伊井直行作品のページ


1953年宮崎県生、慶應義塾大学文学部史学科民俗学・考古学専攻卒。出版社勤務を経て83年「草のかんむり」にて第26回群像新人文学賞を受賞し作家デビュー。89年「さして重要でない一日」にて第11回野間文芸新人賞、94年「進化の時計」にて第22回平林たい子文学賞、2001年「濁った激流にかかる橋」にて第52回読売文学賞を受賞。


1.
青猫家族輾転録

2.愛と癒しと殺人に欠けた小説集

3.尻尾と心臓

  


 

1.

「青猫家族輾転録」 ★★


青猫家族輾転録

2006年04月
新潮社刊
(1700円+税)

 

2006/08/22

 

 

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主人公は51歳、たまたま私と同年齢です。
妻と高校生の娘とという3人家族。
かつて勤務先の商社でリストラされ新事業開発室という名の中途半端な部署へ異動。そんな自らの状況を打開するため考えた計画を元同僚かつ友人だった男に裏切られ、依願退職せざるを得ない羽目に追い込まれる。退職して自分で会社を立ち上げたものの、当初はジリ貧状態。そんな危機を乗り越えて今は社員少数ながらなんとか安定した状況にある、というのが主人公の今の状況。

39歳で死んだ叔父との思い出が語られる一方で、自分を裏切った友人が癌で余命少ないことを知る、高校から私立に入った娘が学校に馴染めず不良化してしまったかと心配していたら妊娠、さらに提携先から吸収合併か提携解消かの選択を迫られる、といろいろな問題が主人公の前に立ち塞がります。
それでも多少のトラブルはあったにしろ、この主人公は概ね平均的な中年男性像ではないかと思うのです。
あえてこの主人公の特徴と言えるのは、かなり硬派なこと。自分の利害より、公正・公平といった第三者的視点から考えるのがどうも好きらしい。そんなこだわりがあるからこそ、成功もせず失敗もしなかった彼の今の状況があると思われます。
正論好きなようで実は不器用なだけ。実際にうまく立ち回ることができず、馬鹿正直に行動するのが常で、その分得をしているとは言い難い。私自身にもそんなところが多分にあるだけに、この主人公に共感を覚えます。
何のかのといっても、叔父が生きたよりも長い年数をなんとか自分も家族も守ってここまでやってきた、という充足感を本ストーリィから感じます。それはこの年代に達したとき、多くの人が思うことなのではないでしょうか。

主人公は51歳になって0歳という末子を抱え込むことになりますが、それは20年かかってやっと住宅ローン完済間近になったというのに再び新たな住宅ローンを抱え込もうとしている私に、子供とローンの違いこそあれ、似たものを感じます。
それは、まだまだのんびりできない、これらかも今までと同じように頑張らなければならない、ということ。
※なお、表題の「青猫」は萩原朔太郎の詩から。

   

2.

愛と癒しと殺人に欠けた小説集 ★★


愛と癒しと殺人に欠けた小説集

2006年11月
講談社刊
(1700円+税)

 


2006/12/28

 


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「愛と癒しと殺人に欠けた小説集」、なんとユニークで、皮肉った題名であることか。この題名こそ、読んでみようかと興味を惹かれた理由です。
逆にみれば、最近の小説がいかに恋愛、癒し、殺人(ミステリ・サスペンス)主体であるかということを、示唆する題名でもあります。
そんなドラマチックな要素が何もないとすれば、我々の日常生活にかなり近いストーリィになる筈ですけれど、それでも何らかのストーリィはあるし、ストーリィが展開していく中で何らかの虚構が入り込む。それこそ“小説”らしさである、といえば確かにその通り。
そんな面白さを、本書題名ならびにこの「小説集」は含んでいるのです。

冒頭の「ヌード・マン」は、本書中もっとも小説らしい小説。全裸で外を歩き回るという誘惑を、こらえようとしてもこらえられない会社員の話。これに比べればまだ痴漢の方が同じ醜態としてもマシかもしれない。主人公にとって一番のストレス発散策、捕まったらとんでもないことになると自覚していながらどうしても止められないという衝動。読み手もつい主人公以上にハラハラドキドキさせられてしまう、というところが本作品の曲者たるところです。最後はなんと!という結末。
他の3篇は、何が起きることでもなく、なんとなく展開するというストーリィ。そんな話でも面白さを感じてしまうのが、「スキーへ行こう」。伊井さん自身も気に入っているという作品ですけれど、私も同感。
最後の「えりの恋人」は、一同に会した登場人物各々のチグハグさが際立つ作品。ここまでではないにしろ、我々の日常生活でもこんな食い違いは結構ある筈。
なんとなく納得させられ、なんとなく面白さを感じるという、私小説と普通の小説の中間に立つような作品集です。

初出誌に関する記述を含む前書き/ヌード・マン/掌/ローマの犬/スキーに行こう/微笑む女/えりの恋人

         

3.
「尻尾と心臓 ★★


尻尾と心臓

2016年05月
講談社刊

(1800円+税)


2016/07/07


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片や新システムの開発・事業化の役目を負わされて九州の食品問屋・商社「柿谷忠実堂」から東京の子会社「カキヤ」に出向させられ、事業開発室勤務を命じられた乾紀実彦。片や第三者ではなく自ら当事者になりたいと経営コンサルタントから転身して柿谷忠実堂の子会社「インナー・パスポート社」に入社、新システム開発の責任者とされた笹島彩夏

見た目は、外部への販売を目論む新システム<セルアシ>の開発をめぐるお仕事小説ですが、それは本ストーリィの背景となる事柄に過ぎません。
同じ会社勤めとはいえその経歴において対照的な男女2人の会社員=乾、笹島を並列的な主人公とし、その2人の視点から仕事、会社、家族といった関わりを描いた長編小説。

本ストーリィは決して<セルアシ>開発計画の成否や、舞台となる「カキヤ」社風の是非を問うたものではありません。
仕事とは、会社とは一体どのようなものであるのかを、現実的に描いた作品。
その点において「カキヤ」という会社がかなり異色。子会社とはいえ、独裁者的な社長が采配を揮う、極めて独立姿勢の強い会社なのですから。

ついつい、自分の歩んできた会社員生活と比べていました。

  


  

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