日時:10月22日(日) 14:00〜18:00
場所:法政大学市ヶ谷キャンパスボアソナードタワー11階、BT1101教室
JR中央線・地下鉄南北線飯田橋あるいは市ヶ谷駅または
JR中央線・地下鉄南北線/有楽町線/東西線飯田橋駅下車、徒歩約10分
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発表者:谷雪ni(女尼)氏(京都大学大学院文学研究科現代史学専修博士後期課程)
発表題目
橘樸の道教研究
発表要旨
日本の伝統的な「漢学」や近代に成立した「支那学」は、いずれも儒教に偏重しがちで、また研究方法としては経典に叙述されている思想や制度だけを考証学的・文献学的に研究する傾向が強い。これに対して、橘樸(
1881-1945)は異色の中国研究者であったといえる。彼は1910年代から20
年代前半にかけて、天津・山東において民間信仰の実態についてのフィールドワークをしつつ、また宗教学・人類学・民俗学の理論も受け入れ、中国の民間信仰における「神の国」の解明に努めた。なお、これまでの研究は橘の道教研究を「民衆の視座」からのものだと評価した一方、彼が用いた研究方法やその内実について十分に検討しなかった。本報告はこの空白を埋めることを目指す。
まず、1920
年代までの道教・民間信仰をめぐる当時の学知の布置を考察する。中国に来ていたキリスト教宣教師の研究調査、日本の台湾統治における宗教調査、考古学者八木奘三郎の道教論などを考察する。それらを踏まえたうえで、橘の道教研究の特徴を明らかにする。橘は「支那民族は宗教的民族」と論じ、民衆生活の全般及び精神世界における宗教とそれから生じた慣習の力の強さを強調した。そして、道教が「民族宗教」だと主張した。民間社会におけるあらゆる宗教信仰も、外来の宗教も、道教の同化作用を受けなければならないという。また、橘の道教論の最大の特徴は、道教を「一神教」とみなすことにある。橘は道教に注目しつつもそれを「宗教/一神教」として認めないキリスト教宣教師の西洋中心主義的な宗教論を克服しようとして、道教がキリスト教と同等な地位に値すると主張した。報告者は彼のこうした「一神教」説がいかに構築されたのかを考察する。それによって、橘が道教を「宗教」として位置付けることの先駆性と、それに含まれた問題点を検討する。
※当日は資料・お茶代として200円いただきます。
(例会終了後には、会場近くで懇親会を開催いたします。)