危ない事と言えるのです。
それがあっさりと書かれ、しかもそこに安息感が漂うところに、本書の奇妙な面白さがあります。

表題作「タタド」は、海辺の家に夫婦と合わせて4人の中年男女が集まり、毎度繰り返されてきたように何となく過ごすというスト−リィ。それなのに、最後あれよあれよという間に・・・・という展開になってしまう。でもそこには、驚きよりも安心してしまう納得感があるのです。
また、「波を待って」では、サーフィンに凝りだした中年男の夫がいつまでも海から上がってこないというのに、妻と息子にはまるで浜に安住しているかのようなくつろぎが感じられる。
この奇妙な安息感、くつろぎに、私はなんとなく魅入られてしまうのです。

タタド/波を待って/45文字

   

2.

●「転生回遊女」● ★★


転生回遊女画像

2009年11月
小学館刊
(1700円+税)

2012年10月
小学館文庫化

   
2010/02/09

  
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母親が事故死して、17歳の桂子は一人っきり。
その母親は女優をしていて、桂子を一人置いてタビに出ることが多かった。
そして桂子にも、ワタルという男から芝居に出てみろという誘いがかかり、その練習が始まるまでの間、母親と同じように桂子はタビに出る。
行き先は、友人の美春が男性とカケオチして移り住んだ宮古島。

樹木に触れ、樹木と交わる。
それとまるで同じであるかのように、人々との新しい出会いへ枝を広げ、繋がりを広げていく。それはまた、桂子の母親が辿った道だったのだろうか。
桂子は決して尻軽ではなく、一本、筋は通っている女の子。
次々と人との出会いを広げていくそんな桂子の姿が、自由で軽やかで、気持ち良く印象的。

舞台は宮古島、那覇、東京。そして芝居。
桂子が新たに知り合う人々の範疇は広く、ますます枝を広げていくかのようです。
ストーリィの魅力というより、桂子という17歳の女の子が、軽々と枝を広げていく様子、その無限の可能性といった雰囲気が、本作品の魅力。
「転生回遊女」という題名、読んで初めて得心がいきます。

  

3.

●「怪訝山」● ★☆


怪訝山画像

2010年04月
講談社刊
(1700円+税)

 

2010/05/27

 

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「怪訝山」「あふあふあふ」は、生活の現実感を喪失し、まるで幻覚の中に入り込んでいくような篇。
日常生活という現実感を失った主人公が、逆に幻想の中に入り込んでいく、まるでそこに自分の居場所を求める他ないように、という点で2篇には共通する雰囲気があります。

「怪訝山」の主人公は、売春まがいの手で女性販売員に高額な絵を売らせる会社の社員であるイナモリ。そんな仕事に囲まれているイナモリは、さびれた旅館宿のコマコという仲居(ヘイケイしたというのだからもう老女?)に引き込まれていく。
コマコ=山? まるで山に拠り所を求めようとするように。

「あふあふあふ」は77歳の老人=エノキが主人公。妻は亡くなり文房具店も閉めて、今は一人暮らし。
ずっと地味に、ひたすら生真面目にやってきたエノキに、経理を任されている町内会費の使い込み、女性に対する猥褻行為の疑いがかかる。その後、次第にエノキの中で、現実と幻想の境目がはっきりしなくなる・・・。

「木を取る人」は、上記2篇と異なり、落ち着いていた日常生活が、義父が家を出たことによって失われてしまう、という展開が面白い。
力丸と結婚し、義父の剛造と3人暮らししていた主人公、元々夫婦はずっとセックスレスで、義父の存在が失われることによって家族としての存在理由も失われてしまう、という次第。

「怪訝山」も「木を取る人」も、主人公に居場所を感じさせる登場人物の存在が興味どころです。

怪訝山/あふあふあふ/木を取る人

  

4.

●「わたしたちはまだ、その場所を知らない」● ★★


わたしたちはまだ、その場所を知らない画像

2010年06月
河出書房新社
(1600円+税)

 

2010/07/06

 

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生まれたばかりの小さな池(中学生たち)に“詩”という宝石を放り込んだら、どんな波紋が起きるのか。
そんな印象の小説です。

本書で中心になるのは、中学校の若い女性教師と、中学1年の女子生徒。
2人の詩への想いが周辺への広がりを見せたのは、女性教師が試みに学校の裏庭で行った授業、詩の朗読会。
そこでは、自作の詩を堂々と朗読した男子生徒と、評判の問題児でありながら滔々と萩原朔太郎の詩を暗唱してみせたもう一人の男子生徒が、2人の目を引きます。
互いに“詩”に心を惹かれていても、4人が一つの輪に繋がることはありません。

思うに、詩とは小説と違って、どう感じどう向き合うかはその人の感性次第。ですから、詩について語り合うのは恥じらいを伴うものなのかもしれません。
上記4人が同じ歩調で歩くことなく、女性教師と女生徒が各々職員室、クラスの中で孤立して見えるのも、当然のことのように感じられます。
それでも、詩を好きと思い、その延長線上で何かやってみようと2人が行動に移すところ、詩と人との関わり、詩の世界への希望を見い出すようで、嬉しい気持ちになります。

誕生したばかりの軽やかさ、詩の気持ち良さを感じる佳作です。

  

5.

「たまもの」 ★★          泉鏡花文学賞


たまもの画像

2014年06月
講談社刊
(1700円+税)

  

2014/07/26

  

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一時期付き合ったこともある幼馴染が突然やってきて、1歳にもならぬ赤ん坊を主人公に預けていった。働いて、必ず迎えに来るからそれまで、と言って。
それから10年余、その赤ん坊=
山尾は今小学5年生。そして未婚の主人公はずっとせんべい工場で契約社員として働きながら山尾を育ててきた。

2人の関係は少々不思議なものです。もちろん母親ではない、といって養親でもなく、まして里親でもない。単に“同居人”という関係。
それでも山尾は主人公を「母ちゃん」と呼び、主人公には山尾を赤ん坊の頃から育ててきて当然に愛おしさを感じている。
でもそれと同時に主人公には、山尾を育てる一方で一人の女性としての軌跡もそれなりにあったのです。

主人公と山尾の間には、血の繋がらないまま人生を一緒に歩いているといった同胞感、そしてお互いへの気遣いと信頼感があるように感じられます。
実の親子ではないからこその想いではないでしょうか。それが失われたらもう、2人は一緒に暮らしていけないのですから。
そんな2人の間にある雰囲気が、気持ち良く、新鮮で、かつ愛おしい。
愛おしいという味わいを噛みしめることができる佳作です。

      

6.

「悪 事」 ★☆


悪事画像

2014年10月
扶桑社刊
(1500円+税)


2014/10/22


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不穏さを感じるストーリィ、8篇。

いずれの主人公も、本来どうということのない平凡な人物ばかりである筈なのに、人生のある時点がそのまま曲がり角になってしまうのか。ざわめくような不穏さが沸き立つストーリィばかりです。
どうしてこうなってしまったのか。何が原因だったのか、定かではありません。強いて言えば、各登場人物が元々その身の内に抱えこんでいたものが今に至って現れてきただけなのか。

冒頭の
「悪事」はまだまだ常識範囲。しかし、「生魚」「湖」ともなるとかなり不気味なものを感じさせられます。

自分に縁のない話と思っているうちは問題ないのですが、万が一と考え始めると、心の内が不安で落ち着かなくなりそうです。


悪事/風下に向かって煙は動く/フェイク/生魚/意気投合/疱/救済/湖

   


   

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