灰谷健次郎作品のページ


1934年神戸市生、大阪学芸大卒。17年間の小学校教師を経て74年「兎の眼」にて作家デビュー。「兎の眼」「太陽の子」にて路傍の石文学賞を受賞。2006年11月食道がんのため逝去、享年72歳。


1.
兎の眼

2.我利馬の船出

3.少女の器

4.砂場の少年

5.天の瞳−幼年編−

6.天の瞳−少年編−

7.天の瞳−成長編1−

8.天の瞳−成長編2−

9.天の瞳−あすなろ編1−

10.天の瞳−あすなろ編2−

11.天の瞳−最終話−

        


  

1.

●「兎の眼」● ★★★

  
兎の眼画像
    
1984年12月
新潮文庫
(出版停止)

1998年03月
角川文庫
(571円+税)

  

1990/03/23

最初の頃に読んだ灰谷作品ですが、その素晴らしさに目を見張りました。この作品に出会ったからこそ、今も灰谷作品を続けて読んでいます。
舞台は、ごみ処理場の隣接する姫松小学校。処理場の臨時雇用者は、処理場の中の長屋に住んでいます。共稼ぎが多いから、この子供達は日中一緒に遊ぶことが多い。
読みながら、この子達の明るさ、伸び伸びとした振舞いは何故だろうと思います。教師達も(ごく少数を除いて)臭いからと自分達を嫌う、と子供達は言います。ハエをペットにしている鉄ツン、知恵遅れのみな子、いろいろな子供達がいます。
また、先生という職業を全うすることの難しさを考えてしまいます。若い、結婚したばかりの小谷先生は、夫そっちのけで奮闘します。授業が終わった後も子供達の家庭を覗いていく。サラリーマンの立場から見ると、なかなかできることではありません。しかし、単にサラリーマンに終わらず、それを越えて子供達を導くからこそ、“先生”と呼ばれ、尊敬されるのではないかと思うに至ります。
最初から小谷先生が立派なのではありません。足立のヤクザ先生から泣き虫とからかわれながらも、一所懸命に子供達の世界に入り込み、初めて子供達と気持ちを通わせることができたのです。鉄ツンの成長も、そこまで入り込んで初めてできたこと。
小谷先生は、ラクをしていません。ある意味で、家庭も犠牲にしました。先生の夫は普通のサラリーマンで、妻の教師としての成長過程を少しも見て取れず、小谷先生との精神的距離は隔たるばかりです。
子供達とリヤカーを引いて屑屋さんの真似事をする、処理場移転に伴う子供・親の強制転居、みな子を小学一年生の仲間達で世話しようとする話など、心に深く残ることばかりでした。
この思いを大切にしておきたい、そう感じさせてくれる一冊です。

  

2.

●「我利馬(ガリバー)の船出」● ★★★

  

1990年02月
新潮文庫
(出版停止)

 
1998年11月
角川文庫
(552円+税)

  

1990/03/15

文章のひとつひとつが、私の心に突き刺さるかのような感動を与えてくれた作品です。
主人公・我利馬の生活は、口あるいは文章で言い表すのは簡単な、貧しい、哀れなものです。でも、それが空想の所産ではなく、灰谷さんの実体験に裏打ちされた情景だけに、言葉の一つ一つが現実の重みをもち、生きること、貧しく生きることの悲痛さを訴えてきます。
それがどんなに辛いことか、我利馬と弟達の生活が語ってくれます。買い食いすることの楽しみ、それを殴りつけてしかることの哀しみ、それでも兄ちゃんとまとわりついてくる弟達とのつながり。創られた物語ですが、そこに含められた生きる苦しみは、現に存在するものでしょう。
第1章は、我利馬の社会での生活。彼と弟達の生活はどん底に近いものです。我利馬は社会に何の共通意識も持たなかったからこそ、我利馬号で大洋に船出するほかなかったのです。
第2章は、我利馬が荒れた海と孤独と闘いながら自分を見つめなおす章です。自らの意思に基づいた行動、海上での生きるための工夫が、生まれて初めてという人間としての自覚を我利馬に呼び起こします。
漸く辿りついた巨人の国で、我利馬はネイという少女と心を通い合わせますが、再びその国から去ることになります。その最終場面において、やっと我利馬は人間として再生することができるのです。その部分については、実際読んでみてのお楽しみです。

  

3.

●「少女の器」● ★★

  

1989年
新潮社刊

1992年03月
新潮文庫
(出版停止)

 
1999年03月
角川文庫
(533円+税)

  

1997/01/04

4年に渡り書かれた短編を、長編小説に書き直した作品だそうです。
文庫本カバーの解説によると、「大学で美術を講ずる母は、男との出会いと別れを繰り返す恋多き女。自立した生き方をめざしながら、時に孤独な女の顔をむき出しにする母に、深く傷つけられる絣。その絣を優しく包んでくれるのは、版画家の別れた父だった。繊細な少女の、離婚した両親との微妙な関係、アル中の母を抱えて逞しく生きる同級生との恋、神経症の友人との交流などを描き、現代の家族の肖像を探る意欲作」とありましたが、コレ、かなり違っていると思います。
と母・峰子の間には、常に真剣勝負と言って良いような、生き方に関する互いの考え方のぶつかり合いがあります。峰子には自分のエゴを追求する衝動と、娘に対してそのことの負い目があります。そこをまた、絣は冷静に鋭く母親の心理を分析してみせます。悩み多き親としたら、絣みたいな娘の存在は耐え難いものでしょう。
一方、その絣の気持ちを和らげてくれるのは、父親・万三の存在であり、また峰子にとっても絣のことを相談できるということで救いになっているようです。
父親はある意味で自由人であり、峰子が常に母親でしかないのに対し、絣にとっては父親以前にひとりの信頼できる男性です。背伸びしている絣にとっては、一番安心できる話相手なのでしょう。
主な登場人物は、この3人の他に、父親の恋人である章子という若い女性、大阪から転校してきた元暴走族の上野竜太、何回も自殺未遂を繰り返している絣と同学年の夏子という少女。
口でいう程親から自立していない絣も、これらの人々の悩み、苦悩を知り、少しずつ大人になっていくようです。弱さを持っている点では、絣の父親も例外ではないことが途中で明らかになります。
自立した人間になることの難しさを、幾つもの例をひいて語ってくれた作品です。

少女の器/少女の向こうに/少女の本/少女の一日/少女の場所

  

4.

●「砂場の少年」● ★★

 

1990年11月
新潮文庫
(出版停止)

 
2000年02月
角川文庫

  

1990/12/06

読んでいくうち、凄い小説だなと思いました。仮に自分が教師の職にあったなら、自分の職業が恐ろしくなったに違いありません。
主人公が担当した中学生達の感受性、教師に対する批判力は、凄まじいばかりです。
勿論これは小説です。現実にそんな自己主張をはっきり言う中学生ばかりいたとしたら、まさに化物です。しかし、灰谷さんは、事実どおりに書いていないようでいて事実を書いているのです。
明快な論理構成、表現力を持たずとも、生徒の内面の奥深くに、そうした感情が引き起こされていることを否定できないと思います。
子供の感受性の大きさ、子供への態度から与える影響、それに考えが及ぶ時、足元を大きく揺さぶられるような気がします。
兎の眼のようにジワジワと教育の重要性を訴えるのとは異なり、この作品ははるかに直接的な批判であり、警鐘です。生徒達の発言は、まさに灰谷さんの心からの叫びだと思います。
厳しすぎる規則は、生徒達への信頼の欠如を表している。生徒だからといって、教師が上から見下ろすような意識を持つのは間違いである。“良い生徒”というのは教師からみた都合の良い姿であって、生徒からすれば無理をしている姿に他ならない、等々。
この作品を読んだからといってすぐ理想的な親、教師になれるというものではありませんが、そうしたことを認識しておくだけでも救いになるような気がします。

  

5.

●「天の瞳−幼年編1・2−」● ★★★

  
天の瞳・幼年編画像      
1996年01月
新潮社刊
(1・2)
(出版停止)

現・角川書店

1999年06月
角川文庫化

   

1996/02/16

 

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灰谷さんのライフワークと言うべき、子供達の成長過程を追う長編シリーズ作品です。
当初新潮社から刊行されましたが、神戸の少年殺人事件を契機に角川書店に出版社が変わりました。

本シリーズの主人公は、倫太郎とその仲間たち。まずは倫太郎が新しく開園した倫叡保育園に入園するところから始まります。
この倫叡保育園自体がユニークです。園長の園子さんや、あんちゃん、若い保母らが、子供を教えるのではなく子供に添うという気持ちで、子供達の自主性や可能性を伸ばしていこうとします。
その保母たちを一番振り回して止まないのが倫太郎の存在。倫太郎たち子供達だけでなく、保母たちも彼らと共に成長していくという雰囲気が、とても気持ちの良いものです。
この作品の中では、親や保母らが真剣に子供と向かい合っています。この辺りに灰谷さんの理想と考える教育のあり方が、自然と浮かび上がってきます。決して押しつけや、理屈でないところ、そして子供の感受性の鋭さへの驚きが、素直に読める理由です。
そんな倫太郎たちが小学校へ入学すると、様々な問題が呼び起こされます。子供を教えると簡単に考えていたことが、決して一筋縄では行かないこと、人を教えるということの難しさがつぶさに描かれていきます。。子供だからと言って、少しも馬鹿になんかできない、と目を開かされる思いがします。
倫太郎や周囲の大人達の一緒に、読者も成長していける、そんな気持ちを感じさせてくれるシリーズです。

作中で私にとって忘れられない言葉があります。4+5=9はシゴク4+5=10とシゴトになるためには、遊びという+1がないといけない、ものを楽しむ心がないといけない、という倫太郎にじいちゃんが語る説明です。
昔の下村湖人「次郎物語」、今の灰谷健次郎「天の瞳」、そんな思いが私の中にあります。

  

6.

●「天の瞳−少年編1・2−」● ★★★


天の瞳・少年編画像

1998年02月
1999年04月
角川書店刊
(1・2)
(各1500円+税)

  
2001年10月
角川文庫化

 

1997/12/30
1999/05/08

 
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倫太郎たちが小学校高学年になり、落ち着いてきた所為か、「幼年編」で感じたような驚き、感動はあまりありません。むしろいろいろな問題に直面するようになったという印象です。
また、子供達以上に、大人側の様々な問題が描かれている、ということも理由だろうと思います。倫太郎の両親、ミツルの両親、タケやんの上原夫婦。
さらに、倫太郎のじいちゃんという味のある登場人物がいなくなってしまったことがとても勿体ない。その代わりというべきか、峰倉さん、殿村さんら個性的な大人達が登場してきます。それだけ倫太郎達の世界が広がったということでしょう。
その一方で、倫叡保育園の園子先生らの出番が減ったことは寂しい。なんといっても、倫太郎達の原点は倫叡保育園にあるのですから。

倫太郎たちは中学校へ進学。そこでは、これまでとは違った試練が倫太郎たちを待っています。
「少年編1」はちょっと物足りなかったのですが、この「少年編2」では再び魅力が蘇っています。中学校の教師対倫太郎、ミツルたち。大人顔負けの判断力、自発性をもった彼らに対して、もっと大人達は真摯に向き合わないといけないのでしょう。
2」では、単に横暴な大人達が登場するだけでなく、非行グループに対しても倫太郎たちは向かい合わざるを得なくなります。倫太郎たちの奔放な行動ぶりへの期待、楽しみ以外に、ハラハラと心配する部分が増えて、少しも眼を離せません。
本書では、また一歩成長した倫太郎の姿を見ることになります。大人達が度々倫太郎を自分たちの人生のライバルに準えてきましたが、それは読者にとっても同じであるように思えます。
子供達の成長過程を見続けるこのシリーズは、じっくり取り組んで読むだけの重量感を備えています。これからも見逃せないシリーズです。

    

7.

●「天の瞳−成長編1−」● ★★★

  
天の瞳・成長編1画像
 
1999年12月
角川書店刊
(1500円+税)

 2002年08月
角川文庫化

   
2000/01/03

倫叡保育園で倫太郎の担任だったエリ先生の結婚式から、本巻は始まります。エリ先生の結婚相手も中学校教師であったことから、エリ先生の新居でのお祝いに、倫太郎たち仲間ミツル、青ポン、タケやん)、園子先生あんちゃん、倫太郎たちの通う錦松中学の教師3人が一堂に会します。
本書では、倫太郎たちのめざましい活躍はない代わりに、倫太郎たちと園子、3人の教師たちとの間で、真摯な話し合いが交わされます。3人は、
少年編で登場したような権威をかさにきたような教師たちと違って、生徒へ真っ直ぐに対峙しようとする教師たちです。しかし、倫太郎たちの意見は、ただ一生懸命だけではダメなんだ、とにべもない。
一方、ミツルの母・
潤子もまた、校長、教頭らとの話し合いに徒労感を覚えるばかり。

本書ではこれまで以上に、教師とはどうあるべきかがテーマとなっていて、ストーリィより議論が中心になっています。しかし、倫太郎たちの個性を背景にしているだけに、理屈っぽいという印象は少しもなく、むしろ教育という難しさ、奥行きを感じて、改めて深い感動を覚えざるを得ません。ただ、一人の親としては、遠く及ばないことばかりで恥ずかしく思うほかないのですが。
教育の原点は、大人の思い込みを排して、子供にもっと向き合うこと。そんな灰谷さんの思いが詰まった一冊です。

  

8.

●「天の瞳−成長編2−」● ★★★

 
天の瞳・成長編2画像
 
2001年02月
角川書店刊
(1500円+税)

2002年11月
角川文庫化

 

2001/03/04

「天の瞳」の新刊がでて、再び倫太郎たちに再会できるのは、この数年の大きな喜びになっています。
本巻では、あんちゃんが過労で倒れたことから、倫太郎、ミツル、青ポン、タケやんらが本の配達等に活躍。保育園を舞台に、再び幼い頃からの教育の大切さを思い出させてくれます。
と言っても、中学校における非行問題、教師−生徒間の問題は相変わらず。しかし、幾度かの機会に話し合いを重ねていくと、そこに新たな希望が生まれてきます。

倫太郎のクラスでのホームルーム、警察に生徒が補導された問題についての話し合いが行われます。一人の女生徒が教師に投げかけた「罪にならないために、わたしたちはなにができますか」という言葉に、正直言ってショックを受けました。
このような気持ちは、なかなか持てないものです。決して倫太郎たち中学生だけの問題ではありません。大人社会においても、同じような問題はあります。思わず、ギクッと自分の仕事の状況を考えてしまいました。目を醒ませられた気持ちになったのは、倫太郎や、大人たちも同様。
そんな類の言葉があちこちに出てきます。それだけに、本書を読む感動は大きく、読了まで少しも本書を手放す気になりませんでした。
倫太郎たち中学生だけでなく、本
では親たちも一緒に立ち上がろうとします。その辺りがとても重要なことだと思います。また、PTA副会長の庵心藤子、その養女のルイら、新しい仲間が加わったのも、本巻の嬉しいところです。

      

9.

●「天の瞳−あすなろ編1−」● ★★

  
天の瞳・あすなろ編1画像
  
2002年05月
角川書店刊
(1500円+税)

2004年03月
角川文庫化

2002/06/02

灰谷さんのライフワーク作品、7冊目。
前回の成長編2に続き、倫太郎たちが進学した中学校での非行問題が、重要なテーマになっています。

本巻では、非行を一部の生徒たちの特殊な問題とせず、自分たち仲間の問題として向かい合っていこうとする、倫太郎たち1年生の姿を描くストーリィです。
積極的に学校全体、教師たちへ働きかけていこうと、実際に行動を起こす彼らの姿は、「あすなろ編」という今回の副題に如何にもふさわしいものです。
もちろん、理想論過ぎる、登場する中学生たちがあまりに出来すぎ、という面はあります。
しかし、そうした面を知りつつもなお、考えさせられる面、胸うたれる感動の場面があります。
書店で本シリーズの一冊を見つけたなら、迷わず購入し、すぐ読みたくなる所以です。

  

10.

●「天の瞳−あすなろ編2−」● ★★

   
天の瞳・あすなろ編2画像
  
2004年01月
角川書店刊
(1500円+税)

2006年12月
角川文庫化

 
2004/02/06

  
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灰谷さんのライフワーク作品、8冊目。
前作あすなろ編1に引き続き、倫太郎たちが非行グループと相対して語り合おうと呼びかけるところから始まります。
しかし、その後は一転、おふみばあさんが亡くなって一人になった知的障害者シュウちゃんの今後を、倫太郎たち皆が一所懸命に考えるという展開になります。
本巻は、知的障害者をテーマにした展開かと思ったのですが、読み進むと、非行少年たちと問題は共通していることに気付かされます。
即ち、自分達の気持ちを素直にあるいは上手に示すことができない点では、非行少年たちも障害者も似ている。その彼等の心に添うためには、どうしたら良いのか。成長編2で投げかけられた「わたしたちはなにができますか」から一歩踏み出す展開が、本書に描かれていると思います。
なお、本書では倫太郎が突出することなく、青ポンら仲間の一人一人が自ら行動し始めた、という処が印象的。

本作品に登場する人々、織り込まれた主張については、奇麗ごと過ぎる、理想的過ぎるという感想もあるかもしれません。でも、理想的な姿を知る、学ぶということもまた大切であり、教えられることの多い作品です。その意味で、大切に読んでいきたいシリーズです。

  

11.

●「天の瞳−最終話−」● ★★

    
天の瞳・最終話画像
  
2009年07月
角川文庫刊
(590円+税)

 

2009/08/04

 

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未完となった灰谷さんのライフワーク作品「天の瞳」の遺稿、同じく未完となった「乾いた魚に濡れた魚」、それに天の瞳−少年編−の刊行を終えたところで行なわれた講演録を収録した一冊。

「天の瞳」の遺稿は 100頁弱。青ポン青野のじいちゃん、その2人と非行少年の一人であるタモツとの会話部分。したがって残念ながら倫太郎は登場せず。
5年半ぶりに「天の瞳」の続きを読んで、この作品、こんな高次元のやり取りを交わすまでに至っていたのかと、驚きました。

本書で面白いのは、「天の瞳」より実は「乾いた魚に濡れた魚」の方。
居酒屋の「酔魚亭」と、その店主=多津蔵を中心にしたストーリィ。
現在は教頭の地位にある学校の先生=ハクさんが、彼らが子供の頃に味わった貧しさとはどんなものだったのか、を語る。
次いで、一人暮らしでおしっこ臭いトメばあさんが多津蔵のところを訪ねてきて、多津蔵とその2人の娘、さらに近所のボロアパートに最近引っ越してきたという5歳の少年=タツヤを交えて会話が繰り広げられる。
多津蔵の二女は老人福祉関係の仕事をしており、彼女がトメばあさんにデイサービスの利用を説得しようとし、一方は老人とて一個の人間として好きに生きる自由がある、といった風のトメばあさんとの会話が面白いと同時に、思わぬ見方を教えられ刺激的。

※なお、多津蔵の3人の娘、名前が波子・歩子・菜子(ハコ・アコ・ナコ)という。なんていう名前の付け方だと、3人の魅力と合わせて楽しくなってしまいます。
残念ながらこちらの作品も未完。 

天の瞳(未完)/乾いた魚に濡れた魚(未完)/
灰谷健次郎講演録−「天の瞳」のこと

       

読書りすと(灰谷健次郎作品)

  


 

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