11. | |
「底惚れ」 ★★★ |
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短篇集「江戸染まぬ」の中の一篇「江戸染まぬ」の長編化。 いやあ、こういう見事な仕業をやってのけてくれるから堪らないのですよねぇ、青山文平作品は。 主人公の「俺」、宿で俺を刺して姿を消した元下女兼ご老公想い人だった芳を探し出すため、江戸は岡場処の路地裏を歩き回ります。 その渦中で出会ったのが、評判の高い路地裏番である銀次。 探し回るより「待っちゃあどうだい」(芳の出現を待つ)という言葉と共に、そのための見世買取りを銀次が仲介してくれたおかげで、主人公は芳が選んでくれるような見世作りを始めます。 <客のためではなく、女郎のためになるような見世>−その発想が面白い。 この辺りビジネス小説のような面白さも備えています。 見世が軌道に乗り始めると、屋敷で芳の朋輩、そして故郷も同じだった信が主人公を訪ねてきます。結果的に主人公は信へ、女たちの仕込みと差配を任せることになるのですが、この信の登場がストーリィにさらなる厚みを加えています。 その後も俺の商売は広がっていきますが、依然として芳は姿を現さない。さて・・・・。 いいなぁ、特に主人公「俺」の、自分の損得を全く考えず、無私といって良い姿が何とも透明感ありというか、濁りがない、というか。 また、「俺」意外に、銀次、信という登場人物の人間像が圧巻。 俺、銀次、信のそれぞれが、他人には言い難い過去を抱えているのですが、それでも今いる場所で自分を精一杯務めている。彼らの覚悟ぶりが実に鮮明で確かなものであることを感じさせられます。 異色の時代小説ですが、その面白さも異色。是非、お薦め! |
12. | |
「やっと訪れた春に」 ★★☆ |
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橋倉藩には変わった祖法がある。 それは、岩杉本家と分家の田島岩杉家から交替で藩主を出すというやり方。その結果、藩主と同時に次代藩主が常に並び立っているということに繋がっている。 それが始まったのは 100年余前。当時の藩主が急逝して田島岩杉家から4代目藩主となった岩杉重明が思い切った行動に出、藩内の中央集権を確立し、数々の経済政策を打ち出して藩を隆盛に導いたところから。 その結果、家臣は2重体制となり、藩主を支える近習目付も二人体制。 本作主人公は、その内の一方である長沢圭史、67歳。 次期藩主となるべき田島岩杉家の当主が急死し、漸く藩主交代制が終焉する、橋倉藩に春が来る、と喜んだものの、田島岩杉家当主の祖父=重政・78歳が何者かに暗殺される、という事件が起きます。 果たしてそれは、藩内での抗争が原因か、それとも私的な事由によるものか。 近習目付を致仕したばかりの長沢は、同い年で今も近習目付の職にある団藤匠と共に事件の真相を探り始めるのですが・・・。 最後に2人が辿り着いた真相は、今も神として崇められる岩杉重明の頃に端を発するもの。 長沢と団藤の2人と、暗殺者が辿った道の違いは、余りにも対照的です。 本ストーリィは、変わることのできなかった者の悲劇、と言って良いでしょう。 時代小説で多い“お家騒動”には至らず、僅かな登場人物たち内での私的な事件に留まるという内容ですが、その凄まじさ、悲惨さには言葉もありません。 青山文平さんの凄みを改めて見せつけられた、という読後感に尽きます。 なお、変われない悲劇は、本作の登場人物に留まらない筈。 自民党や日本の経済界にもそれは通じることですし、それは青山さんからの現代に向けて発せられた警告、と感じます。 |